元日の新聞を積み込んだハイ君の自転車(撮影=出井康博)

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新聞配達現場で欠かせない労働力となっているベトナム人たちは、残業代なしの違法就労と差別待遇に苦しんでいる。過酷な労働条件に不満があっても、改善を求める術すらない。違法就労への後ろめたさに加え、販売所とトラブルを起こし、母国へ強制送還になることを恐れているからだ。ジャーナリストの出井康博氏が、東京都世田谷区にある朝日新聞の販売所の実態をリポートする――。(後編、全2回)

■日本人との差別待遇に耐えるベトナム人奨学生

今国会で議論されている「働き方改革」の目的には、「長時間労働の是正」と「雇用形態にかかわらない公正な雇用の確保」(厚生労働省のホームページより)があるという。しかし、この国の片隅には、「働き方改革」など無縁な外国人労働者がいる。彼らは残業代すら支払われない長時間の違法就労を強いられ、日本人との差別待遇にも耐えている。新聞の配達現場で働くベトナム人たちがそうである。

東京・世田谷区にある朝日新聞販売所「ASA赤堤」――。この販売所で働くベトナム人奨学生・ハイ君(仮名)の就労時間は、2月までは週30時間程度だった。それが3月第1週には40時間を大きく上回った。担当区域が広がり、配達する新聞の部数も増えたからだ。

ASA赤堤では、以前は7つあった配達区域を6つに統合した。結果、ハイ君の配達部数は朝刊で約50部増え、400部近くになった。その数は、新聞配達の仕事としてかなり多い。

新しい配達区域に慣れるまでは時間がかかる。就労時間が増えたのもハイ君のせいではない。その後、就労時間は週32〜33時間程度まで減った。それでも留学生のアルバイトとして法律で認められた「週28時間以内」を上回る違法就労には違いない。しかも、28時間を超えた分の残業代は全く支払われていないのだ。

■原付バイクを買うカネまでも惜しんでいる

彼の真面目な仕事ぶりは、同行取材した経験から断言できる。配達のスピードも、自転車を使っていながら驚くほど早い。つまり、どんなにがんばっても「週28時間以内」で終わらない仕事を、ASA赤堤はハイ君に割り振っている。

最近、販売所の多くで配達区域の統合が相次いでいる。購読者が減っている影響だ。購読料と並ぶ収入の柱である折り込み広告も減少が続き、販売所の経営は軒並み悪化が著しい。そこで配達員の人件費を切り詰めようと、1人当たりの仕事が増やされる。

しかしASA赤堤は、伝統的に朝日新聞が強い地域にあり、関係者の間では「例外的に経営が優良な店」として通っている。にもかかわらず、配達区域を統合し、ハイ君の仕事を増やした。違法就労状態に拍車がかかることは、当然わかっていただろう。そのうえ、日本人配達員は原付バイクを使っているのに、ハイ君らベトナム人だけには自転車での配達を強いる。これでは、原付を買うカネまでも惜しんでいるとしか思えない。

そもそもベトナム人奨学生は、販売所にとっては安価な労働力だ。ハイ君の給与は、手取りで月11万円程度にすぎない。日本語学校の学費とアパート代を負担しても、日本人を雇うよりずっと安くすむ。

さらに言えば、ベトナム人には日本人のような転職の自由もない。販売所を辞めれば、ベトナムへ帰国するしかない。そんな弱い立場に販売所は付け込み、違法就労と差別待遇を強いているのだ。まさにやりたい放題である。

■違法就労を否定できない販売所

筆者は今年3月、ハイ君が働くASA赤堤の所長(経営者)に、新潮社の国際情報サイト「フォーサイト」の編集部を通じて取材を申し込んだ。「フォーサイト」は筆者が長く外国人労働者問題について連載しているサイトである。事前に送った質問は以下の通りだ。

(1)ベトナム人奨学生を採用した理由。
(2)今年2月末に配達区域を統合した理由。
(3)ベトナム人奨学生に限って配達に自転車を用いる理由。
(4)朝日奨学会は奨学生の休日を「隔週2日(4週6休)」と定めているが、ベトナム人奨学生が週1日しか休日を与えられない理由。
(5)ベトナム人奨学生の「週28時間以内」を超える就労への見解。

所長は対面でのインタビューには応じず、書面でこう回答してきた。

<日本で、働きながら勉強している学生を応援する為に採用しています。今後とも、法律を守るように努めます。>

個別の質問には答える気がないようだ。ベトナム人奨学生の違法就労問題に関しては、明確に否定すらしていない。

■朝日奨学会も「差別待遇」を容認

では、ベトナム人奨学生を販売所に斡旋している朝日奨学会は、違法就労と差別待遇の問題をどう認識しているのか。同東京事務局に具体的な質問を添えて取材を申請すると、ASA赤堤と同様、ファクスでこんな回答が送られてきた。

