小沢健二のコンサート“東京の街が奏でる”の第7夜が、4月4日(水)東京・渋谷のオペラシティ・コンサートホールにて開催された。この日のコンサートの中で、小沢は自らが21歳の時「他のアーティストの悪口ばかり言っていた」と語った。小沢の21歳と言えば、小山田圭吾とともにフリッパーズ・ギターを結成していた時代。1991年のフリッパーズ・ギター解散以来、小沢が当時について語ることはほとんどなかった。

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 小沢健二のコンサート“東京の街が奏でる”の第7夜が、4月4日(水)東京・渋谷のオペラシティ・コンサートホールにて開催された。この日のコンサートの中で、小沢は自らが21歳の時「他のアーティストの悪口ばかり言っていた」と語った。小沢の21歳と言えば、小山田圭吾とともにフリッパーズ・ギターを結成していた時代。1991年のフリッパーズ・ギター解散以来、小沢が当時について語ることはほとんどなかった。

 フリッパーズ・ギターの解散後、小沢と小山田はそれぞれソロで活動を開始したが、解散後の小沢のファンは“犬派”、小山田のファンは“猿派”と呼ばれた。小沢の1stアルバムのタイトルが『犬は吠えるがキャラバンは進む』、小山田の一人ユニット名称が『コーネリアス』(=映画『猿の惑星』に登場するチンパンジーの名前)であったことから付けられた名称である。

 このような背景から、小沢と小山田は言葉通り“犬猿の仲”であるとされてきた。二人は互いの事についてコメントをすることはもちろん、フリッパーズ・ギター時代について語ることもほとんどなかった。そのため、今回フリッパーズ・ギター時代について語った小沢の発言は、極めて異例であると言うことができる。

 コンサートの中で、小沢は「大変お恥ずかしいことではあるのですが…僕は21歳の時、他のアーティストの悪口ばかり言っていました。」と、はにかみながら語った。そして「今は、他のアーティストの悪口は言いません。」と続けた。

 この言葉が飛び出したのは、“休業宣言”というタイトルで語られたモノローグの一節。小沢は一般論として、アーティストの休業宣言は活動再開を見越して行われると語った。フリッパーズ・ギターは“休業”ではなく“解散”ではあるものの、解散と同時に中止となった全国ツアーを20余年越しに開催することが予感させられる発言であった。(編集担当:谷原大進)