●「一緒に考えてやってよ」加藤浩次の戦略

注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、放送作家の石原健次氏だ。

極楽とんぼの加藤浩次に導かれる形で「流されて」放送作家になったという同氏。スターディレクターと出会い、国民的アイドルの総合バラエティを経験するなどキャリアを重ね、多くの担当番組を抱える売れっ子作家だが、コロナ禍になってテレビ業界の今後を見据え、新たなチャレンジにも取り組んでいるという――。

○■芸人出身の立場「目障りな存在だったと思う」

石原健次1969年生まれ、兵庫県出身。東海大学在学中の90年、お笑いトリオ「インパクト」を結成。99年に解散し、『極楽とんぼのとび蹴りゴッデス』で放送作家に転身。『フジリコ』『SMAP×SMAP』などを経て、現在は『行列のできる法律相談所』『おしゃれイズム』『今夜くらべてみました』『ウチのガヤがすみません!』『ももクロと行く!』『アウト×デラックス』『キスマイ超BUSAIKU!?』『裸の少年』『なるみ・岡村の過ぎるTV』『M-1グランプリ』『極楽とんぼのタイムリミット』などを担当。脚本を担当した映画『クロサワ映画』は第2回沖縄国際映画祭で最高賞を受賞した。


――当連載に前回登場したマッコイ斉藤さんが、石原さんについて「相変わらずテレビいっぱいやっててうらやましいです。『すれすれガレッジセール』なんて5,000円くらいでやってたのに、今1本50万くらいでやってるでしょ?って、言っといてください(笑)」とおっしゃっていました(笑)

ありえないですよ(笑)。あの人こそ、YouTubeがあれだけ当たって、大金持ちじゃないですか。歌まで出して、紅白出ちゃうんじゃないかっていうくらいの勢いですよね。スターになりすぎちゃったので、またテレビでディレクターの仕事をやってくださいって思います(笑)。僕はディレクターのマッコイさんが好きなので、また一緒にやりたいですね。

――マッコイさんとはどのように出会ったのですか?

僕、もともと芸人で10年ほどやってたんですけど、何かのきっかけで「SHIBUYA-FM」っていうコミュニティFMの番組に週1回出るようになったんです。その番組でパーソナリティをやっていたのが、マッコイさんだったんですよ。本名の斉藤誠でやってましたね。そこに、全く売れてない僕らとおぎやはぎがレギュラーで出るようになって、一緒に大喜利をやってましたよ。「大きくなったら嫌なもの! ポポン!」とか言って(笑)。なぜディレクターのあの人があそこでラジオをやっていたのか、訳わからなかったですけど(笑)

――テレ東の佐久間さんより何年も先に。

早かったですよね。小木(博明)の出す回答に放送が終わってからみんなでダメ出しして(笑)。めちゃめちゃ懐かしいですね。

――ディレクターと放送作家として最初にマッコイさんとご一緒したのは?

『極楽とんぼのとび蹴りゴッデス』(テレビ朝日)という番組で、そのときの演出がマッコイさんでした。作家デビューしたのもその番組なんです。当時芸人を辞めて実家に帰ろうとしてるときに、先輩の加藤浩次さんから電話がかかってきて、「山本(圭壱)が台本通りにしかボケないから、現場に来て一緒にアドリブ考えてやってよ」って言われて。でも、テレビ局に入るためには肩書きが必要になって、「放送作家だな」みたいな感じで。だから最初は会議にも出ないで、いきなり現場に行ってるんです。結局僕、1回も「放送作家になる」って言ってないんですよ。

――もう言われるがままだったんですね(笑)

そうなんです。流されていたら今なので。でも、後に日本テレビの高橋利之さん(『行列のできる法律相談所』など総合演出)に「なんで作家になったの?」って聞かれて今の話をしたら、「加藤くん、めちゃくちゃ優しいね」って言ったんですよ。「何でですか?」って聞いたら、「そもそも芸人さんをやってた人に、ちょっとしか先輩じゃない人が『作家やれよ』って言ったらプライド傷つくじゃん。それ、加藤くんがわざとそういう言い方をしたんだよ。山本さん、本当に台本通りにしか動けなかったの?」と。それで当時のことを思い出したら、山本さん、むしろ台本なんて読んでなかったから「そうか!」と思って。加藤くんに会ったときに改めて聞いてみたら、「忘れちまったなあ」って言ってましたね(笑)

――めちゃくちゃかっこいい!

