野球科学研究会、第6回大会のポスター発表の様子。20代の若者に混じって元プロ野球選手たちが学び直しをすることも多くなってきた(筆者撮影)

最近、元プロ野球選手が大学院で学び直すケースが続出しているのをご存じだろうか?

元巨人の桑田真澄氏は、引退後、早稲田大学大学院で学び、修士号を取得。現在は東京大学大学院総合文化研究科の大学院研究生だ。また、ソフトバンクの工藤公康監督、今年からロッテの投手コーチに就任した吉井理人氏などは、筑波大学大学院で学んだ。

「野球学の本場」ともいえる筑波大学大学院

野球選手として功成り名遂げた野球人は、なぜ今になって学ぼうとするのか? その動機はさまざまだが、一方で彼らを受け入れる大学、研究機関が存在するということも大きい。

中でも、筑波大学大学院は近年、元プロ野球選手だけでなく、多くの「野球を学ぶ」人材を受け入れ「野球学の本場」になりつつある。キーパーソンが、筑波大学准教授で硬式野球部監督の川村卓氏だ。


筑波大学准教授の川村卓氏(筆者撮影)

川村氏は1970年、北海道江別市生まれ。北海道札幌開成高校時代の1988年には、主将、外野手として夏の甲子園に出場。

筑波大学に進み、硬式野球を続ける傍ら運動生理学を学んだ。さらに大学院に進みバイオメカニクスを研究した。

その後北海道に帰って高校の教員となるが、大学院時代の恩師に呼び戻され、筑波大学の教員となる。また硬式野球部の監督にも就任した。

「恩師の功力靖雄先生が退職されるにあたって、なるべく筑波大学出身で、野球を研究していて、かつ実際に教えられる人材を、ということで私に白羽の矢が立ちました。研究者も指導者もすごい方がたくさんいましたが、両方やっているのは私だけだったんですね」


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復学後もバイオメカニクスを専攻し、「素直に研究(川村氏)」をしていたが、やがてある種の問題意識を抱くようになった。

「野球では、小学校からプロまでみんな同じ練習をします。でも、サッカーはJリーグが始まってから、幼児はこういう練習をして、中学になったらこうやってと年齢で細かな練習のプログラムを組んでいる。野球も成長に合わせた練習法を作らないといけないだろうと思うようになったんです。

そのためにまず、プロ野球選手はどんな動きをしているのかを知ることが大事で、プロの方に来ていただくことにしました。最初に来られたのは、ヤクルト、日本ハム、ロッテでプレーした秦真司さんでした。中日の春季キャンプに一緒に行って谷繁元信捕手の動きをビデオに撮ったりしました。

その後、私の大学の先生と同級生が工藤公康投手のトレーナーをしていたご縁で、工藤選手が大学院に学びに来られるようになりました」

さらに立花龍司氏(元NPB、MLBトレーニングコーチ)、新谷博氏(元日本ハムコーチ)、前述の吉井理人氏、仁志敏久氏(元巨人、横浜)、阿井英二郎氏(元日本ハムヘッドコーチ)、大島公一氏(元オリックスコーチ)などのプロ野球人が次々と川村氏の門をたたいた。

“なぜこういうのをもっと早くわかっていなかったのか”

「元プロ野球選手の方々は、まっさらな感じで来られます。そこから何でも吸収しよう、勉強しようとする姿勢は、本当に感心します。若い諸君にも見習ってほしい。

吉井さんは、“知らないことが多すぎて、こういうこともわかるんだ、の連続で、楽しくてしょうがない”と言いました。私だけでなく、いろいろな先生に教わりながら、眠っていた能力や才能が次々と開花したような感じですね。皆さん共通しておっしゃるのは、“なんでこういうのをもっと早くわかってなかったんだろうか”ということです」


川村氏の研究室では数多くの野球人が学んでいる(筆者撮影)

川村氏の研究室では、大学から院に上がったばかりの20代の若者と錚々たる野球人が机を並べ、「同級生」になる。

生活感覚は当然異なる。移動の際に元スター選手の院生が「あれ、グリーン車って学割がきかないんだ」と首を傾げた、という笑い話もあった。

野球人たちにとっても、キャンパスライフは新鮮なのだろう。

野球人を受け入れていくうちに、研究分野も多岐に分かれていく。

「野球は走攻守で別れますので、それぞれの部門で研究すべきことはたくさんあります。

また、自分の専門分野にかかわらず野球に関するいろいろな質問に答えられるようにしたいという気持ちもありました。一般的に研究者は、1つの事に対して深く入っていくような感じだと思うんですけど、それだけでなく、さまざまな問題意識を提起して、それを院生の皆さんに託そうという認識もありました。

私自身は依然としてバイオメカニクスを研究していますが、たとえば『野球人口の減少』とか、中学野球はなぜ団体がいくつもあって統合されていないのか、とかサイエンスの分野を超えた問題意識も持つようになった。それを元野球選手や若い院生諸君に研究テーマとして研究してもらっています」

