駅伝・マラソン選手は「億」を稼げるのか
■「駅伝・マラソン」はどれくらい稼げるのか?
ニッポンの正月は駅伝三昧だ。元日は実業団の「ニューイヤー駅伝」(全日本実業団駅伝)、2〜3日は大学生の「箱根駅伝」(東京箱根間往復大学駅伝競走)。たすきをリレーしながら疾走する選手を見ていると、あっと言う間に時間がすぎる。駅伝やマラソンなど、日本人ほど「人が走る」のを好む国民はいないのではないだろうか。
つい引き寄せられてしまうのは、レース展開の面白さや走る姿が凛々しいからだけではない。大学生と社会人の“最高峰”のレースは、すなわち、五輪や世界的なマラソン大会でのメダル獲得を期待できる、日本の陸上界を背負って立つホープを探し出せる醍醐味もあるのだ。
ニューイヤー駅伝を走る37チーム、259人の多くが、大学の駅伝部(陸上部・競走部)出身の“エリート”。社会人になってからもしのぎを削り、さらなる高みを目指しているわけだが、彼らランナーの収入や待遇はどうなっているかご存じだろうか。
▼ニューイヤー駅伝を走る実業団選手の「給料」
日本陸上界は「実業団」というシステムが中心だ。これは世界的に見ると非常に珍しい。ニューイヤー駅伝には、旭化成、コニカミノルタ、トヨタ自動車、Honda、富士通、DeNAなど大企業のチームが参加している。出場者の大半は「社員選手」(一部は「契約社員」)で一般業務はほとんど免除され、競技練習や大会が最優先される。
一般社員と同じように給料が支払われ(陸上の活躍に応じたボーナスがでる企業もある)、年齢による限界やケガなどにより現役を引退した後も、“お払い箱”にならずに社業に集中することができる。“安定”という意味ではかなり恵まれているといえるだろう。
日本の長距離ランナーでは「箱根駅伝を走ったかどうか」が指標になりやすい。箱根駅伝を走るレベルであれば、8割ほどは実業団に進むことができ、一般企業に就職するのは少数派だ。実業団に進む場合はチームのレベルと会社の大きさによって所属先を選ぶ選手が多い。
■「1億円ランナー」に最も近いプロランナー大迫傑
一方、海外には実業団という仕組みはないようで、実力のある選手は「プロランナー」となるのが一般的だ。彼らが稼ぐ手段は大きく2つある。
ひとつは企業とスポンサー契約を結ぶこと。スポーツメーカーと契約できれば、シューズやウエアの提供を受けられる。トップランナーであれば、金銭的なサポートを受けられることもあるが、そうした選手はごくわずかだ。
もうひとつはレースで賞金や出場料を稼ぐことだ。たとえば毎年2月に開催され、3万人以上が参加する「東京マラソン」にも賞金が用意されている。優勝は1100万円。10位までに入賞すれば着順に応じて400万円から10万円の賞金が出る。さらに記録ボーナスもあり、世界記録がでれば3000万円、日本記録は500万円、大会記録は300万円が支給される。東京マラソンはかなり高額だが、同じように賞金の出るレースは世界中にたくさんある。
またトップランナーであれば出場料も獲得できる。世界トップクラスのランナーは、メジャー大会と複数年で数千万単位の契約を結んでいる。非公表だが、国内の主要レースでも、大会主催者側がトップ選手にボーナスや出場料を支給しているようで、日本人の目玉選手では数百万円が相場だといわれている。
▼「日本マラソン界のエース」の箱根駅伝・ニューイヤー駅伝時代
こうした状況で、いま日本で「1億円ランナー」に最も近いといわれているのが、快進撃を続ける日本マラソン界のエース、大迫傑(26)だ。
高校駅伝の名門・佐久長聖高校から早稲田大学へ進み、同大1年時の箱根駅伝1区でいきなり区間賞を獲得すると、2年時には「学生のオリンピック」と呼ばれるユニバーシアード1万mで金メダル。4年時には1万mで27分38秒31の日本人学生最高記録を樹立して、モスクワで行われた世界選手権(2013年)にも出場した。
大学卒業後は日清食品グループに入社して、ニューイヤー駅伝の1区で区間賞を奪うと、わずか1年で退社。「プロランナー」としての活動をスタートさせた。現在は米国を拠点に、「ナイキ・オレゴンプロジェクト」の一員として世界最高峰のトレーニングをこなしている。
昨夏のリオデジャネイロ五輪は5000mと1万mに出場。特筆に値するのは、今年4月には世界屈指の伝統を誇るボストンマラソンで3位に入ったことだ。初マラソンを2時間10分28秒の好タイムで走破し、あの瀬古利彦以来、初めて表彰台に立った。
■シドニー五輪「金」の高橋尚子は「億」を稼いだ
さらにちょうど1カ月前の12月3日、福岡国際マラソンでは日本歴代5位の2時間7分19秒をマークし、全体の3位(日本人1位)に輝いた。大迫はいま最も旬なマラソンランナーといえる。
その福岡国際マラソンの3日後、大迫は、マニュライフ生命保険とのスポンサーシップ契約締結会見に出席した(契約は2020年までの3年間)。大迫は同社のイベントなどに参加してブランドの認知度向上を担う一方で、資金面などでサポートを受ける。プロのアスリートとすれば、スポンサーシップによる収入増で、より充実したトレーニングが可能になる。
