「ウッシー、腱がないじゃん」状態からの復活。内田篤人、激動の7年
内田篤人とシャルケの7年(後編)
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2012〜13シーズンのシャルケは、前のシーズンから引き続きフーブ・ステフェンス体制でスタートした。だが、前半戦最後の第17節を前に、成績不振でステフェンスは解任。シュツットガルトからイエンス・ケラーを迎えることになる。内田篤人にとっては今回のウニオン・ベルリン移籍へと繋がる出会いだった。
デュッセルドルフ戦に途中出場、ウニオン・ベルリンでのデビューを果たした内田篤人
個人で契約するトレーナーとともに2013年3月10日のドルトムントとのダービー戦を目指したことが奏功し、その試合では2アシストを記録している。ゴールを決めたのはエースのクラース・ヤン・フンテラール。試合前の散歩でフンテラールと相合傘になり、「今日は俺を見ろって言われていたんだよね」と話していた。
このシーズンはそのまま無事に終えることができ、チームは4位に。ブラジルW杯まであと1年となり、代表戦にも気合が入っていた。
翌2013〜14シーズンのシャルケは、ケラー監督が職責を全うした。内田がシャルケに入団して初めて、1シーズンを1人の監督で戦ったことになる。順調そのものだった内田が悲劇に襲われたのは2月9日のハノーファー戦だった。この試合も内田は好調で、1アシストを記録。だが、好調ゆえに飛ばしすぎたのかもしれない。2-0とリードし、すでに交代枠も使い切った試合終了間際、内田はムダにも見えたドリブルで突っかけ、相手との接触もないまま倒れ込んだ。
当初は本人も、2011年の秋から何度か負傷している右太もも裏のケガだと発言していたが、実は右膝裏の腱が断裂したのだった。
「チームのやつらが『ウッシー、ここ、ないじゃん』って触るの。あ、ホントだホントだって、みんなが触ってきて、すげー痛いんだけど」
そのように翌日の練習場での様子を面白おかしく話していたが、ケガは重傷だった。
シャルケ側の診断は、手術、そしてW杯回避だった。だが、内田は何としてもW杯に出たかった。それは手術の回避を意味する。結局はクラブも内田の意向を尊重、負傷から5日後の2月14日には日本に帰国し、代表チームのドクターと治療方針を確認し合った。
実はケガをしたハノーファー戦には前日本代表監督の岡田武史氏が観戦に訪れており、試合後には対談も予定されていた。「岡田さんが見に来るの」と、嬉しそうに話していたことが思い出される。岡田氏にいいところを見せたかったのかもしれない。
大ケガから見事に復活を果たしたのはブラジルW杯本番、初戦のコートジボワール戦だった。続くギリシャ戦、コロンビア戦と、3戦を通して”戦えていた”唯一の選手だったことに異論のある人はいないだろう。内田はピタリとここに復帰の照準を合わせたスタッフの努力に感謝しつつ、仲間たちには厳しい言葉を投げかけた。
「真面目すぎ。言われた通りにやりすぎ」
せっかく復帰したチャンスを無駄にはできないという思いが強かったのかもしれない。グループリーグ敗退が決まると、内田は代表引退までも口にした。
迎えた2014〜15シーズンは、立ち上がりの4節こそ欠場したが、第5節以降は、第22節を除いて第24節までフル出場を続けている。この間にケラー監督が辞任し、今度はロベルト・ディマッテオが監督に就任した。
このシーズンの内田の最後の試合は、3月10日のチャンピオンズリーグ、レアル・マドリード戦。81分からのプレーだった。実はこの年の2月頃から、右膝に痛みがきていた。レアル戦の直前、ディマテッテオから「以前のように走れていないが大丈夫か」「お前は痛い時も痛いと言わない選手らしいが、大丈夫なのか」と、聞かれていたという。内田は「なんとかやれる」と回答したものの、ベンチスタート。「嘘でもできるって言っておけばよかったな」と後悔するほど、レアル戦は魅力的だった。
同年3月、日本代表監督に就任したヴァイッド・ハリルホジッチはそういう状態にあった内田を代表に招集。3月27日、初陣であるキリンチャレンジ杯チュニジア戦で84分から投入すると、31 日のウズベキスタン戦では先発させ、45分間出場させた。これに対して、シャルケが不信感を露わにしたのも当然のことだろう。
結局、2015年3月のレアル・マドリード戦は、実質的に内田にとってシャルケでの最後の試合となった。2015〜16シーズンは1試合も出場がなく、2016〜17シーズンは12月8日、消化試合となったヨーロッパリーグのザルツブルク戦に83分から出場しただけだ。ひたすらリハビリの日々を送り、一時は現役復帰さえ危ぶまれるような状態から、ようやく実戦復帰が現実的に見えるところまでたどり着いた。
内田が今後目指すのは、ウニオン・ベルリンでのレギュラー定着と代表復帰だ。
「やっぱり代表でもう一度プレーしたい。目標はそこだからね」
4年前の複雑な思いは消えた。今の内田に迷いはない。負傷は癒えたとはいえ、90分間戦う体力があるかどうかも未知数なら、新しい舞台である2部リーグも初体験。多くの課題をクリアしながら、ロシアの舞台を目指す。そして、その先もサッカーを続けることを本人は決めている。
ウニオン・ベルリンでの入団会見の席上、ドイツ人記者から「なぜ1年契約なのですか?」と質問された内田は「契約年数は重要ではなく、日々の頑張りこそが大事」と答えている。
9月10日。シャルケの本拠地で開催された退団セレモニーの数時間前に行なわれたブンデス2部デュッセルドルフ対ウニオン・ベルリン戦。内田は75分から出場し、新天地での第一歩を踏み出した。
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