これだけの人が拒否反応を示しているにもかかわらず、強行されようとしている東京五輪。平和の祭典という謳い文句は、もはや地に堕ちた状態にある。スポーツ選手を取材する立場で言わせてもらえば、大会後が心配だ。スポーツ選手の地位は、大きく低下することが予想される。念願のメダルを獲得しても、一緒に喜んでくれる人は、通常の五輪より何倍も少ないだろう。

 そもそも今回の東京五輪を、NHKをはじめとする各メディアは、どのようなスタンスで報じるつもりなのか。シーンと静まりかえるスタンドで絶叫するつもりだろうか。不謹慎を承知で言えば、これは見物だ。土壇場で良心が勝り、中止になっても、無謀にもこのまま強行されても、これから始まる事の顛末を、想像することは難しい。初めて体験する大事件だからだ。

 その模様をメディアはどう伝えるか。これまでは前例があった。こういう場合はこうすればいいと、前例に従って作成されたマニュアルが存在した。それに従っていれば、大きな間違いには発展しなかった。だが今回は、処方箋がない。

 各競技を生中継するテレビは大変だ。国民の6割〜8割の人が拒否反応を示している国民感情と、どう折り合いをつけるか。バランスをとるつもりなのか。

 五輪開催に突き進む現在、もうすでに未体験の領域に入っている。そこでメディアはどんな対応をみせているか。中には、国民感情を無視するかのように、開催を後押しするメディアもある。しかし、問題にしたいのは、そうではないメディア。反対なのに反対と正面切って言えないメディアだ。

 よく突っ込まれているのは、新聞各紙だ。五輪のスポンサー形態は上位順に「ワールドワイドパートナー」、「ゴールドパートナー」、「オフィシャルパートナー」、「オフィシャルサポーター」の4種類存在するが、読売、朝日、毎日、日経の4紙は、その3番目に位置するオフィシャルパートナーに名を連ねる。オフィシャルサポーターにも、経済産業新聞と北海道新聞の名前があるので、スポンサー契約を結んでいる新聞社は計6紙を数える。

 それは言ってみれば応援団になったも同然の行為だ。メディアに求められる中立的な振る舞いは、その瞬間、貫きにくくなる。

 取材対象者と、どの距離で向き合うか。この場合は五輪になるが、この点は報道に携わる人が本来、なによりも神経を使うポイントだ。不用心に接近すれば、結果的に取り込まれる可能性が高くなる。取り込まれてしまう姿がもし明るみに出れば、世間からの信用を失う。いくらいいことを言っても、中立的ではないことが周知されれば、口ほどもないヤツとそしりを受けるのが落ちだ。とても格好悪い立場に追い込まれる。

 筆者は個人事業主なので、そこのところが崩壊すれば、この世界に居場所がなくなる。直ちに吹っ飛ばされる、脆弱な立場に身を置いているが、少々足を踏み外しても、簡単には吹っ飛ばされない人もいる。大手新聞社の社員などはその典型だろう。

 本人が、取材対象者との距離感に最大限、神経を使って取材しても、肝心の会社という組織にその感覚が鈍ければ、究極の選択として、会社の意向に従わざるを得ない場合もある。

 大きな新聞社になればなるほど、新聞販売以外の分野にも手を伸ばすことになる。よい記事を書いて、部数を稼げばそれでオッケーではなくなる。

 高校野球の主催者になったり、プロ野球の球団になったり、箱根駅伝を共催したり、日本サッカー協会のサポーティングカンパニーになったり、Jリーグ百年構想のパートナーになったり、様々な方面に手を広げることになる。取材対象者との距離は、その都度、急接近する。そこでメディアとして、中立性を担保することは簡単ではない。ほぼ不可能に近い。もし記者としての使命を、最大限、大真面目に発揮しようとすれば、先述したように、社内の別の部署から横やりが入る可能性がある。