大迫が契約・所属している「ナイキ・オレゴンプロジェクト」はナイキが支援しているクラブチームだ。大迫の契約金額は非公表だが、日本人選手がメーカーと契約する場合、数百万円というのが一般的だ。
例外は、シドニー五輪(2000年)で金メダルを獲得した高橋尚子だ。2003年6月からスカイネットアジア航空と2年契約で総額3億円(推定)、2005年6月からはファイテンと4年契約で総額6億円(推定)という大型契約を結んでいた。だが高橋は例外中の例外で、日本人選手の契約金額はまだまだ低い。
▼「最も1億円に近いランナー」大迫傑の独占取材
「マラソン復活」を掲げて、日本では実業団連合が15年から、マラソンの日本新記録が出た場合に1億円の報奨金を出すプロジェクトを開始している。男子の日本記録は高岡寿成の2時間6分16秒。2度目のマラソンとなる福岡国際で現役日本人最高タイムの2時間7分19秒をたたき出した大迫は最も1億円に近いランナーといえるだろう。
1億円プレーヤーが何人もいる他の競技に比べると、年間に参加できるレース数が限られるマラソンで稼ぐのは容易なことではない。それでも大迫は、「稼ぐ」という意味で、マラソン界だけでなく、日本スポーツ界のトップクラスに近づきつつある選手だ。
大迫本人に前出のマニュライフ生命保険との契約の記者会見後に、「マラソンは稼げるスポーツなのか」と聞いてみた。
■大迫に直撃取材「マラソンは稼げるスポーツですか?」
――実業団の日清食品グループをあえて退社して、「プロランナー」になった理由を教えてください。
【大迫】日清食品グループも十分にレベルは高かったんですけど、よりレベルの高いチームでやりたいと思っていたんです。自分の求める環境が米国(ナイキ・オレゴンプロジェクト)にあったことが大きかったですね。
――学生結婚をしていて、すでに家庭がありました。「稼ぐ」という意味で、安定収入の実業団から個人事業主であるプロになったことについてご家族はどう言っていましたか。
【大迫】実はそこはあまり気にしていなかったというか……。(家族の)意見はそんなに聞いていなかったです。デメリットというかリスクに関してはあまり考えずに、競技者としての環境を優先させてもらいました。
――プロランナーとしてスポンサー契約が増えることはどんな意味がありますか?
【大迫】金銭的なサポートはとてもありがたいです。サポートしていただけることで、合宿の頻度を増やすことができますし、自分のやりたいトレーニングができるようになると思います。また、新しい自分を探せるというか、世の中に対して(スポンサー契約する会社のイベントなどを通じて)何かしらの貢献ができることもうれしいですね。実業団に属して競技をしていると、自分にできる社会貢献とは何なのかといった気持ちもわかなかったかもしれません」
▼目指すは、瀬古利彦さん、高橋尚子さん
――プロランナーとして活動する難しさはどんなところにありますか?
【大迫】プロという個人事業主になってことで、自分の身の回りのことを自分でしないといけなくなりました。競技以外のことに取られる時間や労力は大きくなりましたね。福岡国際マラソン前の(アメリカ)ボルダー合宿では、日本から治療の先生に来ていただきましたが、その費用も自分で払っています。
――ずばり、「マラソン」は稼げるスポーツでしょうか?
【大迫】トラック競技と比べると、マラソンは多くの人に注目していただいているので、稼げるスポーツになっていくのではないかなと思っています。ただ何社もスポンサー契約を結べるくらいのレベルにならないと(大金は)難しいでしょう。瀬古利彦さん、高橋尚子さんなど、日本マラソン界には過去にすごい実績の選手がいたので、(知名度や収入面も含め)世間が日本人のプロランナーに求めるハードルは高いものがあるのかなと感じています。でも、それだけやりがいはありますね。
――日本の「実業団」というシステムの良い点、良くない点はどこだと思いますか?
【大迫】ストレスフリーで走ることに集中し、練習に打ち込めるという環境であることは非常にメリットだと思います。あと会社に守られているので安心ですよね。良くない点は、人によって違うと思いますが、僕の場合、チームが出てほしい大会と僕が出たい大会が必ずしもイコールではなかったことです。
残念ながら大迫への個別の取材時間は5分ほどだった。「2020年東京五輪の星」に話を聞こうと、会見に多くの取材陣が集まったためだ。それだけ注目度も高いということだろう。
日本で盛んな駅伝では1区間10km〜20kmを走る。そのことが42.195kmを走りきる力を奪っているのではないか――。日本マラソン界の低迷の原因として、そうした声があるのも確かだ。しかし、大迫の登場によって、「箱根駅伝→ニューイヤー駅伝→プロランナー」という成功モデルが確立されれば、そうした声も小さくなるだろう。日本人の「1億円ランナー」が再び生まれる日が待ち遠しい。(文中敬称略)
(スポーツライター 酒井 政人 撮影=酒井政人 写真=iStock.com)