ノーベル文学賞作家・大江健三郎も「暮しの手帖」レシピで料理できた

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池澤夏樹=個人編集《日本文学全集》(河出書房新社)第20回(第2期第8回)配本、第30巻『日本語のために』。


この巻(全集の巻立てで言えば最終巻)は、8世紀から21世紀まで日本列島で行われた言語活動のサンプラーであり、同時に、その言語活動について考えるための論集という側面もある。辞書の項目も収録された本巻は全10章からなっている。

政治の言葉


丸谷才一「文章論的憲法論」によると、大江健三郎が雑誌の書評欄で料理本の記事を担当することになったとき、大江は〈ぱらりと偶然に開いたページの一品を、材料を買つてきて実際に作つてみる〉。

そうすると、暮しの手帖の記事は、〈大江さんのやうにごく稀にしか料理を作らない男でもちやんと出来る、だから非常によろしい、と大江さんは褒めてゐました〉。

〈先代の編集長である花森安治さんの方針だつたんですが、新入社員をしかるべき板前ないしコックのところに行かせる。目の前で作つてもらひながら教はる。帰つて来て作り方を文章にする。その記事を別の社員に渡す。
その社員は記事を読みながら料理を作る。作りながらわからないところは一々チェックして新入社員につきつける。そこの文章を新入社員が直す。
さういふことを何度か繰り返すうちに、完全な料理記事が書けるようになる。それが新入社員の訓練法だといふのです〉
(引用者の責任で改行を加えた)

花森安治の考え方の基本にある〈散文といふもののいちばん大事な機能は伝達性だ、といふ認識〉の点で、丸谷は「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」を日本語の伝達性という側面から厳しくチェックしていく。

憲法の日本語のへんてこさについて気になった向きは、柳父章『近代日本語の思想 翻訳文体成立事情』もお勧め。

「政治の言葉」収録作
「大日本帝国憲法」第2章まで/「終戦の詔書」(高橋源一郎訳)/「日本国憲法」前文(池澤夏樹訳)/鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法について」/丸谷才一「文章論的憲法論」


日本語の性格&現代語の語彙と文体


鶴見俊輔は、上記「政治の言葉」の章に収録された「言葉のお守り的使用法について」で、
〈儀式めいた時、元気な時、侵略思想をひろげようとする時には、日本という漢字は「にっぽん」と発音される〉
と書いた。

いっぽう中井久夫は、「日本語の性格」の章に抄録された『私の日本語雑記』で、つぎのように書いている。
〈「あはれ」は「ああ」という感動、詠嘆の間投詞である。ah-nessとでもいうべきものが「もののあはれ」を真ん中において「あはれ今年の秋も逝くめり」の無常観から「あはれともいふべき人なり」ともなり、ほめ言葉の「あっぱれ」までの大きな広がりを作った〉


鶴見と中井を続けて読むとわかる。
そうか、「にほん」と「にっぽん」の関係は、「あはれ」と「あっぱれ」の関係だったのか。あはれなにほん、あっぱれなにっぽん。

「現代語の語彙と文体」の章では、『ハムレット』の
”To be, or not to be : that is the question”
から始まる台詞のさまざまな訳が見本帖のように並ぶ。最初の部分だけ引用。

〈存〔ながら〕ふるか……存へぬか……それが疑問ぢや〉
〈世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ〉
〈生き続けるか、生き続けないか、それがむずかしいところだ〉
〈生か、死か、それが疑問だ〉
〈このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ〉
〈生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ〉
〈このままこうしているべきかそれともそれをやめるべきかというのが問題で〉


最後の訳の〈問題で〉は引用者のタイプミスではなく、この訳ではここで「。」が来ず、長い一文としてこの先に続く。
どれがだれの訳かは下記を参照されたい。

「現代語の語彙と文体」収録作
『新編 大言海』・『日本国語大辞典』第2版・『新明解国語辞典』第7版・『大辞林』第3版・『広辞苑』第6版より「こい」「あい」「こころ」「たましい」「くに」「よ」「よのなか」「せけん」「じゆう」/シェイクスピア『ハムレット』(1602?)第3幕第1場(抄)(坪内逍遙訳・坪内1933年改訳・木下順二訳・福田恆存訳・小田島雄志訳・松岡和子訳・岡田利規訳)
「日本語の性格」収録作
永川玲二「意味とひびき 日本語の表現力について」/大野晋『日本語練習帳』より「文法なんか嫌い 役に立つか」/中井久夫『私の日本語雑記』2章まで


古代の文体&漢詩と漢文


古代の日本には文字がなかったので、日本語のルーツ自体は、文字(漢字)到来以後の資料から推測するしかない。日本語学者・大野晋は、日本語とタミル語とのつながりを強調するユニークな説を立てていて、その観点から『古典基礎語辞典』を編んだ。
「古代の文体」収録作
祝詞「六月晦大祓〔みなづきのつごもりのおほはらへ〕」(池澤夏樹訳・註)/大野晋編『古典基礎語辞典』抄


