世界野球ソフトボール連盟(WBSC)の加盟国は136カ国。今年もU−18ワールドカップが韓国で開催されるが、近年、WBSCは野球・ソフトボールの各競技における年代別の国際大会に力を入れるようになってきた。

 また、すでに来年の東京五輪に向けて予選が各地区で行なわれており、さらに今年秋にはプレミア12、再来年はWBCと、トップレベルで各国が頂点を目指す国際大会が目白押しとなっている。

 しかし、そういうなかにおいても、まだ野球が国際的に普及していないのは、加盟国のレベルの差が他競技と比べてあまりにも大きすぎることが理由として上げられる。プロ化が世界的に進むサッカーと比べればその差は歴然としており、競技環境に恵まれず、才能を開花させることなく終わる選手も多い。

 そういう意味で、2005年に発足した日本の独立リーグは大きな可能性を秘めている。NPBというトッププロリーグでプレーするには技量が足りない選手でも、ここでなら低いながらも報酬を受け取り、野球を続けることができる。

 学卒後、プレーを継続する道がなかなかないのは、競技を問わず世界共通のことであるが、近隣の東アジアの野球も同様である。日本のライバルである韓国でさえ、学卒後にプレーできる場は、10球団のプロリーグ・KBO(韓国プロ野球)しかない。

 また、近年MLBが人材獲得先として注目し、各地にアカデミーを設立している中国などは、そもそも国内でプレーする場自体が少ない。

 今回、この韓国、中国から日本の独立リーグ、ルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズ(武蔵HB)に入団したふたりの選手を紹介したい。


目標はNPBでプレーすることだと語る劉源

日本の独立リーグから中国代表入りを目指す長身右腕

 武蔵HBには現在5人の外国人選手が在籍している。そのうち3人はベネズエラからやってきた元マイナーリーガーだが、彼らと流暢な英語で会話を交わしているのが中国人投手の劉源(リュウ・ユアン)だ。

 中国の首都・北京生まれの劉が野球に出会ったのは、小学校1年の時だった。偶然、彼の通っていた小学校に野球チームがあった。1995年生まれの劉が小学生だったのは、2001年から2007年で、ちょうど北京五輪を控えていた時期にあたる。

 当時、まだ正式競技だった野球で中国は開催国枠での出場が決まっており、その強化のために中国野球リーグが結成されたのが2002年。劉も地元にできた北京タイガースの試合に足を運んだ。ともに野球を学んだ何人かの友人は、現在もこのチームでプレーしているという。

 北京五輪はもちろん観戦した。知り合いからもらったチケットを片手に足を運んだスタジアムは、今までに見たことがない立派なもので、劉の野球への思いはますます強くなった。

 それまで大きな国際大会で勝ったことがなかった中国ナショナルチームだが、北京五輪では台湾をタイブレークの末に下すという歴史的勝利を挙げた。だが、劉が最も印象に残っているのはキューバ対韓国戦。試合内容よりも試合後、バスの前で選手を出待ちしていた劉に、名前は忘れたがキューバ代表のベテラン投手がサインに応じてくれたことだ。

 やがて頭角を現した劉は、さらに上を目指すようになった。インターネットで見るMLBやNPBの動画に夢中になり、プロへの夢をかきたてた。

 高校2年の時、地元球団の北京タイガースから誘いがあったが、悩んだ末に海を渡る決心をする。親の知人である台湾系カナダ人のつてをたどり、高校3年からカナダに留学。高校卒業後も中国には帰らず、アメリカのテキサスクリスチャン大学で4年間プレーした。残念ながらMLBのドラフトにはかからなかったが、エージェントからBCリーグのトライアウトを勧められ、晴れて合格を勝ち取り、現在は武蔵HBのブルペンに控えている。

 トライアウトを受けるまで、劉は日本の独立リーグの存在すら知らなかった。今はアメリカの大学野球との違いにアジャストしている段階だ。劉は言う。

「野球の文化が違いますね。だから、今は日本の文化を勉強中です。アメリカの大学野球は金属バットを使っていることもあって、パワー重視です。守備もうしろで守るため、みんな肩が強いです。それに対して、日本では頭を使う野球をします。いわゆるスモールベースボールです」

