【アギーレジャパンとの遭遇〜世界へ挑む男たち・豊田陽平(後編)】

 2014年、豊田陽平はサガン鳥栖で力を顕示したと言えるだろう。それは日本代表の一員としてもふさわしかった。失意のブラジルW杯メンバー落選から、ハビエル・アギーレ監督率いる新生日本代表に選出された。

 11月14日、豊田スタジアムで行なわれたホンジュラス戦。豊田は後半18分に岡崎慎司と交代でピッチに入っている。後半24分には本田圭佑、香川真司とゴール前でつながった攻撃が混戦になると、こぼれ球に詰めていた豊田が右足で豪快に蹴り込んだ。代表初ゴールを、彼は飛行機ポーズで自ら祝した。

「周りからも祝福されて嬉しかったんですけど、実は"こんなものか"と少し拍子抜けしましたね」と豊田は淡々と言った。

「代表でやっていくために、0から1になるというのはすごく大きいんです。ゴールの形そのものはどうでも良くて、もっと泥臭く詰めるだけでも良かったと思いますね。ただ1点取った後、"物足りない"という感触だったんですよ。ホンジュラスに歯ごたえがなかったというのもあるかもしれませんが、"自分はこんなもんじゃない、もっともっと"という気持ちになったんです。だから、(その後の)本田からのパスを決めきれなかったことの悔しさの方が残ったというか」

 豊田は胸中を明かしたが、それはストライカーとしての本来的心理なのだろう。ゴールに満たされない。得点で自信を得た彼は、"もっと得点ができる"という欲求を抱くようになった。その渇望がストライカーにカタルシスを与える。

「本田の様子は、ザッケローニさんの頃とはまったく別人でしたね。それはびっくりしました」と彼は言う。

「すごく気さくになっていて、誰とでもコミュニケーションを取る感じでした。今回は会話のキャッチボールをすることができましたね。なんで変わったのか、は僕にも分かりません。ブラジルW杯での戦いを経験した上で、彼自身も変わらざるを得ないと思ったのかもしれません。だから今回の合宿で本田との距離が縮まったのは良かったですけど、別に彼とは恋人同士でもないので、距離が縮まってもどうなんだよ、というのはありますけどね」

 彼は冗談めかして言った。代表選手としての余裕が生まれたのだろう。その表情からは手応えも感じられる。「もう少し時間があれば連係を深められるのに」とアルベルト・ザッケローニ監督時代には口惜しさも味わっていた。

「(香川)真司に関しては、ザッケローニさんのときはパスのタイミングがずれることもありました。でも、彼とは試合後のコミュニケーションが必ずあって、『ごめん、見えていたんだけど』と、そこで調整もできていたので、心配していませんでしたね。(タイミングが合うのは)時間の問題だと自信を持っていました」

 豊田は本田とだけでなく、様々な選手とのコミュニケーションを深めている。

 続くオーストラリア戦(11月18日)も、後半32分に岡崎と交代で出場。前線からの強烈なプレスにより、オーストラリアの選手たちを激しく動揺させた。この日の見せ場は後半45分だった。敵陣でボールを奪うと、本田、香川とつなぎ、右サイドの酒井高徳からのクロスをファーポストで合わせた豊田はスタンディングでヘディングシュート。地面に叩き付けたシュートは、GKの好セーブに防がれた。

「最高のタイミングで高徳からクロスが入ってきて、自分はファーポストに流れてマークも外せていました。あれは決めたかったですね。自分の得意な形だったんで。"とにかく枠に叩き込みたい"という一心で、打ったんですが」

 豊田はそう言って口をすぼめたが、合宿を通じて好感触を得ていたことは間違いない。例えば太田宏介の左足には期待できるものがあって、『頼むよ』と伝えていた。今回は一緒にピッチに立つことはできなかったが、今後に向けての布石も打った。

 もっとも、アギーレ監督は合宿初日に挨拶しただけで、そのままメキシコに旅立ってしまい、戻って翌日に試合という日程だったので、"指揮官になにを求められているのか"は自分で推量するしかなかった。オーストラリア戦は「サイドバックの裏を狙え」と指示を受けた。"どうやらトップにはサイドに流れてボールを受ける仕事を求めている"と理解したが、基本は自己判断が欠かせないだろう。