<外国人奨学生が在店する朝日新聞販売所(ASA)には、「毎週少なくとも1回の休日を与えなければならない」とする労働基準法や「週に28時間以内」の勤務時間を定めた入国管理法(※入管難民法=筆者注)などの順守を、日頃からさまざまな場で呼びかけています。ASAはそれぞれが独立した企業ですので、個々のASAでの労働環境については逐一把握しているわけではありませんが、外国人奨学生から相談があった場合は、奨学会として真摯に対応しています。>

朝日奨学会が採用する日本人奨学生には、「隔週2日」の休日が与えられる。片やベトナム人など外国人奨学生に対しては「労働基準法」を持ち出し、休日は週1日で構わないという。奨学会自体も、外国人奨学生に対する差別待遇を容認しているわけだ。

自転車での配達問題に対する回答はなかった。一方、違法就労については、「独立した企業」の問題として突き放す。販売所で不祥事などが起きた際、自らとは関係ない「取引先の問題」として片づけるのは、大手新聞社の常套手段だ。

■「真摯に対応しています」という言葉には嘘がある

朝日奨学会東京事務局は、販売所の<労働環境について逐一把握しているわけではありません>という。しかしASA赤堤では、以前にも問題が起きている。ハイ君の1年前に配属されたベトナム人奨学生からも、自転車での配達に対して不満の声が上がったのだ。そして奨学会関係者が間に入り、他の販売所へベトナム人奨学生を移すことになった。その後、ハイ君ら5人のベトナム人が配属された。そうした経緯を見ても、ASA赤堤が「問題店」であることは、奨学会も十分に把握しているはずなのだ。

奨学生からの相談に対し、<真摯に対応しています>という言葉にも嘘がある。2月末に配達区域が広がった後、ASA赤堤のベトナム人奨学生は奨学会担当者に対し、相談を持ちかけている。また、自転車での配達問題に関しては、以前から改善してくれるよう直訴してきた。だが、現在に至るまで全く対応は取られていない。

本来であれば、朝日新聞本社が率先して取り組むべき問題だ。奨学会の歴代専務理事は朝日新聞本社からの天下りで、事務局長も朝日からの出向者が務めている。そして本社と販売所の間には、決して「独立した企業」同士とは呼べない上下関係がある。

■朝日新聞が紙面で留学生問題を取り上げない理由

新聞配達の現場における留学生の違法就労は、朝日新聞の販売所に限った問題ではない。だが、奨学会として外国人奨学生を組織的に受け入れているのは朝日だけだ。また、読売新聞や日本経済新聞などの配達現場でも留学生アルバイトが急増しているのも、朝日の成功に倣ってのことなのだ。

新聞各紙では、実習生に対する人権侵害が頻繁に報じられる。とりわけ朝日新聞は熱心で、今年1月から3月にかけ電子版「GLOBE」で計7回にわたって連載された「求む 外国人労働者」でも後半3回は「技能実習の闇」と題し、ベトナム人実習生を被害者として取り上げた。そこでは実習制度が「人をだます制度」と批判されているが、自らの配達現場では、同じベトナム人が実習生にも増してひどい扱いを受けている。

日本で働く留学生の数は、実習生をも上回る。出稼ぎ目的で、多額の借金を背負い来日する“偽装留学生”の急増があってのことだ。彼らは日本語学校や人手不足の企業などからさまざまなかたちで食い物になっているが、朝日を始めとする大手紙はほとんど取り上げない。新聞配達の現場で留学生の違法就労を強い、食い物にしているからである。“偽装留学生”問題を紙面で取り上げれば、配達現場にも火の粉が及びかねない。それを新聞各紙は恐れているのだ。

ハイ君が働くASA赤堤は、2つの法律違反を犯している。「週28時間以内」を超える就労という入管難民法の違反、そして残業代の未払いによる労働基準法の違反である。しかし、ハイ君らベトナム人奨学生には声を上げる手段がない。販売所や朝日奨学会とトラブルとなって、ベトナムへと強制送還されることが怖いのである。実習生が受け入れ先の企業や仲介役の監理団体に遠慮し、なかなか被害を訴えられないのと同じだ。しかも新聞配達のベトナム人奨学生には、販売所に強要されているとはいえ、法定上限を超えて働いていることへの後ろめたさもある。

ハイ君が日本語学校を卒業するのは1年後である。それまで彼は差別待遇に耐えながら、違法就労を続けていくしかないのだろうか。

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出井康博(いでい・やすひろ)
ジャーナリスト
1965年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。英字紙『The Nikkei Weekly』の記者を経て独立。著書に、『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社)『松下政経塾とは何か』『長寿大国の虚構―外国人介護士の現場を追う―』(共に新潮社)『年金夫婦の海外移住』(小学館)などがある。

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(ジャーナリスト 出井 康博)