加藤浩次


だいぶ後に気づいたんですけど、加藤くんの戦略だった説が濃厚でした。とにかく「5,000円あげるから」って言われて現場に遊びに行くっていうノリだったんです。

演出がマッコイさんだったので、会議も面白いんですよ。福田雄一監督も、当時はいち作家として入ってて、初めてのテレビの会議でも昔から知ってる人ばっかりでファミリー感があったので、居着いたっていう感じですね。

――とても順調なスタートだったんですね。

それから、後輩のココリコが「石原さん、作家になったなら、秋から番組あるんで入ってくださいよ」って言われて、ココリコと藤井(隆)くんの番組に入れてもらったり。

――『フジリコ』(読売テレビ)ですね。

そうですそうです。そうやって芸人と仲良くして、なし崩し的にいろんな番組をやらせてもらったんですけど、ギャラはどこも死ぬほど安かったんですよ。だから、そのときはラジオが一番ギャラがよくて、TOKYO FMの『やまだひさしのラジアンリミテッド』っていう帯の番組の2曜日をやって、それで食いつないでましたね。テレビは友達と遊んでるみたいな感じが、当時はちょっとありました。

――とは言え、芸人さんをやっていた経験が、作家としてのスタートに有利に働いていたんですね。

でも、ちゃんと修業して作家になられてる方からすると、当時はちょっと目障りな存在だったと思います。リサーチ死ぬほどやって先輩作家の代わりに宿題めちゃくちゃやっていた人は「なんだよ、芸人と仲いいからって」っていう気持ちを、僕だったら絶対持つので。

○■パイロット番組のギャラが20年入り続ける!?

――そこからテレビでも食べられるようになっていくのは、どのような経緯だったのですか?

『とび蹴り』をやっていた長久弦さんというディレクターが『鉄腕!DASH!!』の立ち上げメンバーの1人なんですけど、その方に「『DASH』のADが企画書を出したいから若い作家と一緒に考えたいって言ってるんだけど」って言われて、「分かりました」と一緒にやることになったんです。それは、日テレの若い人たちが一斉に企画書を出す大会だったんですけど、当時の企画を選ぶ偉い方が「面白いんだけど現実的なのか分からないから、パイロット版を作って」と言われて。

それが、極楽とんぼとガレッジセールの『でっち上げビデオ団〜略してDVD』という、今で言うフェイクニュースを作る制作会社という設定の番組なんですけど、実際に作ってみたらあんまり面白くない。それで、偉い方が「そうだよな。こういう企画って実際やってみると難しいんだぞ」って言って、そのことを教えるためにパイロット版を作らせたみたいなんですよ。

――予算がある時代ですねぇ…。

でも、その番組の制作費が200万円くらいだったので、「申し訳ないけどギャラが払えないんですよ」と言われて、僕は「全然いいですよ」って答えたんですけど、「僕が今いちディレクターで入れてもらってる特番があって、次のクールからレギュラーになるみたいなので、そこにギャラ代わりだと思っていただいて入ってもらえないですか?」と誘ってもらったのが、『行列のできる法律相談所』(2002年4月スタート)なんですよ。だから、いまだに『でっち上げビデオ団』のギャラを頂いてるんです(笑)

――ものすごい見返りですね!

ここで高橋利之さんと知り合って、そこからグワっと日テレが広がっていった感じで、ものすごいラッキーなんですよ。

○■ディレクターによってキャラを変える

――キャリアを積み重ねられて、ご自身の一番手応えのある企画を挙げるとすると、何ですか?

その質問が一番困ってしまいまして…。いろんな企画には携わっているんですけど、「あれは僕の企画です!」と言ってしまってはいけないというのがバラエティのような気がして…。結局、バラエティってチームプレーなんですよ。若い作家の子がボソッと言ったことが「面白いよ!」って会議で転がって企画になっていくものなので難しいんですけど、しいて言えば『でっち上げビデオ団』ですかね(笑)。あれはまぎれもなく、出世の種でしたから(笑)

――マッコイさんも「作家さんはディレクターが何をやりたいか、その企画に対して『こういうことをやったら面白いかもよ』ってアドバイスをしてくれればいいんです」とおっしゃってました。

あの人らしい(笑)。番組やディレクターによっていろんな形がありますから、作家をすごく立ててくださる会議もありますしね。マッコイさんみたいなタイプは9割くらい自分の意見を押すので、ワンツーのパスを出してあげればいいという感じの人です。

――相手によってフォーメーションを変えていくという感じですか?

