米国ではアマゾンの無人店舗「AmazonGo」が注目を集めているが、日本でも無人店舗を展開する企業がある。JR東日本スタートアップとサインポストとの合弁で設立されたTOUCH TO GO(阿久津智紀社長)だ。すでに大宮駅、赤羽駅で無人コンビニの実証実験を終えて、2020年春に開業する高輪ゲートウェイ駅で1号店をオープンする予定。日本発の無人店舗システムは、アマゾンを凌駕できるのか。田原総一朗が切り込む――。

■人がいないと万引とかされちゃうんじゃないですか

TOUCH TO GO 代表取締役 阿久津 智紀氏

【田原】2020年春、山手線に高輪ゲートウェイという新駅ができます。そこに阿久津さんは無人のコンビニをオープンするそうですね。無人ってよくわからない。人がいないと万引とかされちゃうんじゃないですか?

【阿久津】システムをご説明すると、お客様が入ったときに、カメラでお客様を認識して追いかけていきます。さらに、入ったお客様が商品を取ったらそれを追随。決済ゾーンに立ったら、この商品とあの商品を持っているということはわかるので、その代金を決済してもらいます。決済が終わらないとゲートが開かない仕組みになっているので、技術的には万引はできないことになっています。

【田原】お金を払わないと外に出られないわけだ。

【阿久津】はい。駅の中だと現金回収の人件費などのコストが大きいので、今回はキャッシュレス。Suicaで決済していただくことになります。

阿久津 智紀●1982年生まれ。2004年専修大学法学部卒業後、JR東日本へ入社。駅ナカコンビニNEWDAYSの店長や、青森でのシードル工房事業、ポイント統合事業の担当などを経て、ベンチャー企業との連携など、新規事業の開発に携わる。19年7月より現職。

【田原】キオスクの店員さんと比べてどうなんだろう。ベテランだと、人のほうが早いんじゃない?

【阿久津】人での対応はもう限界です。昔、駅の売店は、三種の神器である酒、タバコ、新聞が売れていれば成り立ったのですが、それらが売れなくなった。かわりにお菓子やサンドイッチを売っていますが、利益率が低くなり、高人件費にはとてもじゃないですが耐えられません。

【田原】なるほど、だから無人化が必要なんだ。でも、無人とはいえ、品出しは人手がいるでしょう?

【阿久津】われわれは無人店舗ではなく「無人決済店舗」と呼んでいます。決済や商品管理の部分を無人にするだけなので、ほかは人の手でやらざるをえないですね。

【田原】でも、人を常時置く必要はなくなりますね。たとえば自動販売機に飲み物を補充する人みたいに、誰かがいくつかの店舗を巡回して品出ししてもいいわけだ。

【阿久津】それを狙ってます。私は駅の中の自販機の仕事もやっていたのですが、日本の自販機って、食品がまったく売れないんですよ。じつは米国が約600万台、日本が約500万台とほぼ同じくらいの飲料自販機がありますが、さらに米国は約100万台くらいの食品自販機がある。きっと日本人は、食品は手に取ってボリューム感や質感を見てから買いたいんでしょうね。無人決済コンビニなら、そうしたユーザー体験を大事にしたまま、自販機のような効率性も実現できるんじゃないかと。

■どうしてJR東日本で新規事業だったのか?

【田原】もともと阿久津さんはJR東日本の社員だ。どうして無人コンビニをやることになったのですか?

【阿久津】JR東日本はこれまでさまざまな事業をやってきました。ただ、やる前に計画書をつくって、予算取りをして、会議にかけて、設計してというプロセスを経るうちに3年くらい経ってしまうことが珍しくありませんでした。これでは世の中の流れについていけないなと感じていたときに、オープンイノベーションという考え方を知り、JR東日本でもそれをやろうと提案。それでできた会社が、JR東日本スタートアップです。その会社でのプログラムで、サインポストというベンチャーと出合って、一緒に無人決済店舗をやろうという話になりました。

【田原】サインポストは何をしている会社ですか?

