月曜・火曜は『BathHaus』、木曜は『改良湯』、土曜は『喜楽湯』からの『BathHaus』に日曜は『喜楽湯』からの『改良湯』……。
大学を休学して、こんな働き方をしている番頭がいるらしい。

今日は彼の修行先の一つである『BathHaus』で、“銭湯休学”中の番頭、川端一嵩さんに話を聞いた。

 

昔から、お風呂は身近にあった

ーー初めまして〜! 大学を休学しながら銭湯修行されていると聞き、お話を伺いに来ました。

よろしくお願いします!
「銭湯を経営する!」と決めた時から約一年間、銭湯のことを考えなかった瞬間は1分たりともなかったので、その思いをお話できたら嬉しいです。

ーーそれほどまでに銭湯に夢中なんですね。そもそも銭湯に関わろうと思ったきっかけはなんでしたか?

地元は石川県小松市の粟津温泉で、18年間暮らしていました。住む街に「お風呂」があることが当たり前であり、生活の一部だったんです。
小さな頃から家族で近くの温泉に通っていたし、大きくなってからは、地元のお兄ちゃん達と遊んだあとに「温泉行こうぜ!」って一緒に入ることも。温泉街を通らないと、学校に行けなかったですしね。

さらに、大学で自転車サークルに入って日本中を旅する間、行く先々で銭湯に入っていたんです。そこで、その土地ごとの銭湯の魅力に気づいて。

ーーその土地ごとの魅力というと?

銭湯の外観の作りが素晴らしいところや、立地がよくて地域の人たちの憩いの場になっているところ、番頭さんの人柄が最高なところもあれば、それが全部揃っているところなど……その魅力はさまざまでした。
たとえば、北海道の宗谷岬にある『みどり湯』は、ライダーハウスも一緒に経営していて、銭湯はライダーだらけだったし、とある銭湯では、町内中から人が集まってみんなで同じ話題を共有していて。こんな景色があるんだと驚きでした。

ーーなるほど。日本全国を旅したからこそわかる魅力ですね。

銭湯を利用する立場から、銭湯を経営したいと思うようになったのはいつだったんですか?

夏休みを使って日本を旅する中で、「銭湯」に漠然とした興味がわき、いろいろと調べてみたんです。それまでは、銭湯や温泉の存在が当たり前すぎて、ネットで調べることすらしなかったんですけど。
すると長い歴史があるにも関わらず、その数が減っている斜陽産業であること、一方で若い経営者が銭湯を引き継ぎ、新しい文化の担い手になっていることを知りました。

銭湯の数は減っても、ゼロになることはないはず。それなら数が減っていく分、1軒1軒の価値が高まると思って、銭湯の世界に入ることを決めました。
当時は「俺でもできるんじゃないか」となめてかかってましたね(笑)。

ーー決意してから、まだ1年ちょっとしか経っていないなんて驚きです! それから、どんなアクションを?

最初に、銭湯に関わるいろんな方にSNSを通じて連絡をとりました。今思えば、非常に無礼なメッセージを送ったと思います。とりあえず、「銭湯について教えて欲しい」という一心で。忘れもしない、去年の8月31日のことです。

▲インスタのアカウントを開設して、いろんな人にメッセージを送ったという

ーーどんなレスポンスがありましたか?

返事をいただけないことのほうが多かったですね。身知らずの大学生から、急な連絡があったら怪しいじゃないですか。
でも、他人に時間を割いてもらうことは、僕がその人の大切な時間を使うということ。生半可な気持ちではいけないと気づきました。

その中でも『サウナの梅湯』などを経営されているゆとなみ社の湊三次郎さんや、東京銭湯の日野祥太郎さんは返信をくださって。
湊さんからは「銭湯って、本当に大変だぞ?」と念を押されましたね(笑)。

ーー苦労されてきたからこそ、川端さんがどれだけ本気かを知りたかったんでしょうね。

 

銭湯での出会いが、学び

▲BathHausの店頭に立つ川端さん

ーー銭湯経営者に会ってその苦労話を聞いても、銭湯への想いは揺らがなかったんですね。

ある時、日野さんに誘われて東京銭湯の忘年会に行ったら、喜楽湯のメンバーや銭湯好きがたくさん集まっていました。揺らぐどころか、これだけの仲間がいるのであれば「自分でも銭湯経営ができそうだ」と思えたんですよね。
そして、仲間に具体的な夢も語るようになりました。「金沢で、美大学生の寮を併設した銭湯を経営したい。銭湯とハンドメイドの店、アトリエが並んでいるような場所を作りたい」みたいに。

ーーそれだけ明確な目標がすでにあるんですね!

