羽生結弦 (写真:フォート・キシモト)
 メダリストの「メダル噛み」という行為に対して、賛否両論が起きています。ついには、日本選手団の橋本聖子団長までメダル噛みについて言及し、個人的な見解としながらも「噛むという行為はあまり好ましくない」という立場を示しました。

 メダル噛みを巡る意見は「メダルを噛むのは品がない。メダルを屈辱するな」という真っ向否定派と、「別に選手のモノなんだから噛んでもいいじゃない。撮影のときに噛めって要求されることもあるよ」という消極的賛成派、そして「おせんべいみたいで美味しそう。かじりたい!」という深夜観戦空腹派とに大別されるでしょう。

<短文投稿サイト・ツイッターで見られる代表的な意見>

【メダルを屈辱するなよ派】


【選手のメダルだし好きにすればいいよ派】


【お腹が空いてきた!おせんべいが食べたいよ派】


 メダルを噛む行為に対して、何故ここまでの対立が起きるのでしょう。これはひとつに、「品がない」からと否定する人々の存在そのものが原因と考えられます。個人が勝手に噛んでいるぶんには何の問題もない行為に対して、否定する人がいるから議論となるのです。そもそも、否定派には筋道の通った理屈はあるのでしょうか。「何となく気に入らない」という個人的感情に、「品がない」という理由を後づけしているだけなのではないでしょうか。

 たとえば、あのメダルがおせんべいであったなら。バンクーバー五輪のメダルなどは、その形状から「ぬれせんべい」と称されましたが、あれがまっことおせんべいであったなら、「噛む」こと自体への議論がここまでこじれることはなかったでしょう。噛んで当然のものですから。誕生日や結婚式でお祝いのケーキをかじっても、「ケーキを侮辱するな」「クリームを口のまわりにつけて品がない」「ハッピーバースデートゥーユーは直立して歌え」などとは言われませんからね。


バンクーバー五輪の金メダル(写真:フォート・キシモト)

 つまり、メダルを侮辱云々ではなく、「メダルは噛む用途のものではない」ということが、本件のポイントなのです。世の中には「噛む用途にないものを噛む」という行為が許せない人が一定数いるのです。そして、彼らは何故それがいけないのかという理屈を持ち合わせていないのです。「爪を噛むな」「鉛筆を噛むな」「乳首を噛むな」といったしつけを受けて育ってきたのです。とにかく「噛む」のがイヤなのです。

 要するに、メダル噛みを巡る議論は、「しつけイデオロギーの対立」と言うべきもので、スポーツや五輪とは無関係の議論なのではないでしょうか。どうりで議論が折り合わないわけです。しつけ論争なのですから、本来ならご家庭内だけでやっていただきたい話ですよね。

 無関係の人間からのしつけイデオロギーを、上から目線で押しつけられるアスリートは大変ですが、逆らっても面倒なことになるだけなので、上っ面の処世術としてメダルを噛まないように気をつけていただきたいものであります。

(文=フモフモ編集長 http://blog.livedoor.jp/vitaminw/