『父・金正日と私 金正男独占告白』五味洋治/文藝春秋

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金正日亡き後の北朝鮮情勢を知るための必読書が刊行された。
『父・金正日と私 金正男独占告白』である。
著者の五味洋治は東京新聞編集委員(外交・安保担当)である。2004年9月25日、彼は北京国際空港で偶然金正男と遭遇し、名刺を渡すことに成功した。金正男を待ち伏せしていたわけではない。その日、日本人拉致をめぐる日朝協議が行われる予定であり、協議に参加する北朝鮮代表の宋イルホ(日+日の下に天。現・日朝国交正常化交渉大使)を待っていたところに、思いがけず北京入りした金正男が登場したのである。
五味が金正男と思われる人物に一方的に名刺を渡してから2ヶ月強が経った12月3日、彼のメールアドレスにハングルで書かれたメールが届いた。差出人は「キムジョンナム」。漢字で書けば「金正男」である。半信半疑でその事実を記事として公開した後で、五味は再びメールを返した。また返信がくる。それに返信を出すと、また帰ってくる。メールの送信者は紳士的な態度を保ち、五味のつっこんだ質問にも答えてくる。曰く「共和国最高指導者の息子が日本国の記者にメールを送ることのできない理由はないと思います。そのように思ってしまうことによって、共和国と日本国、両国間不信の障壁がさらに高まってしまうというのが私の考えです」……。
しかしこのときのメール交換(金正男らしき人物はオンライン対話と称していた)はわずか7通で途切れてしまう。五味以外にメールを受け取った記者が送信者の正体を疑ったことに立腹したものか、それともどこからか圧力がかかったのか。メールが断絶してから3年後、五味は「文藝春秋」2007年3月号にメールの内容を全訳して掲載する記事を書く。その「初公開 金正男 七通のメール」と題した記事を、五味は以下の文章で締めくくった。
ーー国民の困窮を顧みず、核開発に突っ走る北朝鮮で、今後、彼がどんな役割を果たそうとしているのか。どんな意見を持っているのか。もう一度彼に率直な意見を聞きたいと願っている。

だが、それで終わりではなかった。金正男は「文藝春秋」のその記事を読んでいたのだ。
2010年10月22日、五味は金正男から約4年ぶりのメールを受け取る。そこには五味に質問があれば答える準備があること、ただし記事にして発表するのは2011年9月にしてもらいたいことが書いてあった。
2011年9月は、金正恩が父金正日の跡を継いで最高指導者の地位に就くことが決定して1周年にあたる時期である。2010年9月28日に第3回党代表者大会が開催され、金正恩後継体制が朝鮮労働党の正式な方針となった。実は初代総書記の金日成が存命時の1980年を最後に、党全体規模の大会は開かれていない。2代目である金正日は、朝鮮労働党を機能停止させたままで自ら指導者の任に就いていたのだ。
この時期に金正男が日本のマスメディアに接触を図るからには、裏に何か事情があるのではないか。北朝鮮の国内情勢を少しでも知る者ならば、そう考えるはずだ。
五味は金正男との信頼関係を築くべくメールによるコミュニケーションを開始する。その糸が急に途切れることのないように。金正男とのルートは鉄の壁にこじ開けられた小さな穴である。それを大事にしながら少しでも情報を引き出さなければならない。こうして150通にも及ぶ、金正男との〈オンライン対話〉が始まった。
しかもメール交換を続けるうちに心を許したのか、金正男は五味に直接会ってインタビューする許可を与えるのである。

前年12月に金正日・金正恩研究と題した記事を書いた際、金正男については最小限のことのみを書いてきた。もっとも信頼できる参考書の1つ平井久志『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』の記述を元に、金正日の長男・正男について簡単にプロフィールを書いておこう。
金正男は1971年5月10日生まれと見られている。金正日は生前に複数の女性との間に子をもうけたが、男子は3人である。正男だけが第2夫人というべき成恵琳の子で、次男・金正哲と三男・金正恩は第4夫人の高英姫の子だった。成恵琳は元映画俳優で金正日の親友の兄と結婚していた。だが金正日が彼女を口説き、その男性と離婚させて同棲している最中に正男が生まれたのである。そうした変則の夫婦関係で生まれた子供を、儒教に基づく倫理観では決して認めない。金正日の長男でありながら正男が後継者となることを否定する説があったのは、1つにはこの出生の事情があったためだ。
父・金日成の眼を気にして正日がその存在を公けにしなかったため、正男は淋しい少年時代を送らざるをえなかった。80年8月にジュネーブ国際学校に留学、モスクワのフランス系学校で学んだこともあるが、18歳までの生活の中心はジュネーブだった。10代のころに資本主義国の実態を目の当たりにしてきたわけである。父・金正日が「強盛大国」を標榜し北朝鮮の軍事国家化を進めたのに反して正男が経済政策を重視したのは、こうした教育の結果でもあるだろう。
ご存じのとおり、金正男が日本人の前に姿を現したのは、2001年5月にドミニカ国籍の偽造パスポートを所持して成田に入国しようとした時が最初だ。このときは超法規的処分で国外退去となった。通説では、この不始末のために正男は金正日の逆鱗に触れ、後継者レースから転落したという。
しかし、北朝鮮の政治情勢はそれほど単純なものではない。後継者選びは金正日の意志だけで動いているのではなく、彼を担いでいる軍部・党首脳の重鎮の思惑も多大に影響しているのである。金正恩の後見として今後大きな役割を担うと見られている張成沢(金正日の義弟)にしても、親・金正男だとする意見があった。
金一族の内部の事情では、金正日の寵愛が高英姫夫人に移ったために成恵琳夫人は精神を病んだという哀しい過去がある。そのために彼女はモスクワの病院に入院し、2002年に孤独に没している。この事実が正男にとってどういう意味を持つのか。高英姫の血筋を引く弟たちに対しての思いに影響はないのか、という率直な疑問が生じるところだ。
もう1冊、読むべき参考書に韓国の政治学者・張ソンミン(誠+王に民)が2009年に発表した『金正日最後の賭け 宣戦布告か和平か』がある。張はこの中で金正男が極秘来日した目的を、北朝鮮がイラクに売ったミサイルの代金を回収するためだったと断じている。つまり金正男は失脚し、追放処分を受けた不満分子などではなく、北朝鮮のために外貨を獲得するため世界を歩いている、武器商人だと批判、警戒を呼びかけているのである。こうした見方の真偽を判断するすべは筆者にはないが、韓国の中に金正男に対してそのような見方を示している者がいるということは、日本人も知っておいていいだろう。