といっても、今はいろんなアイディアが浮かんでいる段階です。
去年の夏に想像していたのは、公民館のような存在の銭湯でした。目の前に通学路があって、銭湯の前でラジオ体操をやろうって、ワクワクしながら想像していたのを思い出します。
ほかにも、観光客が少なくなってしまった地元の温泉街を立て直したいとも思いますし。

ーーなるほど。いろんなアイディアが浮かんでいる段階なんですね。実際に銭湯で働いてみていかがですか?

銭湯に対する知識量もそうですが、世間について知らなさすぎると感じています。
お客さんや、ほかの銭湯関係者と話していると自分が知らないおもしろい話が出てくるんです。「自分はなんて無知な子どもなんだろう」って思って(笑)。だから頑張りたい。
銭湯経営の準備は進めていきつつも、音楽のこと、ファッションのこと、遊びのことなどをお客さんから教えてもらえるので、そういうものを吸収していこう、と思えるようになりました。

ーー学生の時って、同世代との関わりが多い人がほとんどだと思うんですが、その中で幅広い年代の人たちと会って、自分の足りないところに気づけるというのは、貴重な経験ですよね。

「修行の場にいるんだな」と感じます。
銭湯という一本の道に絞ったことで、グングン前に進んでこれたように思います。単なる大学生じゃなくて「お風呂屋さんの人」になったからこそ、いろんな人に話を聞いてもらえるし、興味も持ってもらえる。銭湯に振り切ってよかったです。

 

休学に踏み切って見えてきたもの

ーー休学したいと伝えた時、ご家族はどんな反応でしたか?

最初は反対されました。なので、1年間の収支計算表や東京銭湯のWebサイトをコピーしていって説得したんです。

ーー計画性のある話だという根拠を見せたんですね。

はい。実は僕、高校生の時に「学校なんて行ってられるか!」って反抗して、家出したことがあったんです。でも、計画性なんてないままに飛び出したので、すぐに実家に戻ることになりました。

▲休学中の収支計算表を親に見せて説得したという

「これやりたい〜!!!!」と、駄々をこねるだけじゃ、あの頃からなにも成長しないままの子どもですよね。親にお金を払ってもらいながら休学するわけですから、銭湯に対する気持ちや計画をできるだけ丁寧に伝えようと努力しました。最終的に、親には「あんたは人と関わるのが好きだから、銭湯はあっとるんかもね」って言ってもらえて。

ーー今はご両親も応援してくださってるんですね。今年の4月から休学中ですが、どんな生活をしていますか?

風呂なし物件に住みながら、『改良湯』、『BathHaus』、『喜楽湯』など、ほかにもいろんな銭湯でアルバイトしてきました。現在は3軒の銭湯で働いています。それぞれ、お湯の沸かし方もテイストも違うので、勉強になりますね。

ーーこの1年で自分が一番変わったと思うことはなんでしょう?

「物事にハマり続ける感覚」が身につきました。「今日はこういうことをやった」という一日一日を積み重ねていくことで、気づいたら物事が動いている。
去年の8月31日を起点に、自分自身が動けば物事って進むんだ、ということを実感しています。

ーー目標に向かってグングン進んでいる今の生活の中で、なにをしている時が一番おもしろいですか?

将来の銭湯像をイメージすることですね。
バイトとしてじゃなくて、経営者の立場で思い通りの銭湯を作りたい。だから今は、実績を作ることに集中したいんです。「この銭湯をこんな風に変えた」っていう実績・信用をつくりたいですね。

小学校の時、「そんなことしてたら信用をなくしますよ」っていうのが口癖の先生がいたけれど、当時はよく意味がわからなかったんです。けれど、銭湯で働いてみて先生の言葉を思い出す機会が増えました。

ーー「信用」については、どう考えていますか?