そうですね。どの番組でも同じキャラの作家っていないと思います。

●“長嶋茂雄のような”日テレスターディレクター

『行列のできる法律相談所 20周年企画〜さんまと豪華芸能人10年ぶり●●しましたSP』(日本テレビ系、1月3日20:50〜23:13)より(左から)後藤輝基、浜辺美波、竹内涼真、明石家さんま (C)NTV


――その中でも、特に印象に残るディレクターを挙げるとすると、どなたになるでしょうか?

やっぱり日本テレビの高橋トシ(利之)さんが圧倒的ですね。すべてを教えてもらったというか。別に授業してもらったわけじゃないんですけど、20年くらい一緒に会議をやっていて、トシさんが言ったことを「なるほどなるほど」と思ってテレビを作っているので、圧倒的にトシさんですね。

――石原さんから見て、どんな方ですか?

ひと言で言えば、“スーパーポジティブディレクター”という感じです。トシさんの手がける『行列のできる法律相談所』は、ご存知のように何度もピンチがありました。MCがいなくなったり、レギュラー陣も次々に姿を消していきました。そのたびに前向きに進化させていったのが、トシさんの人間性だと思います。

――印象に残る言葉などはありますか?

昨年、ちょっとキツい特番をトシさんの手伝いでやらせていただく機会がありました。そのときに僕が、「キツいっすね」と嘆いてしまったのですが、トシさんから「キツい番組をやればそれだけ成長してるでしょ! 50を超えてまだ成長するなんてうらやましいな〜」と言われたんです。ドラゴンボールの孫悟空に似てるなと改めて思いました(笑)

――日テレの制作の人たちと話をしていると、結構な割合でみなさん高橋利之さんの話題になります(笑)

長嶋茂雄さんみたいな人なんですよ。昭和のプロ野球ファンって、酔っ払うと最後は必ず長嶋さんの話するじゃないですか。それが、日テレの人はみんな「俺はトシさんにこう言われたんだ」って話するんですよ(笑)

――その高橋利之さんのノウハウがちゃんと伝搬しているのが、日テレの組織としての強さのような気がします。

そうですよね。トシさんが『行列』でスターディレクターになるまで、テレビ番組の会議って、時間がすごく長かったんですよ。それが当たり前だと思ってたら、トシさんの会議はものすごく短いんです。

あと、再現VTRの台本を書いて“トシさんチェック”っていうのがあるんですけど、僕の書いた5枚くらいの台本が1枚と3行くらいになって返ってきたんです。こんなに切ったら内容が分からないと思ったんですけど、OAを見ると全然伝わるんですよね。すごく分かりやすく、端的に、今の話題を切り取る…というのがあの人の武器のような気がします。

○■「SMAPがやってくれたらうまくいく」

――タレントさんで、特にこの人はすごかったと印象に残る方は、どなたになりますか?

僕が言うのもおこがましいんですが、やっぱりSMAPさんですね。『スマスマ(SMAP×SMAP)』(フジテレビ)をやっていたので、あんなすごいタレントさんは、やっぱりいないなと思います。

――どんなところが印象的ですか?

5人ともクリエイターなんですよ。例えば、中居(正広)さんが「今度、(草なぎ)剛にこういうことやらせてみたら?」とか、香取(慎吾)さんが「今度、(稲垣)吾郎ちゃんでこんなことやってみようよ」とか、5人が5人をブランディングできてるんです。

あと、スマスマといえば、歌ありコントありゲームありっていう究極のタレントバラエティじゃないですか。その中で、企画として甘かったり、コントとして弱かったりすることがあっても、結果最後に「SMAPがやってくれたらうまくいく」ということになるんです。テレビって、視聴率のことを考えて、「ああでもない、こうでもない」って粘りに粘るんですけど、かなりストレートにいろんなことができたのは、やっぱりSMAPがやってくれるからなんですよね。そういうスーパースターの総合バラエティをやれたというのは、自分の中では本当に夢のような時間でしたし、そんな人たちって、時代とかもあってあまり出ない気がするんですが、これから誰かがそうなることを祈ってます。

●『アウト×デラックス』の緊急事態「サイコロトークでしょ!」

『アウト×デラックス』MCの矢部浩之(左)とマツコ・デラックス


――石原さんにぜひ聞いておきたかったのが、先日(10月29日)諸事情で『アウト×デラックス』(フジテレビ)が急きょ放送当日の収録を撮って出ししたじゃないですか。久しぶりに、ワクワクする放送を見たなと思いました。