『父・金正日と私』を読む前に、筆者にはこうした一連の疑問についての答えを求める気持ちがあった。まとめれば、それは以下の3点に集約される。

1つ。金正男は国内(たとえば張成沢)国外(中国)のいずれかの勢力とつながっているのか。後ろ盾があるからこそ、国外で行動の自由を制限されずに動き回っていられるのではないか。
2つ。金正男の名は現在労働党・軍指導部のいずれの名簿にもなく、役職も与えられていない(脱北者の中には彼が過去に国家安全保衛部、すなわち諜報・公安機関の副部長に任命されたと証言した者がいた。金正日がすべての部長職を兼任する体制のため、副部長は実質上のトップである)。韓国が疑義を呈しているような秘密任務には就いていないのか。
3つ。将来的に帰国し、金正恩の補佐、もしくはそれに代わる者として指導的な役割を果たすことはないのか。

これから本を読む人のために、とりあえず結論は書いておくべきだろう。上記3点について、明確な答えは得られていない。2つめの疑問に関しては、五味はほとんど質問もしていない(もしくは割愛している)。だが著者の名誉のために断っておくと、これは決して怠慢ではない。五味には金正男との信頼関係を築く必要があり、かつ彼の安全を守るために過激なやりとりをするわけにもいかないという事情があったはずだ。なにしろマスメディアの取材なのである。メールのやりとりは観察の対象となり、2人は当局によって監視されていたはずだ。そうした無用の負荷を金正男に与えず、今後に向けてつながったパイプを太くしていくために、五味は細心の注意を払っている。本書は現時点までの経過報告として読まれるべきものなのである。

とは言うものの、もちろん収穫も多い。第1に、金正男がしっかりとした知性を備え、つくべきときには対話のテーブルにつくだけの度量がある人物であることが本の読者にはしっかりと印象づけられたはずだ。これはもちろん将来を見据えた宣伝活動なのだが(金正男は取材を受けるリスクを負っているのだから、そのぐらいは当然の権利だ)、日本人が相手にしているのがどういう人物かが判るだけでも大きな進展だといえる。
第2に、金正男が北朝鮮の現状をかなり客観的に、かつ正確に把握していることがメールやインタビューの内容からわかる。軍事国家政策が誤りであり、経済の立て直しこそが急務だと考えているということ。3代にわたる世襲は社会主義国家に例がなく、避けるべきだという意見を持っているということ。陸続きの隣国が仮想敵国である北朝鮮に核放棄というカードを切らせることは容易ではないという見方をしていること……などなど。こうした意見は金正男とつながりのある北朝鮮内外の誰かにも共有されているはずであり、今後はそうしたキーマンの存在を探ることが急務となるだろう。また、時を追うにつれて金正恩の世襲を批判する気持ちが強くなっているように見える点も興味深い。
第3に、これまでは一部の脱北者などの口からしか語られてこなかった金一族の内情がわかることである。金正男は愛憎半ばするのではないかとも思われる父に対して最大級の敬意を表しているし、弟・正恩とは顔を合わせたこともほとんどないと答えている。これはかなり蛇足の情報だが、自身が日本を訪れた際には(2001年以前にも複数回訪日している)、ステーキ店として有名な瀬里奈や新橋のおでん屋で食事を愉しんだことも告白している。

結論としては、過大な期待を持たなければ裏切られないし、北朝鮮情勢に関心があるならば絶対に読んでおいたほうがいい本である。ネットやテレビの影響から金正男に無防備な好意を持ち始めている人にもぜひ読んでもらいたい。好意を持つなと言っているのではなく、相手をよく知ってから判断してもらいたいのだ。インタビューに対して答えた言葉の中にはたしかに人の良さを思わせるような箇所も多い。たとえばこんなくだりだ。
正男 (前略)赤坂の高級クラブは特別な場所です。そこには民団系、総連系、一般の日本人もいます。みんなが一緒になって歌を歌い、お酒を飲んでいた。いつかこういうふうに壁がなくなればいいと思ったものです。
(杉江松恋)