「信用」は、年齢に関係なく、物事に対する真剣さから生まれるものだと思います。
銭湯をやりたいのであれば、銭湯を経営している大人たちと同じ土俵に立たないといけない。銭湯業界で僕は最年少だから、それを利用して可愛がってもらうことはできるけれど、そうしたくない。それは、彼らと同じくらいに自分の言葉に信用や影響力を持ちたいからです。

 

歴史の潮目に立っている


ーー川端さんの今の目標を教えてください。

「自分の銭湯を持つこと」ですね。いろんな手段を駆使して、早く自分の銭湯をやりたい。

一般的に、銭湯を経営するには「すでにある銭湯を引き継ぐこと」が前提だと言われているんですが、出資者を募って自分で建てちゃうのもアリだなと思っています。定説を信じ込んで、選択肢を狭めることはしたくない。出資者を募るには、まず僕に信用がなくてはいけないんですけどね。

ーー地元が温泉街であることや、日本一周を経験されているというお話から、地方での銭湯のあり方に興味を持っているように思うのですが、経営する場所は決めていますか?

地方で銭湯経営したいという思いがあるので、地方の銭湯視察をしています。
先日、長崎の『日栄湯』さんに行ったのですが、そこは見た目も、立地も、番頭さんの人柄も完璧でしたね。
長崎には、街自体が新しいものを拒まず吸収する風土があるように思いました。外国の方もその街の人として馴染んでいるのがすごい。長崎も候補地の一つになりました。


ーー銭湯を経営する上で、どんなことを大切にしていきたいですか?

最近、小山薫堂さんの「湯道」という記事を読んで、「文化」について考えるようになりました。銭湯に入るという文化の中の、どの部分を残していくかは、僕らの手にかかっています。僕は「心落ち着ける場所としての銭湯」や「せわしなさから解き放たれた銭湯」を残していきたい。

その上で、「待つ」ということも大切にしたくて。
昔の銭湯には、子どもが母親と一緒に女湯に入って、父親が男湯から上がってくるのを待つ風景がありました。でも最近は、すぐに連絡が取れてしまうから「待つ」ということをしないですよね。
もしかしたら、僕たちの世代は「待つ感覚」を忘れてしまっているのかも。待つことは、相手を思いやること。僕が銭湯を作るなら、そんなゆっくりとした時間を大切にする銭湯にしたいです。

ーー速さ優位の時代だからこそ、スローな場は貴重になっていくでしょうね。

僕自身、銭湯という文化のおかげで社会と接することができ、いろんなものが見えるようになりました。

長く続く銭湯文化ですが、今はその歴史の潮目だと思っています。そして、仲間がいることにも気づけた。だから、僕がその文化を仲間と一緒に守りたいんです。

ーー最後に、川端さんの思う銭湯の魅力ってなんですか?

僕にとっては「お風呂に入れること」(笑)。
それ以上でもそれ以下でもないじゃないですか。そして、魅力を感じる部分は人それぞれでいいと思っています。

強いていうなら、銭湯それぞれの楽しみ方があることですかね。
都内には銭湯が550軒あって、一つとして同じものはない。550種類楽しめる“ガチャガチャ”を回すような楽しさがある。

あとは、お風呂上がりに不機嫌な人っていないから、幸せな場所であることも魅力かもしれないですね。
お風呂に入ること自体が気持ちのよいものだし、家にはない高い天井や、抜けていく風、そこで全裸になれる開放感、お風呂上がりのコーヒー牛乳などなど……いろんな要因が相まって、お客さんはみんなご機嫌になっていきます。
気分のよい人と喋っていたら自分も楽しい。銭湯ってそういうご機嫌さがあるから好きです。

ーー長い銭湯文化の中で、川端さんのような若者が銭湯をどう守り、どう変えていくかがとても楽しみです! 今日はありがとうございました!