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 26日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の最終回をもって、国民的アイドルグループ・SMAPは活動を終了した。解散日は12月31日とされているが、それまでの間に彼らが5人そろって活動する予定はなく、実質的に解散したと言ってよい。

 ちまたにはSMAP解散を悲しむ声があふれているが、実際のところSMAP解散で何かが変わるのだろうか。答えは、否である。確かに、20年続いた「SMAP×SMAP」は来週からは見られなくなり、5人が歌番組などで歌い踊る姿も、もはや見ることができない。だが、批判を承知で言うと、芸能界という大きな枠の中ではそれらはごく小さなことでしかない。

 どんな大物俳優が突然死去しても、有名ミュージシャンが逮捕されても、大物司会者が突如芸能界を引退しても、何事もなかったかのようにすべてが回っていくのが芸能界だ。SMAP解散によって人々の心に開いた穴は大きく、なかなか埋まらないかもしれないが、芸能界に開いた穴はあっという間に埋まっていくことだろう。

■SMAPが「死んだ」あの日

 SMAPが最後に何かを変えたとすれば、それは解散によってではなく、1月の公開謝罪によってであった。視聴者にではなく事務所に謝罪する姿を公共の電波で流された時、長年芸能界に君臨し続けたアイドル(偶像)としてのSMAPは、死んだ。

 SMAPのような国民的アイドルと言えども事務所の意向に逆らうことはできず、いったん逆らえばこのようなさらし者にされることを、我々は思い知らされた。つまり、アイドルは偶像ではあるが神ではないことをSMAPは身をもって我々に教えてくれた。あの日、黒いスーツに身を包んだSMAPのメンバーは、自ら自分たちへの弔辞を読まされたのである。その後我々が目にしていたのは、長い長い残像であった。

 今に至るまで、SMAPの分裂・独立に関して本当は何があったのかは明らかにされていない。確かに様々な情報は流れたが、そのすべては何らかのプロパガンダを含んだものであり、信頼に値するものとは言い難い。だが、メンバーのテレビでの態度を見る限り、「この5人でこれまで通り活動することはできない」という感情のもつれや感情的な対立が根深いのは間違いないだろう。

 長年にわたって愛され、老若男女の誰もが全員の名前を知っているほど日本人に浸透した不世出のアイドルグループが、これほど異例な形で解散しなければならなかったのは、率直に言って残念としか言いようがない。

■誰かを悪者にするのは簡単だが…

 解散に至る一連の動きについて、彼らが自分の言葉で語ることはなかった(許されなかった)。だが、語ることが許されていなかったとしても、せめて最終回で互いにハグや握手はできたはず。それがあったらどんなに我々の心が救われたことだろう。幕が下りた後、誰も互いに目を合わせようとしない光景が、彼らの心の内を物語っていた。

 しかし、SMAPのメンバーの誰かが悪かったとは思いたくない。メンバーそれぞれに信念があり、譲れない部分を抱えて生きているはず。それが相いれなかっただけなのだと思ってあげたい。SMAPはこれまで、我々に十分すぎるほど夢を与えてくれた。この辺で我を通したからと言って、誰が責められようか。

 最後の最後に、アイドルとして振る舞うよりも、自分個人の信念と生き方を貫くことを選んだ5人の男たち。その覚悟を今度は、個々の活動で思い切り我々に見せて欲しい。

文・中島千代