【君が代起立条例】自発的に歌いたくなるような歌を作れば、強制する必要などなくなるのでは

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参加した式典などで「君が代」が流れた際に、読者のみなさんはどう対処しているのだろうか。筆者は、これまで「君が代」が流れるような式典に参加すること自体が少なかった。振り返ってみると、最後に現場で「君が代」を聞いたのは高校の卒業式だったような気がする。そのときは、「みんなが起立・斉唱している」という理由で、司会から「国歌斉唱」という声がかかると立ち上がり、小さな声で歌っていたように思う。

2012年2月29日付の毎日新聞の「君が代起立条例:大阪市も 議会可決、教員起立義務づけ」という記事によると、「橋下徹市長は私立学校の教職員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例案を提出し」、「大阪維新の会、公明、自民」による調整の末、「一部修正で合意し、賛成多数で可決、成立した」という。昨年6月には、同じ内容の条例が大阪府議会で成立している。

府議会では、「公明、自民、民主、共産が反対したが、過半数を占める維新などの賛成多数で成立した」。そして市議会では、「大阪維新の会、公明、自民」が「合意」して成立している。そうなると、公明党と自民党がなぜ府議会と市議会とで異なる対応をとっているのか、という素朴な疑問が生じる。府議会で決まったことだからということで、公明党と自民党は「まいっか」とでも思ったのだろうか。

もう一つの疑問は、大阪市は大阪府に含まれることから、すでに大阪市には「君が代起立条例」が適用されているにもかかわらず、あえて大阪市も市議会で条例を可決させている点である。「君が代の起立斉唱」の是非を問う以前の問題として、同じ条例を府と市で成立させることの意味や効果と、そのために議員たちが費やす時間を考えれば、「大阪市は無駄なことをやっている」と思われても仕方がないような気がする。

では、「財政再建」を声高に叫ぶ橋下市長が、何故無駄と言われるのも覚悟の上で「君が代起立条例」にこだわるのか。記事によると、橋下市長は「市の意思を明確にする意義がある」と言っている。なるほど。大阪維新の会の意志、いや橋下徹という個人の意志を明確にするため、条例の成立にこだわっているのか。「維新」というよりも、橋下市長の「威信」がかかった条例だと解釈すれば、府と市がわざわざ同じ内容の条例を成立させることの意味も見えてこよう。

ここで、橋下市長が威信をかけて条例として成立させたこと、すなわち「君が代」が流れたときに起立して斉唱するべきかどうかを考えてみよう。言うまでもなく、「君が代」の歌詞は天皇の万世一系を祈念する内容の歌詞である。そして、第2次大戦後に議論されてきたことは、私たち国民が天皇そのものについて歌うのか、天皇を国民統合の象徴と位置付けた上で歌うのか、ということであった。戦前と戦中は前者として、戦後は後者として位置付けられてきたとの見るのが一般的であろう。

また、歌に天皇が関連することから、「君が代」は右翼と左翼の思想的な対立を生み出していた。「君が代」により「伝統」や「愛国心」、そして「忠誠心」などが育まれることを主張する右翼と、「軍国主義」や「崇拝」などを危惧する左翼の対立である。だが、人びとが思想に関心を持たなくなり、そうした対立軸がぶれて久しい現状で、「君が代」と思想を関連づけることにどれだけの意味があるのだろうか、という疑問を筆者は抱く。

ようは、過剰な「忠誠心」や「愛国心」を持つわけでもなく、ごく普通な感覚で「自分は日本という国で生まれ、育ち、暮らしているんだ」と再確認する契機として、「君が代」を聞いたり斉唱したりすることは特に問題ないと筆者は考える。そして仮に「君が代」をそう位置付けた場合、それは強制的に起立・斉唱させるようなものかどうか、筆者には疑わしく感じられる。

公僕である公務員のみなさんは都道府県民や市町村民の税金で飯を食っているのだし、現状では形式的に「君が代」が国歌になっているのだから、形式的にであれ「君が代」で起立・斉唱するのは致し方ないことなのかもしれない。一方、公僕でない人たちは、「君が代」が流れた際に、立ちたければば立って、歌いたければ歌えばいいと思う。

ただし、日本は一応社会的には成熟している国だと考えられている(筆者は、とりあえずそう考えている)のだから、よほどのことがない限り、法的な力をもって強制的に何かを行わせるということなど、する必要がないと思う。


ちなみに筆者は、高校卒業まで歌詞の意味がわからず、かつ「暗い曲だなぁ」と思いつつ、「みんなが歌っているから、歌うか」というノリで「君が代」を歌っていた。世の「君が代」ファンの方々には申し訳ないが、どうせ国歌として歌うのならば、もっと明るい曲調でわかりやすい歌詞のものにしてはどうなのだろうか、とつくづく感じる。国民の多くが「いい歌だ」と思い、歌詞の内容も理解した上で自発的に歌いたいと思うような国歌を作れば、わざわざ強制的に「起立・斉唱」などさせなくても済むのだから。

結論。橋下市長が自らの「威信」のために成立させた「君が代起立条例」には違和感を抱く。そして国歌に関しては、難解な歌詞と暗い曲調の「君が代」をそろそろやめにして、国民が自発的に歌いたくなるような歌に変えることを提案したい。国民が自発的に歌いたくなり立ちたくなるような国歌があれば、起立・斉唱を強制する必要もなくなるのだから。



(谷川 茂)