【英国流マッスルカーたち】フォード・コルティナ ローバーP6B 3500Sほか 後編
3.0L V6を載せたフォード・コルティナtext:Martin Buckley(マーティン・バックリー)photo:C&SC Archives(C&SCアーカイブス)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
フォードが生み出した3.0L V型6気筒エセックス・ユニットは魅力的だっただけに、コルティナへ載せられるのも時間の問題だった。実際、もとレーシングドライバーだったジェフ・ユーレンが、Mk2のコルティナ・サベージへ換装し販売している。
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フォードの工場で公式に作られていたわけではない。でも、英国のマッスルカーとして加えたい1台だと思う。
フォード・カプリMk1(1969年/英国仕様)
ユーレンは、エンジンの載せ替えを文化的で安全に実行した。4シーターの4ドアサルーンとして、当時1365ポンドという価格も妥当なものだった。3.0Lのカプリに対抗できる、典型的な英国のマッスルカーと呼べるだろう。
そのカプリも、1969年に1300ポンドという価格以上の加速性能を備えていた。MTのギア比には少し癖があったけれど。Mk2やMk3でも手頃な価格のハイパワーは維持し、2.8Lのインジェクションも追加されている。
ユーレンは、Mk3のコルティナでもV6エンジンへのコンバージョンを提供。フォードはMk4の2.3Lユニットまで、公式には6気筒エンジンをコルティナへ載せることはなかった。この珍しいコルティナ2.3 GLも、その速さで筆者が評価する1台だ。
英国オペル、ヴォグゾールは、1960年代に高性能モデルへ興味を明確に示すことはなかった。しかし素性の良さから、エンジンとトランスミッションの組み合わせ次第では、俊足のクルマに仕立てることも可能だった。
ヴォグゾール・クレスタとトライアンフ2.5 PI
1965年、ヴォグゾールの技術者はシボレー由来の直6エンジをベースに、排気量を2.6Lから3.3Lへ拡大。4速フロアのMTを組み合わせれば、PB型クレスタとヴェロックスというファミリー・サルーンを、1000ポンド以下の高性能モデルへ仕上げられた。
オーバースクエアのユニットで、最大トルクは24.1kg-m/2200rpmと低回転域型。0-97km/h加速は11.6秒で、当時の3.4Lのジャガー並みに速いほど。車重約1360kgの見た目より軽いボディが、加速を助けた。
トライアンフ2.5 PI(1968年/英国仕様)
3.3Lエンジンを載せたPB型は、短寿命に終わる。コークボトルラインを得た後継モデルのPC型では、目立った活気を得られていない。
ヴォグゾールはFE型ヴィクターに3.3Lのエンジンを載せ、客離れを防ごうとしたが不発。1970年代が始まろうという時に、大きなエンジンで165km/hの最高速度と6.0km/Lという燃費は、英国市民には受け入れられなかった。
トライアンフは、2.5Lの直列6気筒エンジンを中型のサルーンに載せ、英国に順応したユニークなマッスルカー的モデルを古くから生み出していた。BMWが6気筒エンジンを3シリーズに搭載する以前から。
特に、コンパクト・ジャガーの消滅で空いた領域を穴埋めしてくれたのが、インジェクション・エンジンのトライアンフ2.5 PI。アグレッシブな純正ホットロッドとして、英国郊外で魅力を振りまいた。
ビュイック由来のローバーP6B 3500S
それを見ていたローバーは1972年、P6BにMTのS仕様を発表する。ビュイック由来のオールアルミ3.5L V8エンジンを、コンパクトなローバー社製ボディに載せた。1968年の当初は、ATのみのラインナップだった。
P6B 3500SにはMTと少しのパワーアップを与え、最高速度193km/h、0-97km/h加速9.0秒を実現している。1970年代初頭のエグゼクティブ・マッスルカーとして、適任といえそうだ。
ローバーP6B 3500S(1972年/英国仕様)
ここまで何台かの英国版マッスルカーを取り上げてみたが、実際には完全なマッスルカーとまでは呼べない。アメリカでは、贅肉を落とした2ドアハードトップにビッグブロック・エンジンを載せ、0-400mを12秒や13秒で走れることを目指していた。
これまでのトライアンフやローバー、ヴォグゾールは、同じ位置に並ぶことはできない。6気筒エンジンを載せたくらいでは。
アメリカは何しろガソリンが安かった。クルマを所有するということは、アメリカで生きる上で当然の権利。クルマの運転は、暮らしにとって不可欠なものだった。
一方でガソリン税が高く、込み入った道路環境の英国。タイヤからスモークを上げながら、地元のストリートを飛ばすようなクルマへの需要は拡大しなかった。
1970年代になって、アメリカ由来のスモールブロックを載せた英国車も登場はしている。英国人にも溢れるほどのパワーを与えてはくれた。だが、アメリカのマッスルカーとはまったく別の文化だったといえるだろう。