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【阿久津】もともとは金融のコンサルをやっている会社です。社長は地域の活性化に課題感を持っていて、地方の店舗の人手不足問題を解決するために、決済を無人化する基礎研究をしていました。ただ、単独では製品化に時間がかかるので、JRと一緒にやれないかと話をいただきました。その話を聞いて約半年後の17年に埼玉の大宮駅で1週間の実証実験を行いました。

正直、大宮のときは急ごしらえのシステムで、不具合がたくさんありました。オープン5分前までシステムが動かなかったり、2日目にシステムが止まってしまってお客様にお詫びしたり。やってみて初めてわかったことが多く、それらを改善して18年に赤羽駅でまた実証実験を行いました。

【田原】赤羽では何が改善されたんですか?

【阿久津】画像認識精度の向上です。大宮のときは人や商品が重なったときにうまく検知できないことがあり、お客様は1人ずつでしか店舗に入れませんでした。赤羽では、それらを認識できるように改善。同時に3〜5人が一緒に入って買い物ができるようになりました。

【田原】今度は仮設ではなく、ちゃんとした店舗?

■無人決済システムで人件費を削減すること

【阿久津】はい。じつは実証実験という生煮えのものを駅でやることについてJR内で大きな反対があったんです。ただ、赤羽駅に売り上げが厳しいため閉店したキオスク売店跡地があり、そのような空き店舗を無人決済システムで人件費を削減することでサービスを継続することができれば、ホーム上や地方でキオスク売店を維持することができるのではという考えでスタートしました。

【田原】赤羽での実験はどうでしたか。

【阿久津】赤羽の店舗には1日約500人くらいのお客様が来てくださいました。ただ、同じ業界の方も多くて、本当に認識できるのかどうか、たくさん意地悪もしていただきました(笑)。

【田原】たとえば?

【阿久津】商品を店内で投げたり、あえて手をクロスして商品を取ったり、はたまた店内を走り抜けたり。でも、おかげで課題がたくさん見つかりました。意地悪ではないですが、お子さんを抱っこしたお客様が来店して、店内でお子さんが離れて歩き出したら、認識できなくなったというケースもあった。いいテストケースをたくさんいただいたいい実験になりました。

【田原】赤羽店は2カ月で閉めた。

【阿久津】いまは社内のデモ店舗で、見つかった課題の改善に努めています。技術的に明かせないところがあるのですが、システムの精度を上げて、次の高輪ゲートウェイでは入店人数の制限なしでいけそうです。

【田原】阿久津さんは、もともと小売りをやりたかったんですか?

■大企業の中で30代で社長になった

【阿久津】私は栃木の田舎育ちで、公務員の父からは「公務員になれ」と言われてきたのですが、高卒の父が学歴で苦労する姿を見て、民間で実力勝負がしたいなと。大学で上京して、アルバイトを始めたのが立川の駅ビル「グランデュオ立川」のグロッサリー売り場。そこで駅の商売にポテンシャルを感じたことが、小売りに興味を持ち始めたきっかけでした。

【田原】何に興味を持ったの?

【阿久津】駅は朝と夕方でニーズが違って、普通の市中の路面店とはまったく違う動きをするんです。ある宗教施設のイベントがあると突然お供えものが飛ぶように売れたりする。非常に変化が大きい売り場であることが面白かったですね。

【田原】でも、小売りじゃなくて鉄道会社に入社する。どうして?

【阿久津】グランデュオにJR東日本の社員が出向で何名かいて、「入社試験を受けてみたら」と誘われたのがきっかけです。JRは鉄道業だと思っていたのですが、聞くと鉄道事業採用のほかに生活サービス事業採用もあった。駅のビジネスに魅力を感じていたので、そちらの枠で04年に入社しました。

【田原】入社後は?

【阿久津】生活サービス採用ですが、最初は鉄道の勉強も必要で、半年間、盛岡駅で研修を受けて実際に駅の仕事をやらせてもらいました。その後、JR東日本リテールネット、つまり旧キオスクに本配属されました。JR東日本リテールネットは「ニューデイズ」という駅ナカのコンビニを運営していて、私は大宮、東川口、南与野で副店長や店長を経験させてもらいました。大宮は通勤のターミナル店、東川口は埼玉スタジアム2002の最寄りで、サッカーの試合がある日はおにぎりをタワーのように積み上げる店、南与野は住宅地。それぞれ特徴が違う店舗を経験させてもらって勉強になりました。

【田原】それから?

【阿久津】ニューデイズは2年半くらいで、その後は駅に出店する専門店の開発に携わりました。その後、自販機の仕事をやって、10年に青森に行きます。

【田原】青森?