川村氏は研究者、そして硬式野球部監督のかたわら、少年野球の指導も続けてきた。

「子どもたちの野球教室を15年前ぐらいから始めたのですが、どんどん人数が減っていったんですよね。これはもっと根本的なことからやらないとまずいのではないかと思ったのが、10年ぐらい前です。

サッカーの子たちはいっぱいいるのに、野球は増えない。なぜか? 野球って1から教えるノウハウがまったくないからなんですね。昔の少年野球では、ひどいところだと”人数が多いから邪魔だ”みたいな感じで、何周も走らせて、脱落したら”はい、もういいです”みたいなことをしている指導者がいました。

だから何にも教えるノウハウがないんですよね。そのうちにプロ野球中継がなくなって、野球を知らない子どもが増えてきた。そういう形で“野球離れ”が進行しているんですね。野球を1から教えられるようにするべきだ、と思っています」

川村氏は大人があれこれ指示をして野球を教える従来のスタイルではない野球の普及を考えている。


未就学児のための野球遊びの様子(筆者撮影)

「大人が入らなくても子どもたちが何となくやっているうちに自然に覚えていくっていうのを、やりたいんですよね。

少年野球の現場に行くと、小さい子に大人が『お前こっち動け、お前なんでここで走るんだよ』とかやるわけです。

すると子どもたちはとにかくコーチが言うのを待っていて、その通り動かなきゃ、みたいな感じになる。

これでは子どもたち楽しくもないだろうし。だから、今やってるのは、子どもたちが自分でやっていくうちにルールや技術を覚えられるようなゲームです。僕らは『タスクゲーム』って呼んでいますが、そういうゲームをたくさん作ろうと思っています」

日本野球科学研究会第6回大会での研究分野の広がり

2018年12月1日・2日、筑波大学で「日本野球科学研究会第6回大会」が開催された。これは全国の野球関連の研究者、指導者が一堂に会して、野球に関するさまざまな研究発表を行い、意見交換をする場だ。今回も2日間で270人もの参加者が集まり盛況だった。

川村卓氏は実行委員長として大会を取り仕切るとともに、シンポジウムや多くの発表に参加した。

川村氏をはじめとする“筑波大学野球学部”の守備範囲の広さは、この大会で発表された一般発表のタイトルを紹介すればわかるだろう。今大会では66の研究がポスター発表という形で展示されたが、このうち18が筑波大学の発表だった。

P-は発表番号を指す。

P-15
視覚障がい者のためのブラインド・ベースボールとは
小野雄平(筑波大学大学院)
P-19
野球競技人口減少に関する福井県高校野球指導者の認識についての一考察
見延慎也(筑波大学大学院)
P-24
盗塁技能による注視位置および反応時間の違いについての研究
宮下寛太(筑波大学大学院)
P-28
少年野球選手の走塁における状況判断能力向上のための教材の開発
加藤勇太(筑波大学大学院)
P-30
心理的セルフモニタリングシステムが野球の投球パフォーマンスに与える影響
阿井英二郎(筑波大学大学院)
P-35
高校野球の攻撃戦法に関する研究
-無死1、2塁に着目して-
大阪航平(筑波大学大学院)
P-37
女子ソフトボールトップ選手に対するスポーツ動作画像を用いた新たな瞬間視測定法の試み
岩間圭祐(筑波大学大学院)
P-40
一流プロ野球打者の打撃動作の特徴に関する研究
-NPB公式試合から-
大島公一(筑波大学大学院)
P-41
女子野球指導者の性別による特性のちがい
-女子硬式野球指導者および選手への調査から-
石田京子(筑波大学大学院)
P-44
バックネット裏からの映像を用いた投球フォーム自動評価
野原直翔(筑波大学大学院システム情報工学科)
P-45
野球発展途上国イタリアの現状に関する調査
-聞き取り調査と質問紙調査を用いて-
篠原果寿(筑波大学大学院)
P-46
投手のピッチング動作における共通性
-プロ野球の1軍投手および2・3軍投手との比較検討-
波戸謙太(筑波大学大学院)
P-47
新旧軟式ボールの比較研究
-弾み方に着目して-
宮内貴圭(筑波大学大学院)
P-48
野球打撃動作における腰部回旋挙動解析
田口直樹(法政大学、筑波大学大学院)
P-49
一流プロ野球選手の打撃動作の動作解析
-肩・腰の回転に着目して-
橋本康志(筑波大学大学院)
P-55
若手プロ野球選手における1年後の打撃動作の変容
-成績向上者の特徴-
工藤大二郎(筑波大学大学院)
P-56
マウンドの材質の違いが投球パフォーマンスに与える影響
川村卓(筑波大学)
P-57
プロ野球選手における速球に対する打撃能力が高い打者のキネマティクス的特徴
佐治大志(筑波大学大学院)

