雨季のミャンマーでの試合は大雨が降りしきる中で行なわれた。相手のラフプレーに互いに色めき立つ場面も。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 オランダ・フェンロでコーチとして活躍したのち、本場・イングランドのリーズ・ユナイテッドの強化スタッフ入り。現役引退後は欧州クラブの監督を目指し、活躍の場を海外に移した藤田俊哉氏は、長年培った海外でのキャリアを活かすべく、昨年9月から「欧州駐在強化部会員」という日本協会の新ポストに就任した。“世界の目”を持つ日本代表のキーマンに直撃する連載インタビュー。今回は「ワールドカップ2次予選・ミャンマー戦」の印象について話を伺った。――◆――◆――――ワールドカップ・アジア2次予選の初戦、ミャンマー戦は2対0で勝利しました。現地入りしてからの日本代表チームの状況はいかがでしたか。「ミャンマーは“これぞアジアのアウェー”というような困難な環境だった。コンディション調整が大変だったけど、与えられた環境の中で、選手たちは試合に集中して臨めていたのは良かった」 

――具体的に、どのあたりが大変でしたか。「雨季のミャンマーはスコールがすごかった。練習場も厳しい環境。Jリーグでは考えられないような場所で、シャワーはなかったし、芝生のグランドとは言えないドロドロのぬかるんだ状況だった」――試合当日も土砂降りの雨でした。ピッチもデコボコでした。「選手たちは必要以上にボールコントロールに神経を使うことになったけれど、それにも上手く対応した。あまりにも練習場のピッチコンディションが悪かったから、当日はむしろ良く見えたのではないかな(苦笑)」――試合は、前半16分に中島のゴールで先制し、26分には堂安の浮き球のパスから南野のヘディングで追加点を奪いました。「あの2ゴールで、日本は試合のペースを握ることができたから、入り方は理想的な展開だった。それ以降もチャンスを作り続けていたんだけど、なかなか追加点を奪えなくて、後半はスムーズさを欠いてしまった」


――5日前に行なったパラグアイ戦も前半に2ゴールを奪って後半ノーゴール。ミャンマー戦も同じような展開になりました。「ミャンマーは分析した通り、日本よりも実力は下だった。ハードワークする好チームだったけれど、もっとレベルの違いをゴールの数でも表したかった。ホームスタジアム全体が“戦意喪失させる”くらいの大量得点が奪えば更に良かった。2点をリードし日本がゲームを完全にコントロールしていただけに、ノーゴールに終わった後半は課題が残った」――試合後、森保一監督も、キャプテンの吉田麻也選手も、「後半のパフォーマンスの質」をチームの課題として挙げていました。「パラグアイ戦にしろ、ミャンマー戦にしろ、シュートチャンスを逃したシーンが多かった。選手たちはアグレッシブに戦ったけれど、決めるべきタイミングでシュートが決まらないと良いリズムも狂い始める。2点のリードはセーフティー・リードとは言えない。しっかりと勝敗を決定づけることが大切になる。それを改めて感じたゲームでもあった」 


――ちなみに、前回の2次予選の初戦は、シンガポール相手にスコアレスドローでした。「それに比べれば、白星スタートで飾れたのだから贅沢は言えないのかもしれない。しかし日本のチーム力を考えれば、さらに高いレベルを要求したい。まだまだ実力の半分くらいの出来だったと考えていい。それでも引いた相手を崩して2ゴールを奪って、最低限のノルマである勝点3を手にした。対戦相手は違えども、4年前よりも確実にチーム力は上がっていると言える」 


――この日のMVPは誰でしょう。「キャプテンの吉田だろう。彼を中心に日本の4バックは安定していた。前半は1本のシュートも打たせなかったし、試合全体でピンチらしいピンチは1回だけ。吉田と冨安のセンターバックは高いクオリティを誇っている。よほどのことがないかぎり2次予選は無失点で突破するはず」――今後に向けて個人的に課題を挙げるとしたら何でしょうか。「セットプレーからの得点がないこと。ハリルホジッチ時代から、ずっと言われ続けていることだけど、右足で言えば遠藤保仁、左足なら中村俊輔のようなスペシャリストがいないのが気がかり。ミャンマー戦で、日本はコーナーキック14本、フリーキック14本を奪った。相手キーパーのビッグセーブがあったものの、セットプレーからの得点がなかったのは残念。左は堂安や久保、右は中島にはスペシャリストになってもらいたい。 今後も対戦相手は守備的にゲームを進めてくると考えていい。そのような相手からゴールを奪うためにも精度を上げたい。さらにタフな戦いが待っているであろう最終予選を見据えても、対戦相手の誰もが警戒するほどのスペシャリストの“一撃”が必要になる」 


◆プロフィール◆藤田俊哉(ふじた・としや)/1971年10月4日生まれ、静岡県出身。清水市商高−筑波大−磐田−ユトレヒト(オランダ)−磐田−名古屋−熊本−千葉。日本代表24試合・3得点。J1通算419試合・100得点。J2通算79試合・6得点。J1では、ミッドフィルダーとして初めて通算100ゴールを叩き出した。2014年からオランダVVVフェンロのコーチとして指導にあたり、16-17シーズンのリーグ優勝と1部復帰に導いた。17-18シーズンからはイングランドのリーズ・ユナイテッドでスタッフ入り。昨年9月に日本協会の“欧州駐在強化部会員”という新ポストに就任し、代表チームの強化にあたっている。取材・構成●小須田泰二(フリーライター)