中日・松坂大輔【写真:荒川祐史】

写真拡大

全体での春季キャンプは中日球場(現ナゴヤ球場)が初めて

 プロ野球初年度である1936年から存続している老舗、中日ドラゴンズは、春季キャンプ地をたびたび変更してきた。戦前、1リーグ時代は本拠地を決めずに戦ってきたドラゴンズ。このころは全体での春季キャンプは行ってこなかったが、1948年末に中日球場(現ナゴヤ球場)がオープン。1950年にこの中日球場で初めて春季キャンプを行った。

 しかし、以後、キャンプ地は転々と変わった。1952年に兵庫・神戸銀行グラウンド、1953年は静岡・立大仁高等学校グラウンド、そして1954年からは奈良県営球場。奈良は近畿地方では寒冷な土地柄で、奈良市でも氷点下になることもあった。奈良県営球場は、春日山(若草山)のふもとにあり、練習中に鹿が入ってくるような球場だった。

 この年は、雨が多く、エースの杉下茂は「練習が休みになると、旅館で昼間から風呂に入り、それから映画館など奈良市内に遊びに出かける選手が多かったために、風邪が大流行した」と語っている。選手は興福寺の近くにある「大仏旅館」に宿泊したが、当時の小学生の中には、旅館で選手と遊んでもらった思い出を語る人もいる。

 さらに鹿児島・湯之元町営球場、和歌山・勝浦、愛媛・松山球場など春季キャンプ地は2〜3年おきに変わった。1968年のドラフト1位、星野仙一は浜松市営球場でプロのスタートを切っている。

過去にはフロリダ、宮崎、そして現在も続く沖縄へ

 1975年にはフロリダ州ブラデントンで初の海外キャンプ。ブラデントンは国際空港のある街で、アクセスが良く好評だった。中日は80年代にはフロリダ州ドジャータウン、オーストラリアのゴールドコースト、アリゾナ州ピオリアで海外キャンプを行っている。

 1979年からは1995年までは、宮崎・串間市営球場で春季キャンプを張った。さらに1985年からは1軍は沖縄県具志川球場でキャンプを行った。1995年、沖縄県北谷町に北谷公園野球場が開場すると、翌96年から中日の1軍キャンプ地となる。この地では今年まで25年連続で春季キャンプを行っている。北谷町は「中日ドラゴンズ北谷町協力会」を作って、中日キャンプに全面的に協力している。

 公園の入り口には、サブグラウンドがあるが、毎年ここで、投手や野手の守備特訓が行われる。昨年は、キャンプ直前に入団が決まった松坂大輔が軽快な反応でゴロをさばくシーンが見られた。。

 1997年から2軍も沖縄県中部の読谷村にある読谷平和の森球場で春季キャンプを行っている。読谷村も、村を挙げてキャンプを盛り上げ、休日などは多くの屋台が出店する。また、隣の読谷村陸上競技場では、1月下旬からJリーグのサガン鳥栖がキャンプを行っており、タイミングが合えば両方を見学することができる。

 2015年には、この年限りで引退した山本昌が、サブグラウンドでゆっくりと調整する姿が見られた。今では、中日の春季キャンプといえば沖縄県の北谷、読谷。地域の受け入れ態勢も良く、見学しやすいキャンプ地だ。(広尾晃 / Koh Hiroo)