漢字到来後は、漢文がインテリの書き言葉となった。ここから日本語の和漢混淆文が生まれ、また漢詩は菅公、一休さんから漱石にいたるまで、知識人のたしなみとされていた。平安期、室町期、江戸期、明治期の漢文サンプラーを見ると、日本語(にかぎらず言語というもの)はつねに「異言語」を取りこみながらしか、存在することができないのだということがわかって、風通しがいい気分になる。


「漢詩と漢文」収録作
菅原道真『菅家文草』より第148番(中村真一郎訳)/絶海中津の詩4篇(寺田透訳・註)/一休宗純の
詩6篇(富士正晴訳・註)/良寛の詩4篇(唐木順三訳・註)/頼山陽『日本外史』(頼成一+頼惟勤訳)/夏目漱石の詩4篇(吉川幸次郎訳・註)


仏教の文体&キリスト教の文体


中国経由の大乗仏教は、それまでの日本人の発想とはかなり違った考えかただった。それが日本に流入してくると、日本人の考えかたがいろいろ変わった。それまでの日本の発想とも違っていたけれど、中国の仏教ともインドの初期仏教とも違う日本の仏教になった。

お経は漢文(つまり外国語)のまま朗誦される。その漢文のなかにもサンスクリットやパーリ語を音訳した(だから中国人にも意味不明の)「呪文」が入っている。そして(宗派によって違うかもしれないが)故人の供養をするパートは和漢混淆文だ。
この言語ハイブリッド状態は、私見では、日本のポップスで「サビの一部分だけ英語のヤツ」に似ている。


「仏教の文体」収録作
漢訳「般若心経」/蓮如「白骨」(以上、伊藤比呂美訳)/道元『正法眼蔵』より「諸悪莫作」(増谷文雄訳・註)

『マタイによる福音書』の、最後の晩餐におけるイエスの言葉もいろいろだ。
〈コレヲ コラヘヨ、コレ イマシイ ワガ身〉
〈取りて食〔くら〕へ、これは我が体なり〉
〈取って食べよ、これはわたしのからだである〉
〈取って食べなさい。これは私の体である〉
〈取って食べよ。これは私の体である〉
〈取って食いなれ。これァ、俺が体〔かばね〕だ〉(気仙沼の「ケセン語」訳)


「キリスト教の文体」収録作
「どちりいな-きりしたん」第2まで(宮脇白夜訳)/『マタイによる福音書』第26章(ベッテルハイム訳・文語訳・日本聖書協会訳・新共同訳・バルバロ訳・山浦玄嗣訳)

琉球語&アイヌ語


「ケセン語」もそうだけど、どこまでが「方言」でどこからが「同系統のべつの言語」か、という問題は、程度問題でしかないのだろうか。そこには言語学だけでなく、政治もからんでくる。沖縄の言葉もそういう揺れのなかに置かれた。

夏ぐれのすぎて 露の玉むすぶ 庭のなでしこの 花の清らさ (作者不詳の琉歌)
(なつぃぐりぬすぃじてぃ、つぃゆぬたまむすぶ、にわぬなでぃしくぬ、はなぬちゅらさ)
島袋盛敏訳=〈夏のにわか雨が過ぎて、露の玉を宿している庭のなでしこの花が美しい〉

南の島に行きたい…。


日本語と琉球語がスペインにおけるカスティリャ語とカタルーニャ語の関係だとすると、アイヌ語はバスク語のような完全別系統の言語だ。
日本が単一民族単一言語だという純血思想がどういう事情で成立したかはともかく、もし単一文化なんてものがあったら、それはさぞかし退屈な文化だろうと思う。

「琉球語」収録作
『おもろさうし』1309-1314(外間守善訳・註)/琉歌30首(島袋盛敏訳・註)
「アイヌ語」収録作
アイヌ神謡「小狼の神が自ら歌った謡『ホテナオ』」(知里幸惠訳、北道邦彦編)/山辺安之助『あいぬ物語』上篇第1章5-7および金田一京助「序」/萱野茂『萱野茂のアイヌ語辞典』増補版抄



音韻と表記


僕らはこうやって現代かな遣いで文章を書いているけれど、それが施行されて70年しか経っていないし、その問題点を指摘してきた人もいる。
表記ルールはだれかが暫定した人工物だ。「だからルールを破ったらアウト」でもなければ、「だからどう書いてもいい」でもないんですよね。


余談ですが、「人名漢字」という窮屈な決まりで命名の選択肢を狭めながら、キラキラネームの読みの奔放さを野放しにしている現状は、日本語にとって残念だなー。
「音韻と表記」収録作
小松英雄『いろはうた』抄/松岡正剛「馬渕和夫『五十音図の話』について」/福田恆存『私の國語教室』序と第1章2まで/高島俊男『漢字と日本人』より「新村出の痛憤」/丸谷才一「わたしの表記法について」


 編者の池澤さん自身があとがきで
〈何かおかしな本ができてしまった〉
と述懐するこの1冊、非常に楽しめます。

次回は第20回(第2期第9回)配本、第29巻『近現代詩歌』で会いましょう。


(千野帽子)