【阿久津】10年12月に東北新幹線が新青森まで延伸したのですが、そこでJRと青森県で観光に資する事業をやろうという話になり、青森駅前でリンゴを使ったお酒をつくる工房とお土産売り場の複合施設「A-FACTORY」をつくることに。

【田原】リンゴのお酒って、阿久津さんがつくったの?

【阿久津】いえ、リンゴのお酒はシードルと言いますが、当然、知識やノウハウは何1つありません。地元のいろんな方とお話をして、酒造会社から若い人を出してもらったりして、なんとか製品化に漕ぎつけました。青森には5年間いて、3年目にやっと黒字転換。ベンチャー的な働き方をしたのは初めてで、これもいい経験になりました。

【田原】その後、本社に戻られる。

【阿久津】それまでグループ各社がバラバラに出していたポイントを「JREポイント」にまとめる仕事を担当しました。JREポイントの導入が16年2月にあって、その後にJR東日本スタートアップを立ち上げたという流れです。

【田原】いまはTOUCH TO GOという会社の社長ですね。この会社はいつできたんですか?

【阿久津】19年7月にJR東日本スタートアップとサインポストの合弁でできた新会社です。サインポストがアクセラレータプログラムの最優秀賞を獲って実証実験が始まりましたが、誰が事業リスクを負うのかというのが曖昧で、そのままでは「実証実験をやってよかった」で終わるおそれがありました。リスクを取って前に進めるには母体が必要。この事業にはそれだけの価値があると思って、会社を設立しました。

【田原】本社からすんなりOKは出たんですか?

■逆に背中を押してもらえました

【阿久津】いや、それもいろいろありまして。たとえば、スタートアップ企業が描く数年事業投資をして、赤字を出し続け、一気に事業拡大を目指すJカーブを描く事業計画への懐疑の声。あとは私自身が30代で、JR本社だと下手をすると若手と呼ばれてしまう年齢だった。それらに対して不安の声もあったのですが、上には根気強く説明して説得しました。いろいろな難関をクリアして最後に役員に説明しに行ったときには、「出資金6億円で夢が買えるならいいじゃないか」「なぜ早くやらないんだ」と、逆に背中を押してもらえましたね。

【田原】高輪ゲートウェイでうまくいったら、次はどうするの?

【阿久津】米国でアマゾンが無人店舗を始めましたよね。アマゾンは自らが小売店となるビジネスモデルのようですが、私たちは小売店に無人決済システムを提供するビジネスモデルです。高輪ゲートウェイ店は、システムのショールーム的な位置づけ。無人決済がきちんとできるんだということを、人手不足で悩んでいる小売店の皆さんに見てもらえたらなと。

【田原】グループの駅ナカのコンビニもお客さんになるということ?

【阿久津】もちろん真っ先に営業しています。ただ、ほかのコンビニや外の一般的な路面店もお客様になってきます。

【田原】アマゾンの無人店舗はどう見ている?

【阿久津】あれだけの商品数やお客様を認識するのは凄いと思います。実際に行ったときは無人と言いつつ、ほぼ人が案内していましたが(笑)。アマゾンでも完全に実現できていないことを日本で実現したいと思っています。

【田原】TOUCH TO GOの事業がうまくいったら、将来はどうする?

【阿久津】今回カーブアウトという手法で新会社をつくったので、今後はJR東日本以外からの出資を受けることも考えていきたい。将来は上場を目指しています。狙っているのは、文房具メーカーからスピンアウトして大きくなったアスクルのイメージです。

【田原】まだまだ大きくなりますね。ぜひ頑張ってください。

阿久津さんへのメッセージ:大企業の中での、新しいキャリアパスを突き進め!

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田原 総一朗(たはら・そういちろう)
ジャーナリスト
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。
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阿久津 智紀(あくつ・ともき)
TOUCH TO GO 代表取締役
1982年、栃木県生まれ。2004年専修大学法学部卒業後、JR東日本へ入社。駅ナカコンビニNEWDAYSの店長や、青森でのシードル工房事業、ポイント統合事業の担当などを経て、ベンチャー企業との連携など、新規事業の開発に携わる。19年7月より現職。
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(ジャーナリスト 田原 総一朗、TOUCH TO GO 代表取締役 阿久津 智紀 構成=村上 敬 撮影=佐藤新也)