なぜ大学院に進むと「就活に不利」なのか
■「安定雇用に就かない者が半数以上」という現実
2019年1月14日、朝日新聞朝刊に「博士求ム!企業の採用活発」という見出しの記事が掲載された。就活で厳しい状況が続いてきた大学院博士課程学生をとりまく就活事情に変化が起きているという。学生は早くから企業でのキャリアを視野に入れて準備するようになり、企業の方も博士専用の採用枠を設けたり新卒採用枠で応募できるようにしたりする例が増えているそうだ。
記事には興味深い事例も紹介されている。東京工業大学で開催されている就職情報交換会の例。博士人材を積極的に評価する製薬会社や電機メーカーの声等々。とくに大学関係者からすれば、明るい気持ちになるニュースだが、紹介事例がいわゆるトップ大学に限られている点、そして文系が含まれていない点に隠されたメッセージをみてしまうのは、斜に構えすぎた見方だろうか。ただ、ここで公表されているデータを集計してみると、いまだ滞っている院卒採用の現状が明らかになる。
図表1は、文部科学省『学校基本調査』を資料に、卒業(修了)後の状況をまとめたものである。安定雇用に就かなかった者の比率に注目すれば、学部卒は11.6%であるのに対し、人文科学や教育の修士卒のその比率は3割以上。博士課程にいたっては、領域を問わず、きわめて不安定な状況が見出される。人文科学系では58.6%という値を示し、修士卒では好調な理系も、博士卒の場合、理学53.3%、工学38.6%、農学48.7%が安定雇用に就けずにいる。
■院卒が活躍できない原因は企業にもあるのではないか
大学院就職難民問題――現状をこのような表現でまとめることもできよう。そして周知のように、この問題については、すでに通説ともいえる理由がささやかれている。「企業のニーズにあった大学院教育を、大学が提供できていないから」というものだ。これまで、多くの企業関係者たちは、自分たちのニーズと教育内容のズレを強調してきた。
院卒就活市場が活性化しない責任は、大学側にある。なるほど、一理あるのだろうが、企業の人事担当者、人材紹介や採用などの仕事に長く携わっているコンサルタントにインタビュー調査をすると、必ずしもそればかりではないという仮説も浮かび上がってくる。
今回は、このインタビューデータから抽出された別の可能性について論じてみたいと思う。具体的にいえば、院卒が活躍できない原因は、企業の側にもあるという「企業原因説」を提唱してみたいのだ。
■企業の人事担当者と人材コンサルタントに聞いた
インタビューの概要は、図表2のとおりである。調査では、「企業にとって優秀な人物とはどのような人物か」「大学院修了者は、あなたの企業では『積極的に採用したい人材』か」の2点を中心に語ってもらった。
図表からわかるように対象者数は限られ、文系を念頭に置いて答えてもらった調査だという点も断っておかなければならない。一般化できるレベルでないことは承知しているが、それでも一考に値する仮説ではないかと考えている。問題の本質にどれだけ近づけているか、読者の判断に委ねることにしたい。
改めて述べれば、大学院就職難民の原因については、大学の側にあると見なされることが多い。とくに批判の矛先が向かうのは、学術性の問題である。小難しい理論や、特定領域の知識をいくら知っていても、それが企業の現場で活きることはない。このような理解が主流である。
しかし人事担当者の声に耳を傾けていると、企業側にも原因があるのではないかと思えてくる。ここでは2つの点に触れておきたい。
■数合わせが最優先、「見極める能力」は低い
第1は、人事の「人を見る力」に関わることだ。以下は、人材コンサルタントのV氏の語りである。
よほど合わない人であれば排除しますが、そうでなければいいのではないかということになります。結局、本気で見極めたいという動機がずっと続くということがないのです。だから、そう、企業の見極める能力は低い。……それにそもそも日本の人事(部に属する人)は、大抵人事異動で変わるので、本当のプロにならないのです。
(V氏)
この発言をみる限り、企業人事担当者の見極め力もすぐれたものとは言えなさそうだ。数合わせを最優先に考える数年間の経験では、人材を見極める能力は育たない。「何でも十年真剣にやれば、プロになる」「10000時間やれば、一段階上にいける」という経験談を聞いたことがある。思想家の吉本隆明氏の言葉だという話もあるが、それを基準にすれば、多くの人事担当者がアマチュアだということになる。
■「営業をやっていないから優秀な人材がわからない」
もちろん、なかには人事一筋数十年という人もいる。調査に協力してくれたT社の人事担当者がそうだった。ただ、彼からも次のような発言があったことは注目したい。
(T社人事担当者)
同じロジックは、営業以外にも使えよう。人事のプロは、営業のこともわからなければ、商品の企画開発のこともマーケティング調査のこともわからない。頭で理解していたとしても、実感レベルで理解しきれていない。いま面接している人が、自分のよくわからない分野でどのような活躍ができるのか、イメージできないままに採用するかどうかを決めている場面も多々あるのではないだろうか。
これが日本の企業で人事という業務をこなすことの難しさであり、限界なのだろう。そして、その難しさや限界のなかで、大学院修了者が正当に評価されず、埋もれていっている蓋然性は高いとみることもできる。
■大学院修了者に対する過剰な期待
第二は、企業側の過剰な期待だ。インタビューに協力してくれた企業は4社だったが、ほぼすべての人事担当者から、次のような語りを得ることができた。U社の例で説明しよう。MBA採用を話題にしていたときの言葉である。