まさに、自然科学から社会科学まで。その守備範囲は広い。一般の院生に交じって、阿井英二郎、大島公一と元プロ野球人も若い学生とともに発表した。大島氏は前日まで研究室に泊まり込んで展示物を制作していたという。このほかにも筑波大学OBが関わった発表も多数あった。


オンコート・レクチャーで話した吉井氏(筆者撮影)

野球人たちは学位や学歴が欲しくて大学院に通っているわけではない。学ぶ機会を得て知識、見識を高めたいと強く願っている。

だから院の課程を修了しても、必要があれば、大学に足を運び、川村氏や他の研究者に教えを乞うている。

2日目に行われたオンコート・レクチャーでは、吉井理人氏がこれも筑波大学出身のトレーナーの井脇毅氏とともに、川村氏の質問に答える形で、MLBのローテーション投手の調整法について話した。

元プロ野球人たちはつくばで何を学んだか

会場には、吉井氏、阿井氏、大島氏のほか、立花龍司氏の姿もあった。またNPB各球団の関係者や、現役のプロ野球選手も顔を出した。元プロ野球人たちは、筑波大学で何を学んだのだろうか?

阿井英二郎氏:「筑波大学に来るプロ野球人は技術的なことを学ぶ人が多いのですが、僕は心理的なことを学びたいと思っていました。筑波大学にはその分野の専門の先生もたくさんいらっしゃるので、学びやすかったですね。


自身の研究発表の前で話してくれた阿井英二郎氏(筆者撮影)

スポーツの心理面は、まだスキルが確立されていません。特に野球はセットプレーが多いスポーツですが、このときに選手が何を考えるかがすごく重要なんです。

野球の現場を体験してきた僕は、選手の心理面を研究の現場に伝えやすいのかなと思っています。

高校の指導者も長く務めてきましたが、中学、高校の指導現場では教員の皆さんが指導法についてずいぶん悩んでいます。そういう人に専門的な心理学の必要性を伝えていきたいですね」

吉井理人氏:「引退してすぐに投手コーチになったのですが、何も知らないまま自分でも半信半疑でやっていたので、一度コーチングについて学んでみようと思ったのです。立花龍司さんに相談をしたら『筑波がいいよ』と紹介してくださいました。


筑波大学大学院での学びの良さを話した吉井理人氏(筆者撮影)

筑波大学はいろいろな競技の人が集まっておられます。他の競技の方の話もすごくためになりました。

自分の本業の野球のことでさえも知らないことがあったので、本当に新鮮でした。その後、また投手コーチになりましたが、今まで自己流でやっていたことに裏付けができて、自信を持って対応できるようになりました。

コーチングは『人』が対象なので、明確な答えはありません。自分がこの仕事を辞めるまでこういう場所に顔を出して、いろいろ学ばないと、と思います。今年からチームを変わりましたが、大学院で学んだことがまた役に立つだろうと思います」


新しい発見があったと話した大島公一氏(筆者撮影)

大島公一氏:「10年間プロ野球のコーチをさせていただいて、コーチとして限界を感じていました。新しい知見を得なければと思っていたのです。

吉井さんに川村先生をご紹介いただきました。特に『打撃の動作』について学ばさせていただき、新しい発見がありました。

僕は『研究』と『現場』をつなぐのは非常に重要だと思っています。

そういう立場で少しでもお役に立てるような人材になりたいと思います。川村先生は何事に対しても、わかりやすい言葉で説明してくださいます。僕らでもわかる言葉で伝えてくださいます。それが素晴らしいですね」

立花龍司氏:「コーチたるもの学ぶことをやめたらコーチではなくなります。それに選手はコーチを選ぶことができません。コーチの不勉強でダメになっていく選手を目の当たりにしてきました。自分の理論を押し付けるだけのコーチにはなりたくないという一心で学びました。


野球人にとって大学院で学ぶことは100%プラスと話した立花龍司氏(筆者撮影)

働きながらだったので、現場で起きた問題を大学院で学び、確かめるという感じでした。時間が取れなくて、休学と復学を繰り返して修士取得までに5年かかりました。

野球人にとって大学院で学ぶことは100%プラスです。無駄な情報はありませんし、持っていて損になるものもありません。今は学ぶ仲間をどんどん紹介しています。この大会には現役の選手やコーチも顔を出してくれました。この流れをつないでいきたいと思います」

もう1つの野球がここにはある

野球と言えば「根性」、そして先輩や指導者への「絶対服従」。

そういう従来の「日本野球」の文化とはまったく異なる「もう1つの野球」がここにある。

「野球離れ」「勝利至上主義」など、日本野球はさまざまな問題を抱えているが、筑波大学から、こうした問題に取り組み、新しい「日本野球」を開拓する人材が生まれてくるだろうと実感した。