ロンドン・ビジネススクール 教授 リンダ・グラットン氏

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先進国は新興国に凌駕されるのか。雇用規制は緩和されるのか。そして、日本の未来はどうなるのか……。2025年の働き方を提示した『ワーク・シフト』の著者と元マッキンゼーの人材育成のプロが、これから世界で起こる変化とそれに備える方法について考える。

『ワーク・シフト』が提示する、これからの働き方「3つのシフト」

1.ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
広く浅い知識しか持ってない「なんでも屋」の最大のライバルは、ウィキペディアやグーグルである。未来で成功するには、「専門技能の連続的習得」が求められる。これからニーズが高まりそうな職種を選び、高度な専門知識と技能を身につけ、その後もほかの分野に脱皮したりすることを繰り返さなくてはならない。同時に、自分の能力を取引相手に納得させる「セルフマーケティング」も重要になる。

2.孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ
未来ではイノベーションが極めて重要になる。そのためには、多くの人と結びつくことが必要だ。カギになるのは、オンラインで築かれる世界規模のコミュニティを指す「ビッグアイデア・クラウド」、同じ志を持つ仲間を意味する「ポッセ」、そして情緒面で安らぎを得るための「自己再生のコミュニティ」。この3 種の人的ネットワークが、創造性を発揮する源となる。

3.大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ
所得を増やし、モノを消費するために働く──こうした仕事の世界の「古い約束事」がもはや機能しなくなっている。先進国の多くの人は、所得がこれ以上増えても幸福感は高まらない。働くことで得られる充実した経験こそが、幸福感の牽引役になる。時間とエネルギーを仕事に吸い取られる人生ではなく、もっとやりがいを味わえて、バランスのとれた働き方に転換しよう。

【伊賀】『ワーク・シフト』を読み、衝撃的だったのは、日本だけでなく、先進国全体が新たな試練に直面していることがよくわかったことです。しかも、そうやって読者を不安にさせて終わりではなく、3つのシフトを行えば明るい未来が待っているという解も示していただいた。この本が非常に多くの読者を獲得している理由はそこではないか、と思います。

最初にお伺いしたいのですが、この本はやはり大きな試練に見舞われる先進国の人たちに向けて書かれたと考えてよろしいでしょうか。

【グラットン】いえ、そうではありません。私は全世界の人々に向けてこの本を書きました。中国では北京語、広東語に翻訳されましたし、ロシア、ブラジル、インドでも広く読まれています。読者の数は先進国より新興国のほうが多いと思います。

ただ、試練という意味では、ご指摘のように、インドや中国の若者は自分たちの生活が親の世代よりよくなるのがわかっていますので、将来について楽観的です。しかし、イギリスや日本の若者は、逆に悲観的です。世界的に見ても、若者の失業が非常に深刻な問題となっています。私も参加してきたダボス会議(世界経済フォーラム)でも、その問題がまさに大きく取り上げられていました。

【伊賀】以前は高い教育を受ければ、失業せずにすみました。しかし、最近は日本でも、それ以外の国でもそうでもなくなっています。どう対処すればよいのでしょうか。

■雇用規制が起業家育成を阻害する

【グラットン】若者の失業を減らすには大学と政府の取り組みが必要です。まずは大学が単なる学問の府から脱して、仕事につながる教育や訓練を提供しなければなりません。

次は政府ですが、やるべきことは2つあります。1つは規制緩和です。スペインが典型的ですが、労働市場が規制に守られ硬直的だと、いったん雇い入れた労働者を解雇できず、若者が新規採用されない。そうならないために、雇用規制を緩和する必要があります。もう1つはシグナリングといって、今後、どんな仕事の需要が増えそうか、という情報を若者に与えることです。ドイツやシンガポールでは政府がこれを熱心に行っていますが、イギリスは残念ながら怠っています。それもあってか、私の2人の息子のうち、1人は医者になりたいと医大に行き将来は安泰ですが、もう1人はジャーナリスト志望で、大学で歴史を学んで卒業したものの、今も仕事を探しています。

【伊賀】シグナリングは確かに重要ですね。でも、将来仕事にありつけるようなことだけを学ぼうと多くの人が考えると、たとえばITやエネルギー、環境などを学ぼうとする人は増えるかもしれません。一方で、歴史や美術といった、お金に結びつきにくい学問をする人が減ってしまうと、この世界がつまらないものになりはしないでしょうか。

【グラットン】おっしゃる通りです。息子2人がそうですが、1人は医学を、もう1人は歴史を学ぶ……社会がそういう多様性を受け入れることが大切なのです。

【伊賀】もう1つ、先ほどの規制緩和の話ですが、企業が社員を解雇しやすくなると、社会全体として雇用が増える傾向になるのかもしれないけれど、自分が解雇されたら嫌だ、という人が大半だと思うのです。