 憧れのNPBの試合には、まだ足を運んだことがないという。シーズン中はなかなか時間が取れず、シーズンが終われば行きたいと考えている。当面の目標を聞くと、「とにかくより上のレベルでやりたい」と言い、最終目標はNPB入りすることだ。もちろん、中国の代表チームから声がかかれば、喜んでプレーするつもりだ。

 近年、中国のナショナルチームは活動を再び活性化させている。昨シーズンからチームごとアメリカ独立リーグのアメリカン・アソシエーションに参加し、テキサス・エアーホッグスとして戦っている。2021年のWBCに向けて、着々と強化を図っており、この舞台に立つことも劉の目標である。

「引退後は母国の野球に貢献したいと思っていますが、今はまだ上を目指してプレーしたいですね。5年、いや10年はやりたいです」

 6月12日現在、劉のBCリーグでの成績は、8試合に登板して0勝1敗、防御率11.81。10イニングで13四球と制球に苦しんでおり、きわどい球に手を出さないスモールベースボールの洗礼を浴びている。果たして、身長186センチの大型右腕の覚醒はあるのか。これからも注目していきたい。


昨年、武蔵ヒートベアーズに入団した金揆珹

韓国の高校を卒業後、単身来日した左のパワーヒッター

「目標はNPBです。やっぱりKBOよりレベルが上ですから」

 そう流暢な日本語で話すのは、武蔵HBの外野手・金揆珹(キム・キュソン)だ。落ち着いた雰囲気だが、朴訥な話しぶりからはまだあどけなさが残る。それもそのはず、金はまだ20歳になったばかりである。昨年、高卒ルーキーとして来日し、今年で2年目を迎える。

 もちろん、母国でのプロ経験はない。高校卒業後にプレー先を探していたところ、自身もBCリーグでプレーした経験のあるエージェントに、トライアウトを勧められた。

「韓国では学校を卒業したあとのプレー先がほとんどありません。社会人野球ができるという話はありますが、まだ実現していませんし、独立リーグもできたのですが、そこは給料がもらえる日本と違って、逆にお金を払って参加するんです。最初は日本の独立リーグのことをまったく知らず、ここからKBOを目指す韓国人選手もいるそうなので、チャレンジしてみました」

 トライアウトに合格し、昨シーズンから武蔵HBの一員となったが、独立リーグとはいえ、レベルの高さに驚かされた。なにより、子どもの頃に熱中したWBCで日本の主力として活躍していた村田修一と同じフィールドにいることが夢のように感じられた。

 しかし、言葉もわからないままの来日で、周囲は年上の選手ばかりとあって、昨シーズンは環境に慣れるのに精一杯だった。

「埼玉ではあまり韓国人に会うことはありませんね。食事は日本人選手と一緒でしたが、あまり苦になりませんでしたし、キムチがほしいと思ったこともないです。たまにスーパーで(キムチを)買うのですが、やっぱり味は少し違いますね(笑)」

 アパートでのひとり暮らしで苦労も多かったが、おかげで日本語は問題なく話せるようになった。

 BCリーグには金以外にも多くの韓国人選手が在籍しているが、彼らは兵役でKBOを離れざるを得なかった選手たちで、経験も豊富。それぞれのチームで”助っ人”的な存在として活躍している。ここでも金は最年少で、対戦相手に”先輩”がいれば、あいさつを欠かさない。

「学校のように上下関係が厳しいわけではなく、みなさん親切にしてくれます。この間も、KBOの一軍で活躍していた福島レッドホープスの金源石(キム・ウォンソク)さんがBCリーグの投手について、『コントロールは少し落ちるけど、球の威力はKBOと変わらない』と教えてくれました」

 金は忠清南道の古都・公州出身。地元チームのハンファ・イーグルスのファンだと言うが、目標としているのはNCダイノスのスラッガー・羅成範(ナ・ソンボム)だ。自身と同じ左投左打の外野手であり、羅のようなパワーヒッターになりたいと語る。

「だから、僕の背番号も47なんです。羅成範さんと一緒」

 昨年、埼玉まで足を運んでくれた両親は、今年も来てくれる予定だと言う。今はまだ控えの外野手という立場で出番もなかなか回ってこないが、両親の前で晴れ姿を見せられるよう、日々研鑽(けんさん)を積んでいる。