 ザッケローニ監督は戦術的に細やかだったが、アギーレは攻撃に関して数えるほどのパターン練習しかしていない。例えばセンターバックが持ち上がり、ボランチを飛び越して3トップの左側の選手にボールを入れる。このとき、サイドの選手は少し内側にポジションを取り、ギャップで受け、トップの選手に当てる。トップの選手はダイレクトでリターンするか、二列目に上がったインサイドハーフに落とすか、3トップ右側の選手に流す。

 この攻撃パターンの繰り返しが基本だった。あるいはセンターバックがワイドに開いて一気に逆サイドのアタッカーに展開するという攻撃練習もしたが、つなげるよりも縦に速い攻撃を志向していることだけは明らかだろう。

「4−3−3はやりにくい、と言われますけど、自分としてはそこまでの違和感はないです。ただ、攻撃が単発で終わりやすいというか、FWが孤立しやすい点はあるかもしれませんね。そこはボランチとの距離感をうまく取らないと。アギーレさんの代表は始まったばかりですし、手探りで続けていくしかないですね」

 代表選手たちと行動を共にする中、強い刺激も受けた。例えばシャワールームでは同年代の内田篤人と一緒になり、目を丸くしたことがあった。昔は華奢な印象だった内田の太ももが、胴回りのように太くしっかりと付いていたのだ。胴体にハムをくっつけたように見えた。

「うっちー(内田)、それ、どうやって鍛えたの?」

 思わず、彼はそう訊ねた。

「向こう(ドイツ)でやっていたら自然に付くよー。あっちの選手は当たりも強いから」

 内田は軽い調子で応えたという。

「えー、ふっとー!!」

 豊田は思わず感嘆の声を上げずにはいられなかったという。試しに吉田麻也を呼んで横に並ばせてみた。ほとんど同じ太ももの太さだった。ドイツのピッチは重馬場で、踏ん張らないといけない状況もあるのだろう。あるいは、内田の場合は筋肉系の故障の直後のために鍛え上げていたということもあるに違いない。しかしそれらを差し引いても、信じがたい変貌だった。

<海外組は本当にしっかりした体をしている。これも環境が彼らを強くしているんだろうか>

 彼は本気で海外移籍を考えるようになった。豊田はJリーグでフィジカル能力が高く評価される選手で、その利点は自らも気づいている。自分は「下手くそな選手」と認め、下手さを隠す術も身につけてきたが、それで十分なのか、もっと技術的にもうまくなれるんじゃないのか、そんな発想が生まれた。事実、内田はひょろっとした印象があったのに、太く強い選手になっている。

<たとえ失敗してもいいから、一度は自分も海外という環境に飛び込んでみたい>

 真剣にそう考えるようになった。

「オカ(岡崎慎司)も昔よりうまくなっていますからね。ドイツでプレイしていることで自信を付けているんだな、と思いました。体つきは、昔とはまるで変わっていますね。肩周りからなにから、がっちりむっちりしていて。それでいて、オカはとにかく俊敏に動いてパスコースを作れるし、活動量は半端ない。点を取るためのポジションをいつも取ろうとしているし、できなくても相手を攪乱している。オカはベンチで一緒に北京五輪の戦いを見守った選手です。ここまで成長しているとは......率直に言って、海外でプレイすることに心を動かされましたね。まあ、プロ選手なのでオファーがなければそれも難しいんですが」

 彼は心中を包み隠さずに打ち明けた。一人のアスリートとして、それはまっとうな欲求なのだろう。

 星稜高校から名古屋グランパスに入団した頃、彼の月給20万円程度だった。年末に「数千万円の年俸で契約を更新」という記事を見ると、"いつかこういう選手になってやる"と心に誓った。技術の高い選手と自分を比較し、欠落感を覚えたこともある。しかし自分が下手でも生き残る道を探した。そしてJ2から這い上がり、J1で優勝争いし、得点を量産して日本代表に選ばれるようにもなった。

 鳥栖というクラブで夢中に過ごしているうちに、思った以上に遠くまで歩みを進めて来たのだろう。

「これから進むべき道は、じっくり決めようと思います」

 彼はそれだけ言った。

 探求心旺盛な豊田は、こつこつと経験値を貯めてきた。手強い相手と戦う、そうした環境が自分を鍛錬することを心得ている。まずは鳥栖の選手として1シーズン戦った体を休める必要がある。自分がカラッポになるほど戦い抜くことで、今の豊田は作り上げられてきたのだ。そしてその後は――。

 戦闘者はその闘争にふさわしい舞台に立つことになる。

小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki