佐伯啓思『倫理としてのナショナリズム―グローバリズムの虚無を超えて』
「人の心はお金で買える」「金を持っているやつが偉い」などと、マモニズム(拝金主義)的放言を是とする「合理的な愚か者」が都会では氾濫する。それを見るのが嫌で森に逃れると、放置された人工林が広がっている。今の時期、マッチ棒のように密集して林立するスギ・ヒノキが、次世代に望みを託して必死に花粉を散らしている。その森に足を踏み込むと、下草もなく、動物もいない。

 一見するとこれら2つは次元の異なる事象のようだが、よく眺めると、根源を同じくする表象の異なった社会的断面であることに気付く。その根源がグローバリズムだ。グローバリズムを端的に表現すれば、「市場」による帝国主義である。バブル以降、日本はグローバリズムに侵され、「安定」と「平等」を失った、と著者は強調する。代わりに台頭してきた価値観が「効率」と「競争」である。いわゆる市場競争を最優先させる新自由主義という思想だ。

 無政府的資本主義に傾倒したグローバリズムという思想は、特色を持った国・地域という概念に攻勢をかけ、人間性をもカネでなんとかしようとする。市場の効率性向上のためには、コミュニティといった社会的共同体を瓦解させるモーメントを発動することも厭わない。地域社会の残骸が花粉症の原因、スギ・ヒノキの人工林なのだ。

 本書の表題は「倫理としてのナショナリズム」。戦前・戦中を知るものにとっては、「ナショナリズム」という用語に嫌悪感を抱くかもしれない。だが、著者の意図するナショナリズムとは、伝統に支えられた価値観をベースに、その国・地域の持続的成長をいかにして創り出すか、という思想を指す。

 本書は思想という視座から、グローバリズムという現代社会の病理を照射しつつ、その処方箋としてのナショナリズムの意味を問いかけている。(NTT出版、2005年2月刊、2100円)【了】

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