(U社人事担当者)
要は、ビジネスをある程度のところまで育て上げる人材になっているのであれば、MBAを雇ってもいいが、そうでないから雇わない、という趣旨の発言である。かたちにならなければ企業にとっては無意味だというのは、よくわかる。しかし、ここで考えてみたいのは、そこまで担えるような人材がどれだけいるか、ということである。
■数年の違いで採用基準が急上昇する
人材派遣関連コンサルタントのV氏は、ビジネスの進め方について次のように述べていた。自身が勤務していたこともある大手企業について語ってくれたものである。
(V氏)
人には得手不得手がある。トレーニングで強みにできた部分もあれば、できなかった部分もある。それを補い合って一つのかたちにするのが企業という組織なのだとすれば、それをすべて一人に求めるというのは、やや無茶な要求ではなかろうか。
興味深いことに、学部卒の採用のことになると、このような話はきかれない。即戦力を求める声が強まったという指摘もあるが、それでも「アイディアの発案からかたちにまで」といったことを求められることはない。たかだか数年の教育年数の違いで、採用される基準が著しく上昇する。この高すぎる基準が大学院修了者の就職を阻む原因であり、企業側の問題だと指摘することもできるように思われる。
朝日新聞の紹介事例のような変化も一部で起きているのだろうが、不安要素が多い院卒就活市場である。状況が改善することはあるのだろうか。
■専門性よりもプロジェクトマネジメントを強調
最後に、希望につながるひとつのエピソードを紹介したい。R社人事担当者(1)が語ってくれたことであり、R社の人事の仕事ではなく、個人的にボランタリーで取り組んでいる就職サポートでの経験である。
内気な子だったので、最初はファーストコンタクトで印象をいかに良くするかという点を重点的にアドバイスをしていました。でも、あるタイミングでわかったんです。それまでは、大学院に進学して専門的な勉強したということもあって、専門性を前面に押し出した売り込みをしていました。専門性はプラスに働くと思っていたので、私自身、あまり気にしていなかったんです。
でも、何でうまくいかないのかということを棚おろししたときに、やはり専門性が前面に出過ぎるとよくないということに気づきました。採用側が、本当に専門性を活かした配属できるかどうかもわからないし、それよりはもうちょっとマルチプレーヤーというか、ユーティリティープレーヤー(いろいろな仕事をこなせる人)を採用したいというのがきっとあるのではないか。うん、あるタイミングで気づいたんです。それで、戦略をちょっと変えようと。
結局、専門性をちらっとPRするのはいいけれども、大学院に進んだことで得られた、いわゆる考えるプロセスとか、結果を出していくためのプロセス、そういうところを前面に押し出して、「自分は成果を出せる人材なのだということを中心にやっていこう」と方針を変えたんです。すると、状況はがらっと変わりました。それから3連勝ぐらいして「ああ、よかったな」と。
この事例だけをみると、採用する側は、もちろん専門性に魅力を感じることもあるかもしれませんが、それより大学院の研究室で教授にがりがりやられて、何かのテーマに対してチームを組んで、こんなプロセスで、こういう時間軸でやっていくという、ちょっとプロジェクトマネジメント的なところも、確実に学部生よりも経験しているわけです。そういうところは評価するのかなと感じました。
(R社人事担当者(1))
■企業と大学院生の「すれ違い」は修復できる
この語りからは、変化も起こり得るという見通しが立てられるのではないだろうか。
見極め力や院卒人材に対する過剰な期待の問題から、企業側は大学院生に何を尋ねてあげればいいのか、わからずに彷徨っている。大学院生の側も、勝手がわからず、人事担当者に関心を持ってもらえるような経験の説明をできずにいる。とりあえず、専門の話で面接時間が埋められていくが、結果として肝心な部分を共有しきれない。「すれ違い」が生じているのであり、ただここで強調しておきたいのは、これは修復可能なすれ違いではないだろうか、という点である。
不十分なエビデンスに基づく議論である。ただ、ビッグデータをとれば何でもわかるというわけではないし、エビデンスの大きな役割の1つが「私たちに、腑に落ちる気づきを与える」ことなのだとすれば、以上の議論にも意味はあるのではないだろうか。
思い込みや見落とし、そして過剰な評価――連載第1回でも述べたが、日本では、実態と乖離しつつ学歴が理解されていることが少なくない。学歴とうまく向き合うため、そして学校での学びをどう社会で活かしていくのかを描くため、先行きが不透明ないまだからこそ、気づき、対話し、考えなければいけないことは多いように思われるのである。
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東京大学 高大接続研究開発センター 教授
1974年生まれ。2003年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。07年博士(教育学)取得。17年より現職。専攻は教育社会学。著書に『「超」進学校 開成・灘の卒業生』(ちくま新書)、『検証・学歴の効用』(勁草書房)などがある。
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(東京大学 高大接続研究開発センター 教授 濱中 淳子 写真=時事通信フォト)