あれは朝11時くらいに、演出の鈴木善貴くんから電話がかかってきて、「今日収録なので頭だけちょっと撮って、後は総集編で作ろうと思います」って言われたんですよ。でもそれを聞いて、「総集編だと(出演者の)許可取らなきゃいけないから大変でしょう。全部完パケで撮っちゃったほうがいいんじゃないの?」「(監修の渡辺)琢さんって『ごきげんよう』やってたから、サイコロトークでしょ!」って言って(笑)

――『ごきげんよう』も撮って出しでしたもんね。

だから「琢さんにおまかせだよ!」って、そんなノリですね。それから各所に許可をとって、フジテレビ的に大丈夫なのかを確認して、1時くらいから収録が始まったんです。

――2時間後に! でも、見ている側は「これはどうなるんだろう…」ってドキドキしながら見て、すごく面白かったです。

そうですよね。これもトシさんが言ってたんですけど、『金スマ』(TBS)に大塚家具が揉めているときに娘さんが出たんですよ。それを見たトシさんが「これがテレビなんだよ! 今を切り取ってるんだよ! 阿部(龍二郎プロデューサー)さんすごいなあ!」って言ってて、なるほどなと思いましたね。今回は、たまたま収録日だったというのもラッキーだったんですけど、こういうことができると番組ってちょっと息を吹き返したりするので、いいきっかけになったのかなって思います。

○■お笑いバラエティの環境が激変

――今後こういう番組を作っていきたいといったものはありますか?

芸人さんが本気になる番組をやってみたいなと思うんですよね。芸人さんって非常に器用で「この番組だったらこのくらいでいいか」って全力を出す前に整えてしまう癖があるんですけど、僕がやらせてもらってる『M-1グランプリ』とかは、賞レースなので芸人さんが本気120%を出す番組なんですよね。ほかにも、『アメトーーク!』(テレビ朝日)とか『イッテQ』(日本テレビ)とか、そういう芸人さんが本気になって「ここで爪痕を残したい」と思ってくれるような、面白いけどギリギリの緊張感が見え隠れする番組を作りたいですね。

――『水曜日のダウンタウン』(TBS)とか、ドッキリで騙されたのに番組名を知ってものすごい喜ぶようなパターンもありますよね。それこそ『スマスマ』のような総合バラエティは、芸人さんが本気を出す番組ではないですか?

そうですね。今の時代、タレントの総合バラエティって本当に難しいんですけど、もう1回ああいう番組もやってみたいですね。

――最近は「コアターゲット」や「キー特性」など、テレビ局が少し若い世代をターゲットにした番組作りに注力し始めて、バラエティの作家さんとしては追い風になっているのではないでしょうか。

そうですね。この1〜2年で、以前は考えられないくらい芸人さんとの仕事がすごく増えました。だから、芸人さんのスケジュールを押さえるのも大変で(笑)。『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ)って、始まった当時は第7世代なんて言葉もないときで、芸人さんのスケジュールが結構取り放題だったんですよ。でも、今はちょっと有名になっちゃうと「すいません、その日は…」ってすぐなっちゃうんです。

――Mr.シャチホコさん、りんごちゃん、フワちゃん…と、『ガヤ』きっかけで売れた芸人さんがどんどん出てきますよね。

お笑い番組というより、芸人さんの“取扱説明書”になればいいかなって思うんです。芸人さんが大きな番組に出る前に慣れておく場というか(笑)。だから、あの番組からスターになったと言ってくれるのはすごくうれしいですし、やっていて楽しいですね。

――『ガヤ』とタイトルになっているだけあって、コロナの時期はその売りが禁じられてしまう中で、難しさがあったのではないでしょうか。

個々の力云々より、数で行っちゃえ!みたいな薄利多売の番組だったじゃないですか(笑)。でも、集団で出れなくなってしまったので、どうしても確実に笑いを取ってくれる人を少人数入れるという形になって、新しい人を入れることが難しくなってきてるんです。だから、スターを生みにくい状況になってるかもしれないですね。

一発まぐれ当たりした子をとりあえずひな壇に置いてみると、ヒロミさんや後藤(輝基)さんがイジってくれて、どれがどんどん回っていくみたいな番組だったんですけど、「やっぱりチョコプラにはいてほしいね」とか「ニューヨークだよね」「鬼越だよね」ってどうしても無難にいきたくなるじゃないですか。そうすると、新ガヤが2人しか入れられないみたいな状況になってしまうので、苦しいところではありますね。結局、視聴率をとらないと終わってしまうのがテレビなので、シビアな状況と日々葛藤しながらスタッフ一同熱く作ってます。

●YouTubeは「テレビが公式のルールでやってる」からこそ



――他にもコロナの状況で意識されていることはありますか?

