若き3代目が支配する北朝鮮の経済事情は、やはり相当に苦しいようだ。米政府系放送局のラジオ『自由アジア』がWFP(国連世界食糧計画)からの情報として伝えたところによると、4月、住民一人当たりに配給した食糧の量は1日400グラム(3月=395グラム)と、WFPが勧めている1日600グラムに達していないことが判明した。
 金正恩体制が4月15日の金日成生誕100周年記念日に国民に贈った記念品は“学生服”だったという。正恩第1書記の青少年への教育重視とも取れるが、北はスーツ類の一大生産地でもあることから「ない袖は振れないから、余っているものを配給した」ということなのだろう。事ほどさように、経済問題が北朝鮮を崩壊に導く可能性は極めて高いといえる。

 私が北朝鮮に居た時代と違い、周辺国の中国や韓国の繁栄ぶりがより一層、北の貧困を際立たせています。
 初代、2代、3代と代替わりするごとに経済は悪くなっており、ジョンウン(正恩)も政権のかじ取りは大変なはずです。
 イルソン(日成)時代は、腹は減っていましたが、体制に反旗を翻すという気持ちにはなりませんでした。小中高、そして大学まで学費はいりません。無料だから「主席に施していただいている」と感謝こそすれ、憎む気持ちにはならなかったのです。
 もちろんイルソンは裏では反対派はおろか、反対しそうな成分(身分)層まで粛清していましたが、表面上は“慈悲深い主席様”を見事なまでに演出していました。それがジョンイル(正日)時代になり、教育の無料化は廃止され、イルソンのような慈悲ある姿を見せることもなく、国民に向かってマルスム(お言葉)を自らの口から発することもありませんでした。
 しかも先軍政治の励行で「砂糖(北ではぜいたく品)がなくても生きていけるが、弾丸がなければ生きていけない」と、国民は飲まず食わずのまま軍事物資の調達・生産に駆り出されたのです。ジョンイル時代になってから野良犬を見たことがありません。飢えた国民の腹の足しになってしまったからです。醤油漬けにされた少女を見たといううわさまで流れたことがあります。
 その一方で、これに不満を抱く住民は徹底的に保衛部員に監視され、歯向かう者には情け容赦ない収容所送りが待っていました。歯向かわずとも、韓国の流行歌を口ずさんだというだけで思想改造教育所に送られました。ジョンイルは“恐怖による統治”を徹底させたのです。
 私が脱北したのは1996年ですが、その直前、極度の飢餓状態にあった親や子を思う軍人に不穏な空気が漂い、クーデターが絶対に起こると確信しました。
 しかし私が脱北した後、日韓米が一般国民の救助を名目に援助を行ったことで、ジョンイル体制はこの危機を脱し、多くの将官、兵士が銃殺され政権転覆の芽を摘んでしまいました。
 あの時、援助さえしなければ間違いなく北朝鮮の体制は2代で終焉していたはずです。
 だいたい私が北朝鮮で生きていた36年間に、援助米のエの字も見たことも聞いたこともありません。援助物資は絶対に体制側にしか行かない、そういうシステムになっているのです。現在もそれは変わりません。私が諸外国の援助に反対するのはこれが理由です。

 朝鮮中央テレビは、正恩自らが雑草を抜き、幹部らの“率先垂範”を行わない姿勢を叱責する姿を放映した。また、正恩は治安機関などに「生活苦による不満を抑圧するな」と命じたり、粛清対象となった幹部の“再調査”を行うなど、人民愛、慈愛を前面に押し出す施策を打ち出している。これらはすべて金日成の生まれ変わりを演出するショーである。
 その一方で、先代から続く住民への鉄クズ拾い(武器への転用)の強制、側近らへの締め付けや、中朝国境での取り締まりの強化、脱北者への厳罰などによる統治がみられる。金正日時代とまったく変わっていないのだ。

 鉄クズ拾いは戦車など武器生産のために定期的に行いますが、「家財の強制提出」と言った方が適切です。その理由は、鉄鉱石は豊富にあっても採掘する機材がありません。製鉄所も少ないだけでなく、電力不足で稼働率は低いから、そもそも鉄製品が極めて少ないのです。だからそのクズなどあるはずがないのです。
 国民は仕方なく家にある鉄製品や、それがない人は公共財を盗んでまで提出するのです。それができなければ現金まで持っていかれます。ですから苦行以外の何物でもありません。
 北朝鮮労働党機関紙『労働新聞』が報じていましたが、先月行われた一連の慶事の内、「英雄的朝鮮人民軍創建80周年パレード」でお目見えした“鉄甲自行放射砲”も、このように集められた鉄クズで製造されたもので、学生や青少年と、専業主婦中心の女性組織『朝鮮民主女性同盟』が特に貢献したという理由から、それぞれ『少年号』『女盟号』と名付けたようです。
 いまだにこんなことをしているようでは、北朝鮮はいよいよ限界点に達していると見るべきです。慢性的な食糧難を抱える中で長距離ミサイルを発射し、支援が受けられるはずの米朝合意が破棄されるなど国際的な制裁のほかに、頼みの中国からの支援中断という圧力も受けている。
 ジョンウンがジョンイルのように、40年近く統治するのはもはや絶対に不可能だと言っていいでしょう。

 石川昌司(いしかわ・まさし)氏は、1947年2月16日神奈川県川崎市生まれ。父は在日韓国人、母は日本人である。1960年13歳のときに一家で北朝鮮に渡り、その後36年間北朝鮮に居住していた。
 1996年、金正日体制の圧政に耐えかねて北朝鮮からの脱出を決意する。鴨緑江を越えての決死の脱出に成功し、外務省の保護下、密かに日本に帰国した。
 日本人脱北帰国者第1号である石川氏に、北朝鮮の最新情報を聞く!