損保ジャパン社長
櫻田謙悟
1952年、東京都生まれ。都立石神井高校から早稲田大学商学部卒。78年安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン)入社。2000年統合企画部長、05年執行役員金融法人部長、07年取締役を経て10年社長に就任。

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私の書斎の本棚には、30年以上も前に読んだ本も、ずっと置かれている。手に取ってページを開いてみると、随所に傍線が引いてあり、書き込みもある。繰り返し読み、おそらく大切に思って捨てられずにいたに違いない。

そんな一冊にケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』がある。この本の原書が大学のゼミの教材になった。指導教授のもと、学生たちが輪読して翻訳・解釈し、意見を述べ合っていた。とにかく難しく、参考に日本語版を買って読んだのだが、それでも理解には程遠かった。

ただ、第24章の最後の部分だけは鮮烈に記憶している。確か教授も「君たち全員が経済学の専門家になるわけではないだろう。ここだけわかればいい。社会に出てからも幾度となく読み返せ!」と話していた。

ここでケインズは、経済学においては、どんな有名な学者であっても、先達たちの影響から逃れることはできないと指摘している。そして、最後の部分で「経済学と政治哲学の分野に限って言えば、25ないし30歳を超えた人で、新しい理論の影響を受ける人はそれほどいない」と書いている。

つまり、イデオロギーとか価値観というものは、若い時代の基礎的な学習と蓄積によって決まってしまうというわけだ。これはある意味ショッキングなことだが、自分に当てはめてみると、なるほどと思う。

日本のビジネスマンのほとんどは、大学を卒業して22〜23歳で会社に入ってくる。その後のわずかな期間で価値観が定まり、既得権益に縛られるようになってしまうとすれば、人材を育成しようにも、すでに手遅れではないか……。

だが、こうもいえる。私自身、22歳で旧安田火災海上保険に入社し、保険金の支払いや営業を歴任、労働組合専従にもなっている。その間の経験からいえば、人間の素材の部分は固まっているかもしれないが、それを開花させ、磨いていくことは、いくつになっても可能ではないか、と。

読書も人間を磨くための方法の一つだろう。そしてそれには、年齢、もう少し幅広くいえば年代に合った、またビジネスマンであれば、職責に応じた本の選び方、読み方があっていいはずだ。

例えば、私が32歳で読んだ大前研一著『遊び心』。大前氏については、行動的な論客として以前から興味を持っていた。著作も『企業参謀』をはじめ『ストラテジック・マインド』『新・国富論』など多くの著書に目を通していた。この本が出版されたとき、タイトルからして、これまでとは全然違う路線かと思い、早々に書店へ走って手に取った。

冒頭を読むと、執筆の動機として「日本人が世界のリーダーとして資金力に相応しい指導力を発揮していくためには、教育やものの考え方、価値観、余暇の過ごし方など、多方面にわたる変革が必要である」と書いてある。つまり、軟派なエッセイではなく、人生の指南書なのだ。

政治や経済の世界で国際的に活躍する人たちは、いずれも“遊びの達人”だと紹介する。今日でいう“ワークライフバランス”だろうが、その区別が日本人は苦手だ。そこで大前氏は、自らの経験とプライバシーにも踏み込み、実りのある生き方を教えてくれる。その3章は「教育への期待」となっており、なかに「非学歴社会」という項目がある。大前氏はマサチューセッツ工科大学(MIT)の大学院で工学博士号を取得しているが、その効用は博士になっておけばよかったと後悔しないですむことぐらいで、それ以外の御利益はないとユーモラスに述べている。

日本は学歴社会と思われているにもかかわらず、戦後経済の躍進を担った偉大な経営者には意外と東大卒は少なく、大学すら出ていない人もいる。いまさら松下幸之助氏や井植歳男氏、本田宗一郎氏といった名を出すまでもないだろう。三洋電機を創業した井植氏は幸之助氏の義弟だが、彼が「兄貴は尋常小学校、オレは高等小学校(今の中学1〜2年に該当)。兄貴のほうが3年早く社会に出ている。この差は一生かかっても追いつけないかもしれないな」と実業の厳しさを語っていたのは印象的だ。

彼らの会社は海外にも進出し、日本の国際化は急激に進んだ。大前氏は、国際化の意味は日本の学歴社会の崩壊だと説く。そして、グローバル化のなかで求められるのは、何よりも新しいことを学ぶ心、人の心がわかること、人の上に立てるリーダーシップ、自分の考えをまとめて表現できる能力、多様な価値観を受け入れる力だと断言する。そして、こうした普遍的な適応力こそ、実社会の現場で育つと。

私事で恐縮だが、縁あって30代後半の約4年間をアジア開発銀行で過ごさせてもらった。わずか半年間の準備期間で出向したために、言葉では大変苦労したことが忘れられない。会議も遊びも食事もすべて英語。半年ほどはストレスで夜中になると鼻血が出たほどだ。

人事予算局という部署に配属されたが、そこは博士・修士号だけでなく、公認会計士の資格を持っているプロフェッショナルたちの世界だった。旅費の使い方一つでも問題があれば、問いただし、議論する。

その際、正しいデータや知識に基づいた主張ができないと相手にされない。そのために、彼らと対等に渡り合える英語力は必須だった。8カ月ほどでヒアリングには不自由しなくなったが、付き合ってみると、大前氏のいう多様な価値観や人生の楽しみ方を持っていることがわかる。世界への視野が開かれ、得がたい経験ができた。

40歳で帰国。人事部課長を経て、2000年12月に統合企画部長を拝命している。ここで手がけたのが、安田と日産火災海上保険、大成火災海上保険との合併計画。私は合併プロジェクト事務局長として推進の任に当たった。

ところが翌01年9月11日、アメリカのニューヨークなどで同時多発テロが発生する。大成火災は、航空再保険の損失により破綻。合併は見直しを余儀なくされた。仕切り直し後の折衝は統合比率などの問題で気苦労も多く、さすがに心身ともに疲れ果ててしまった。

そんなとき、知人に勧められて手にしたのが中村天風師の『運命を拓く』である。師の足跡はあまりにも異色だ。日露戦争に諜報員として派遣され、満州の野で死線をさまよったという。後に結核を発病するが、ヨガの聖者にめぐり会い、ヒマラヤで修行・解脱する。帰国後は、その体験を人々に伝えた。破天荒だが魅力的な人物である。

この本の内容は「天風瞑想録」というサブタイトルが示すように、彼が命がけで体得し、帰国後も説き続けた哲理を語っている。それを一言でいえば“積極的人生”にほかならない。決して難解なことが書かれているわけではない。むしろ単純すぎるほどだ。それは「人間の心で行う思考は、人生の一切を創る」ということである。そして天風師は「人間は、健康でも、運命でも、心が、それを、断然乗り超えて行くところに、生命の価値があるのだ」とも語る。

合併問題が暗礁に乗り上げ、落ち込んでいたときだけに、この力強い言葉が胸にジーンときた。もう涙が止まらなかった。私は再び、相手方との粘り強い合併交渉に臨み、大成火災がらみでは外国の保険代理店と訴訟まで起こして闘った。結果、02年の損保ジャパン誕生を勝ち取る。以来、天風師の教え「心の持ち方一つが人生の運命を決める」は、私の座右の銘になっている。

※すべて雑誌掲載当時

(岡村繁雄=構成 鈴木直人=撮影)