今、会議がほとんどリモートなので、「雑談」がないんですよね。だから、あえて雑談する時間を作ろうとしています。

――そういうところから、実は面白い企画が生まれたりするといいますもんね。

そうなんですよ。今までだったら、会議に早く来ちゃうとか、残ってダラダラしゃべってるうちに何か生まれてきたんですけど、今はボタン1個で画面を閉じちゃうので。一緒に飲みにもいけないですしね。

あと、垣根なく仕事をしていかないとダメだなと思っています。放送作家って、今まではネタを出して台本にして会議で話して…ということをしてきましたけど、もっと作家が主体となって企画書を出すとか、タレントさんと組んでネタを作るとか、そういうことをどんどんしていかないといけないと思いますね。たぶん制作費も下がって先細りしていくので。だから、僕の場合はコロナになってから映像の編集を覚えましたよ。YouTubeとか、ちょこちょこやってみようと思ったりしてます。

――放送作家さんでYouTubeに進出される方も増えていますよね。

ただ、テレビほど企画がシビアではないので、作家としては入れないかなと思うんです。どんどん新しい動画を回していかないといけないじゃないですか。そうすると、企画を揉むというより瞬発力なので、作家として入っても、いずれは必要ないと言われて弾かれる気がするんですよ。そこで、「僕は編集もできるから使ってください」と言えるようになっておこうと思ったんです。

――そうしたYouTubeや、Netflixなどの動画配信も出てきた中で、テレビの果たす役割というのはどのように考えていますか?

僕もYouTubeは最近すごく見るんですけど、“テレビが公式のルールの中でやってる”から、YouTubeって面白いのかなと思ったんですよ。テレビってすごく制限やルールが多くて、その中で頑張って面白いことをやろうとしている。でも、それは視聴者には全く関係ない都合だったりして。だけど、YouTubeはそんなことは関係なくすごいスピードで「じゃあテレビでできないことやってやろう」ってできる。結局テレビがベースにドーンと存在しているんじゃないかと思います。

――築き上げてきた基礎を崩していくような。

まさしくおっしゃるとおりだと思います。だから、しっかりとルールのある中で、やっぱりちゃんと面白いものをテレビで作り続けていかないと、他の動画サービスやSNSにも反映してこないのかなって思いますね。

○■掛け合いのコントだった『西遊記』

――ご自身が影響を受けた番組を1本挙げるとすると、何ですか?

バラエティだと、月並みですが『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)と『とんねるずのみなさんのおかげです』(同)だったりするんですけど、最初に面白いと思ったのは、『西遊記』(日本テレビ、78〜80年)だったんですよね。

――孫悟空が堺正章さんの。

はい。あと西田敏行さんが猪八戒で、岸部シローさんが沙悟浄で、あの3人の掛け合いが、まさにコントだったんですよ。三蔵法師(夏目雅子)がお供を連れて天竺を目指す途中に妖怪が出てきてそれと戦う…っていうのを毎週1時間やってるんですけど、どこで尺を作ってるかというと、あの3人の掛け合いややり取りなんですよね。今、福田雄一作品を「どこまでが台本でどこまでがアドリブか」みたいな感じで若い方が楽しんで見ていますけど、僕も子供ながらにあの3人がどこまでお芝居なんだろうって不思議に思って見てたんです。

それと、西田敏行さんの“負け芸”っていうんですかね、あれが大好きで(笑)。後々のダチョウ倶楽部の上島竜兵さんのもっとシビア版というか。それが面白くて、コメディとの最初の出会いだったと思います。

――いろいろお話を聞かせていただき、ありがとうございました。最後に、気になっている“テレビ屋”をお伺いしたいのですが…

『アウト×デラックス』の鈴木善貴くんかなあ。「『アウト』で人がいない」とか「収録前なのにまだ人が決まってません」とかしょっちゅうLINEが来るんですけど、そこで「友達の友達に会ってみようと思います」とか言ったり、美術セットにお金がないから「家にあるものいっぱい持ってきます」とか言ったり(笑)、いい意味でテレビマンらしくない“素人”な感じが出て、それがうまく演出に出てるような気がするんです。

あと彼には、なんで毎回「アウトな人がいない」って悩んでるのに、編集でバツバツ切るんだって聞いてください。そこは絶対もっと使えるでしょうってところをどんどん切っていくんです。でも、「ここからは面白くない」っていう判断ができるので、テレビマンとしてはものすごく真っ当で正直なんだなと思いますね。

次回の“テレビ屋”は…



フジテレビ『アウト×デラックス』演出・鈴木善貴氏