東京五輪&パラリンピック
注目アスリート「覚醒の時」
第5回 バレー・石川祐希 
高校史上初の6冠を果たした春高バレー(2014年)

 アスリートの「覚醒の時」--。

 それはアスリート本人でも明確には認識できないものかもしれない。

 ただ、その選手に注目し、取材してきた者だからこそ「この時、持っている才能が大きく花開いた」と言える試合や場面に遭遇することがある。

 東京五輪での活躍が期待されるアスリートたちにとって、そのタイミングは果たしていつだったのか……。筆者が思う「その時」を紹介していく--。

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高校6冠を達成した星城高校のエースとして活躍した石川

 絶対的エースとして日本代表を牽引する石川祐希(バドヴァ)。その名がバレーボールファンに広く浸透したのは、愛知県の名門・星城高校3年時に迎えた2014年1月の「春高バレー」で、高校史上初の6冠(2年連続でインターハイ、国体、春高を制覇)を成し遂げた時だろう。

 姉の影響で小学4年生からバレーボールを始め、中学3年生の時に愛知県代表としてJOC杯全国都道府県対抗中学大会に出場した石川は、2011年に星城に入学。2012年に行なわれたアジアユースではエースとして活躍し、銅メダルを獲得。自身はベストスコアラーに輝いている。

 また、高校2年のインターハイから始まった星城の快進撃は6冠まで続いた。高校最後の全国大会でもある2014年の春高は、石川にとって高校生活の集大成であり、現在につながる実力を知らしめた大会でもあった。

 この年代の星城は「奇跡のチーム」と呼ばれた。”日本バレー史上最高の逸材”と評価されていた石川以外にも、Vリーグ2019−20シーズンでジェイテクトSTINGSを初優勝に導いた中根聡太(教員の道に進むために今年3月に引退を発表)がセッターを務め、石川と同じサイドアタッカーには、堺ブレイザーズの山粼貴矢と、のちに中央大学でも共にプレーするJTサンダーズ広島の武智洸史がいた。

 さらに、ミドルブロッカーに神谷雄飛(ウルフドッグス名古屋)、リベロにはウルフドッグス名古屋に所属しながら、イタリアやドイツなど海外リーグに挑戦し続ける川口太一(ロッテンブルク)と逸材揃い。そんなドリームチームに、竹内裕幸監督の指導法がうまくはまった。

 竹内監督の方針は「選手たちに細かく教えすぎないこと」で、課題は与えるが口出しは極力しない。ミーティングにも監督は加わらず、選手たちのみで行なう。石川が3年生で主将を務めていた時も、互いに意見を出し合った。そうして考える力が育まれた選手たちだからこそ、どこにも負けない強さを手に入れることができたのだ。

 2014年の春高の名勝負として、準決勝の星城vs東福岡(福岡県)戦を挙げる人が多いだろう。当時の東福岡も、のちにVリーガーになる1年生エース・金子聖輝(JT:現在はセッター)をはじめ、2年生には永露元稀(ウルフドッグス名古屋)、谷口渉(FC東京)らを擁しており、まさに天王山、事実上の決勝戦だった。

 星城が2セットを先取し、そのままの勢いで走り抜けるかと思われたが、第3セットは東福岡のペースで試合が進んで一時は5−12と7点差がついた。しかし石川がブロックの上から打ち抜くスパイクを決めると、星城がじわじわと東福岡を追い詰めていく。セッターの中根は石川にボールを集めながら、神谷のクイックも効果的に使う。さらに武智のブロックや川口のスーパーレシーブも飛び出すなど、ついに21−21の同点に追いついた。

 悲願の”絶対王者超え”を目指す東福岡も簡単には譲らない。試合がデュースに持ち込まれ、エース同士の打ち合いになった。白熱のラリーが続き、両チームとも30点を超える死闘になったが、最後はラリーから武智がスパイクを決めて34−32で星城が勝利した。

 決勝に駒を進めた星城は鹿児島商もストレートで下し、公式戦99連勝で2大会連続優勝を決めた。攻守で大活躍した石川は2年連続で最優秀選手賞を受賞。石川は、優勝記者会見で「周りのサポートがあったから自分たちのパフォーマンスができた」と話した。竹内監督や保護者への感謝の気持ちはもちろん、レギュラーメンバーを支えた控え選手たちなどへの思いが、このひと言に詰まっていた。

 この年の春高の映像を見直すと、石川のバレーセンスが随所で発揮されていることがわかる。打点が高くスピードがあるスパイクは、相手ブロックの完成前、あるいはブロックの上から打ち抜かれていた。守備の技術も高く、ユースカテゴリーで永露とツーセッターを組んだこともあって、ボールさばきも巧さが増していた。

 最後の春高で星城の6冠を阻むために、他校の石川へのマークも一段と厳しかった。しかし、そんなプレッシャーを感じさせない安定したプレーを続け、勝負どころでもしっかり得点を重ねてチームを鼓舞。強靭なメンタル、リーダーシップを兼ね備えた”超高校級”のオールラウンダーが、日本代表や海外の強豪チームなどで活躍する未来を予感させる大会だった。

 中央大学に進学した石川は日本代表入りを果たし、2014年のアジア大会に出場した。翌2015年にはワールドカップに出場して、チーム最年少ながら大活躍。石川や、現在の日本代表の主将・柳田将洋ら若手4選手は「NEXT4」と命名され、低迷していた男子バレー界に一大旋風を巻き起こした。

 大学卒業後、石川はVリーグに所属せず、プロ選手として海外で活動する道を選ぶ。日本代表の中心選手に成長し、昨年のワールドカップでは大会史上最多の8勝、28年ぶりの4位に貢献した。あの春高から7年後となる2021年。東京五輪が無事に開催され、石川が観る者を魅了するプレーを見せてくれることを願ってやまない。