【グラットン】個人としてはその通りだと思います。でもマクロで見ると、労働市場に過剰な規制がかけられていると、企業を起ち上げるのが困難になり、結果として、起業家育成の土台が阻害されてしまいます。雇用創出力の増大には、そうした小さな企業の立ち上げが一番寄与できるにもかかわらず、です。一国の経済を活性化させるには、やはり起業家、特に若手起業家の育成が非常に重要だと思います。

【伊賀】私もその通りだと思います。そういう起業家を育てる主体は大学なのでしょうか、それとも政府、あるいは家庭なのでしょうか。

【グラットン】そのすべてが大切ですが、社会風潮の問題もあります。たとえばシンガポールの優秀な若者の多くは政府に就職します。一方、インドでは優秀な若者ほど起業家になる傾向が強い。インド発の優良企業が増えているのも、そういう土壌があるからだと思います。

【伊賀】そうすると、イノベーションも新興国からたくさん生まれる可能性が高いということですね。

【グラットン】はい。新興国におけるイノベーションは、中国に代表されるように、コストダウンに関するものが非常に多かったのですが、これからは変わっていくでしょう。先進国の大企業が研究開発拠点を中国やインド、ブラジルに置く例が非常に増えてきたからです。今やアフリカからもイノベーションが生まれる時代です。ケニアでは携帯電話を使って少額の送金を行うシステムが開発され、よく利用されています。

【伊賀】お話を伺っていると、先進国の人たちはもっと新興国に学ぶべきですね。これまでは新興国の人が先進国に学びにくるのが普通でした。しかし、これからは逆で、先進国の人が新興国で学ぶことが重要になるのではないか、と思いました。

【グラットン】世界レベルの教育機関は依然として先進国にあるので、今すぐとは思いませんが、近い将来、そうなる可能性は大いにあるでしょう。

すでに、国籍に関係なく優秀な人材がどんどん発掘され、活躍する時代に入っています。先日のダボス会議では、ビル・ゲイツの横に、パキスタンから来た11歳の少女が座っていました。スタンフォード大学の物理学教授が自分の講義をオンラインで公開し、世界中に受講生を募ったところ、彼女が応募してきて、全受講生のなかで最も優秀な成績を収めたそうです。わずか5年前であれば、パキスタンの少女が世界最先端の物理学の講義を受けたり、国際会議でビル・ゲイツの隣に座ったりするような機会が与えられることはまったく考えられませんでした。

■「才能ある人」を巡る都市間競争が勃発

【伊賀】確かにすごいことが起こりつつありますね。先進国と新興国という国の格差が、才能のある人とない人という人の格差に置き換わっていくのだと。

【グラットン】その通りです。鍵を握るのがまず認知能力です。ある調査によれば、認知能力が高い人はあらゆる国に正規分布しています。もう1つは決断力です。1つのことに集中して取り組むことができるか。これも非常に大切です。

【伊賀】有能な人が注目され、発掘されやすくなっているのは確かだと思います。でもそういう人の行く先がシリコンバレーやロンドンの大学だったりすると、結局、栄えるのはその国ではなく、先進国になるわけです。そういう意味では、国家間競争、都市間競争、大学間競争がますます激しくなると考えていいのでしょうか。

【グラットン】おっしゃる通りです。なかでも都市間競争が激しくなるでしょう。都市づくりという意味で頑張っているのが、都市国家であるシンガポールです。移民を広範に認め、言語を英語で統一し、質の高い学校を次々につくる一方で、住環境整備にも力を入れ、公害も最小限に抑えています。こうした施策が功を奏し、ますます多くの多国籍企業がシンガポールに本社を構えています。

【伊賀】シンガポールはお金持ちと才能のある人を集めようとしているのでしょう。私も何度か訪れたことがありますが、住みたいか、ときかれたら躊躇します。ルールや罰金が多すぎますし、ビルばかりで息が詰まりそうになるんです(笑)。東京もロンドンもニューヨークも、シンガポールを目指すべきなのでしょうか。

【グラットン】そんなことはないと思いますよ。お互いが個性的だからこそ、競争が起きるわけですから。

【伊賀】先生がお住まいのロンドンはどんな魅力があるのでしょうか。

【グラットン】それは明確です。世界中から、裕福な人がロンドンに住みたいとやってきます。それだけ住むのに素晴らしい街です。お金持ちばかりではなく、才能豊かな人たちもヨーロッパ各国からやってきます。

【伊賀】英語の問題も大きいと思いますが、なぜ世界中のたくさんの人たちを引き寄せることに成功したのでしょうか。

【グラットン】いろいろな要素の掛け合わせだと思います。近隣含め、オックスフォード、ケンブリッジと、世界に冠たる高等教育機関がいくつもありますし、移民政策の影響も大きいと思います。

【伊賀】日本にも「移民を受け入れるべきだ」という議論がありますが、日本はどうすべきと先生はお考えですか。

【グラットン】それに関して私は意見を述べる立場にありません。移民は既存の社会に溶け込みにくいというマイナスはありますが、イギリスに関していえば、プラスのほうが大きかったと思います。

【伊賀】国レベルで考えると日本はいかがでしょう。

【グラットン】ロンドン大学のビジネススクールで教授になったとき、日本企業の強さに目を見張らされました。徹底した品質管理が世界に認められた要因だと思います。ところが、ここ5年くらいを見ると、家電業界を中心に、競争力を失い、厳しい立場に立たされている企業が目立ちます。日本はもともと非常にイノベーティブな国だと思います。今はサムスン、LGといった手強い競争相手がお隣、韓国にいますが、日本人の教育レベル、仕事の質、技術力はいずれも非常に高い。いずれまた大きなイノベーションを次々と生み出す国になるのではないでしょうか。

【伊賀】私もそう願っております。最後に、この『ワーク・シフト』についてもうひとつ、お伺いしたいことがあります。本書を読んだ感想は、40代以上と30代以下では違うのかなと思いました。若い世代にとっては、明るい未来を提示してくれる内容であり、一方、年配世代にとっては、これから働き方をシフトさせるなんて不可能だ、と思ってしまうのではないかと。それぞれにメッセージをいただきたいのですが。

【グラットン】40代以上の方々へのメッセージとしては、学び続けよ、ということです。学習は20代前半で終わるのではなく、死ぬまで続くと見るべきです。私の友人の1人に、ウォレン・ベニスという南カリフォルニア大学の経営学の教授がいます。彼は87歳ですが、いまだに授業を受け持ち、ブログも日々、書いています。重要なのは仕事に対して好奇心を持ち続け、それによって常にわくわくすることです。

■日本のビジネスマンよ、もっと休暇を!

【伊賀】若い人たちにはどうでしょう。

【グラットン】子供ではなく大人であれ、と言いたいですね。企業との関係も、大人と大人の関係であるべきで、いつも言われた通りにすればいいわけではありません。自分は何に興味があるのか、何にわくわくするのか、人生で成し遂げたいことは何か、そのためにはどのくらいのお金が必要なのか、すべて自分で考え、決めなければなりません。

最後に、どちらの世代にも伝えたいメッセージが1つあります。日本の皆さん、われわれヨーロッパ人のように、もっと休暇を取って、ゆったりと人生を過ごしましょう。人の一生はますます長くなる。「シフト」に大切なこともきっと見つかるはずです。

(※本対談は、2013年2月6日に六本木のアカデミーヒルズで行われたリンダ・グラットン教授来日記念セミナーをもとに収録。)

■リンダ先生から新入社員、若手社員へのメッセージ

日本には新卒一括採用という雇用慣行があり、そのことが若年失業率を大幅に引き下げているのは確かだと思います。だからこそ、日本の若者は他国の若者と比べてキャリア意識が低く、就職より就社の意識が強いのも、また確かでしょう。

欧米でも、15年ほど前までは、企業と労働者の関係は親子のようなものでした。でも、この関係が、両者が互いに独立した、大人と大人の関係に一変しました。日本も次第に移行していくでしょう。そのときに大切になるのが本書で述べた「3つのシフト」です。

第1のシフトの内容を一言でいうと、深く、そして絶えず学び続けよ、ということです。企業の枠を超えた普遍的なスキルや知識を学び、実践する必要があります。

第2のシフトでは、3つのタイプの人的ネットワークを築く。1つは志を共有した仲間であり、2つ目は様々なアイデアや示唆を与えてくれる主にバーチャルの世界のネットワーク、3つ目はあなたの精神的な支柱となってくれる顔見知りの関係です。日本においては、2つ目のネットワークが特に大切になると思います。その際には英語が必須になるのは言うまでもありません。

第3のシフトのメッセージは、働くことを楽しもう。現在、いくつかの企業と組み、どうしたら仕事がおもしろくなるか、という研究を行っています。

仕事が楽しくなる要因は2つあります。自分の裁量が広範に利くことと、自分の成果に対して同僚からフィードバックが存在することです。実際、そのメカニズムを職場に取り入れて、社員の働く意欲を高めている企業もあります。

シフトの大前提となる「 変化」にも注意を払う必要があります。テクノロジーの進化、グローバル化、長寿化、社会そのものの変化、エネルギー問題の深刻化の5つです。小さな子供たちには、より大きな影響が出るでしょう。あなたに子供がいるなら、日本で、そして世界で今何が起こっているか、何が変わりつつあるかをしっかり伝え、教育されることをお勧めします。

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ロンドン・ビジネススクール教授
リンダ・グラットン
経営組織論の世界的権威。英タイムズ紙の選ぶ「世界のトップビジネス思想家15人」のひとり。2012 年に発売された『ワーク・シフト』は日本で10万部のベストセラーに。

キャリア形成コンサルタント
伊賀泰代
一橋大学法学部卒業後、日興証券を経て、1993年から2010年までマッキンゼーで主に採用マネジャーとして活躍し、独立。著書『採用基準』は10万部超の大ヒット。

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(荻野進介=構成 市来朋久=撮影)