12日放送、TBS「A-Studio」では、ロンドン五輪フェンシング・フルーレ団体銀メダリスト・太田雄貴がゲストで出演した。

準決勝でドイツと対戦し、劇的な幕切れとなった逆転劇を振り返り、太田は「勝たないとマジで帰れないと思いましたね。やっぱり、後ろのみんなの人生ものっけて戦っているのが9試合目の選手なんですよ。全員の人生を背負って戦う覚悟があるから大事だと思っていて、将来もそうだし、コーチとして継続するかどうかも懸かっている。人生変えるぞって言って、僕ら団体戦行ったんで」と話す。

すると、笑福亭鶴瓶から、「(コーチの)オレグに習おうと思ったのは、いつ頃なの?」と訊かれると、2006年、太田にとって大きな転機となるマツェイチュク・オレグ(ロンドン五輪コーチ)への師事について語り出した。

「あれが、僕の人生の中でターニングポイントでしたね」と切り出した太田。「(オレグとは)すごい仲悪くて。些細なことでケンカばっかりしてて、全然指導を受ける気にもなれなかった。オレグがすごいコーチというのは一番分かってる。本当は教えてほしいんだけど、プライドが邪魔して」と明かす。

また、「同じ練習場で挨拶しない時とかも平気でありましたし、僕がクソだったと思います。僕も若かったと思いましたし。ある日、これでは限界だと。僕の人生とそれを天秤にかけて、思い切って向こういって。そしたら、(オレグから)もっといわれると思ったんですよ。でも“オッケー”って言われて。もう冷や汗ですよ」と、犬猿の仲だったオレグに、コーチを頼むにあたって葛藤した心のうちを語った。

だが、その成果はさっそくやってくる。「貴方の犬になりますから、勝たしてくれと。勝つためだったらなんだってするからって。そっから毎日レッスンがはじまって、2週間足らずで28年ぶりにアジア大会を日本人で優勝したんですよ」と語った太田は、「その2週間後の全日本選手権に優勝して、“オレグいなくてもいいだろう”って思ってたら簡単に負けたんですよ。僕が強くなってたんじゃない。結局、魔法にかかってたんですよ」と苦笑い。

「それからまた一緒にやりはじめて、今まで勝ったことのない、W杯の上のクラスのグランプリっていう大会で準優勝したんですよ。この時に、はじめて“北京でメダル獲れるかもしれない”って思いましたね」と話した。

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