「みなさんに私たちのやる気を見せたい」

 初めての代表メンバー発表会見でそう語ったヴァヒド・ハリルホジッチ監督には、確かに底知れぬ野心が満ち溢れていた。

 会見席の前に立ち、読み上げた選手が会場に設置されたスクリーンに映し出されるという手法もこれまでにない斬新さだったが、それ以上に驚かされたのは、彼の口からバックアップ12名を含めた計43名もの名前が読み上げられたことだった。

 バックアップメンバーを敢えて発表することに関しては、「グループが大きいこと」や「モチベーション、準備、これから競争が始まる」というメッセージを伝えたかったとしているが、それにしてもたった2試合の親善試合で31名を招集するのは異例中の異例。その中には故障中の長友佑都や内田篤人といったヨーロッパ組も含まれているのだから、それだけでも彼の"やる気"が半端なレベルではないことが見て取れる。

 ただし、現時点では頼もしく映る彼の前のめりな姿勢も、手放しで喜んでばかりはいられない。"やる気"とは、結果が伴わなければマイナスに転じ、時として空回りしてしまうことがあるからだ。しかも彼には、その「空回り状態」によって失敗した苦い経験もある。

 思い出されるのは、彼がパリ・サンジェルマン(PSG)を率いていた2004−2005シーズンのことである。

 当時のPSGは、それまで大黒柱だったロナウジーニョがバルセロナに去ってしまったことで、チーム再建のため、リール時代に年間最優秀監督賞を受賞したこともあるハリルホジッチを03−04シーズンにレンヌから招へい。すると、厳しさと規律を重んじる厳格な指導者として定評があった彼は、スター選手が抜けたチームをすぐに改造し、就任初年度からフランスカップ優勝とリーグ2位という予想外の好成績に導いた。

 よって、PSGにとっての2004−2005シーズンは、チャンピオンズリーグにも出場し、リーグアンでは優勝候補として臨んだ期待のシーズンであり、彼にとっては監督としてさらなるキャリアアップを狙える重要なシーズンだった。

 ところが、2004年11月19日に行なわれた首位リヨンとの一戦。本拠地パルク・デ・プランスを訪れた時に見た光景は、シーズン前の期待とは大きくかけ離れたただならぬ実態の数々だった。スタンドから度々巻き起こる大ブーイングと口笛の嵐。そして、スコアレスドローに終わった試合後の会見場に漂っていた不穏な空気。壇上で、高圧的な態度でメディアと対立する彼の姿は、今でも記憶に残っている。

 実は、開幕スタートダッシュに失敗したそのシーズン、彼は主力選手の内紛もあって思うような成績を残せず、すっかり選手からの求心力を失っていた。しかもチーム復調の障害となったのは、他ならぬ彼の厳しい指導スタイルだったのである。

 時として権威主義的とも言える彼の厳格さは、結果が出ている時は高く評価されるが、結果が出なければ高圧的に見えてしまい、批判の的となりやすい。彼と親しかった当時の会長も当初は擁護に回っていたが、チャンピオンズリーグでグループ最下位、国内リーグでも中位に低迷する状態が続いたことで、ついに2005年2月に見切りをつけるに至った。

 もっとも、当時のPSGには移籍を巡るフロントの汚職、ずさんな経営体質、サポーターのボイコット、スタジアムの治安悪化など、夥(おびただ)しい数の事件が続いていたため、彼だけが批判の対象になったわけではない。また、金銭的な理由で一向に補強が進まないことについて彼がフロントを痛烈に批判し始めたことも、理解できないわけでもない。

 しかし、そういった外部的問題があったにせよ、相手が誰であろうと自分の意見や信念は絶対に貫き通すという彼のスタイルは、一旦ネガティブに作用すると負の連鎖が止まらない傾向があることは知っておくべきだろう。日本サッカー協会が、諸刃の剣でもある彼の指導スタイルを理解したうえで白羽の矢を立てたのなら問題ないが、もしポジティブな面だけを見ているのであれば、場合によっては飼い犬に手を噛まれることも覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 その他にも、今後に向けた不安要素はいくつか浮かんでくる。たとえば、彼がヨーロッパの第一線から離れてもう10年近くが経過している点もそのひとつだ。PSGを追われてからの彼は、トルコ、サウジアラビア、コートジボワール、クロアチア、アルジェリアと、フランス国外を転々とした。

 これはフランス人監督にもよくある話だが、フランス国内で大きな失敗を犯したことにより、本人の希望とは裏腹に国内での再チャレンジの機会はその後訪れることはなかった。そういう意味で、ヨーロッパの最前線を長く離れた彼に最先端の戦術を期待するのは難しい部分がある。

 また、彼のようなタイプが本音と建て前で成り立っている日本人社会にすんなり馴染めるかどうかも不安要素と言えるだろう。かつて代表監督を務めたフィリップ・トルシエ(98年〜02年)のようなエキセントリックな性格ではないが、思ったことを包み隠さず話すという点では共通している部分もあるだけに、協会首脳陣との関係も注視する必要がありそうだ。

 いずれにしても、何か新しいことが始まる前は期待と不安が入り混じるものだ。就任会見から盛んに「少し時間がほしい」と繰り返しているように、我々も長い目で彼の仕事を見つめていく必要があるだろう。少なくとも、彼にはネガティブな指導経験だけでなく、ポジティブな実績も多いことは間違いないし、何よりも歴代の日本代表監督に見られなかったような"やる気"を、さっそく言葉と態度で示している。

 とりわけ今回のメンバー発表会見における言動からは、日本代表で結果を残し、再び指導者としてのキャリアアップを狙っていると推測できそうな強い野心も窺えた。そういう点で、抜本的改革を必要としている日本代表にとってはうってつけの監督になる可能性は十分にあるといえる。吉と出るか凶と出るか−−。いずれにしても、賽(さい)は投げられた。

中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi