時の日本代表を「●●●ジャパン」と呼ぶようになったのは、監督が加茂サンの頃だったと記憶する。加茂ジャパン、岡田ジャパン、トルシエジャパン、ジーコジャパン、オシムジャパン、そしてもう一度岡田ジャパン。そうした過去を経て「ザックジャパン」は、誕生した。

厳密に言えば、第二次岡田ジャパンの次に「原ジャパン」(ヒロミジャパン?)が一瞬、繋ぎで入ったわけだが、それはともかく、このネーミングを嫌う人がいることも事実。何を隠そう僕もその一人で、ある時まで、できれば使いたくない、僕の感覚にはイマイチそぐわない言い回しだった。仕方なく使っていた――と過去形になるのは、「ザックジャパン」に、これまでとは違う、妙なしっくり感を覚えるからだ。商品価値を感じるというべきだろうか。「ザッケローニジャパン」じゃないところがいい。

正直、ザッケローニそのものに僕は存在感をあまり感じていない。3−4−3という究極の布陣を打ち出してはいるけれど、だからといって監督ザッケローニに、カリスマ性は抱けない。クライフ、アリゴ・サッキ、ズデネク・ゼーマン等々とは少し違う。

実際、派手さは一切ない。キャラそのものが浸透していない。イタリア人なのに、ちょいワルオヤジ風ではない。男性軍はそこに親近感を抱くかもしれないが、女性軍的には分かりにくい存在になる可能性もある。

しかし、そんなザッケローニも、「ザック」になった瞬間、変貌する。メジャーな存在になる。ザッケローニの人格は皮肉にも薄まり、「ザック」は一人歩きを始める。ザックジャパンといわれて連想するのは、長友であり、内田であり、長谷部であり、本田だ。ACのテレビCMに出演した影響もあるのか、岡崎も主要メンバーの一人に昇格した感がある。

最近では、李忠成も異色の存在として認知度を高めている。くどいようだが、ザッケローニではない。人間の名前というより商品名。一転、それは訴求力の高いグループ名に変身する。

先日のチェコ戦。満員に埋まった横浜国際競技場のスタンドは、女性ファンがおよそ3分の1を占めていた。ザックジャパンは、女性に受ける集団になっていた。岡田ジャパンやジーコジャパンとの決定的な差だ。

その中心的な存在は内田である。この選手の人気は半端ではない。とはいえ、従来のスター選手とは何かが違う。本が爆発的に売れている長谷部や長友もそう。中田英寿的でも、宮本恒靖的でもない。三浦カズ的でもない。その匂いが一番するのは本田圭佑。ザックジャパンの中では異端児に見える。ソロでヒットを飛ばしたくてうずうずしている感じが見て取れる。

グループの一員ではあるが、個人としての知名度もそれなりにある。そのバランスがいいのがザックジャパンだ。人気投票をすれば、誰が一番になるだろうか。くだらない思いにふと駆られる。

女性に人気の内田は、男性票がどこまで伸びるかがカギを握る。本命は長友か。小さくても頑張る感じが、国民的な支持に繋がっている気がする。真面目で誠実そうなキャプテン長谷部も捨てがたい存在。本田はどうなのか。実力の割には苦戦を強いられているような気がする。繰り返すが、本田はザックジャパン的ではない。野心、スター性が強すぎることが、むしろアダになっている気がする。

ザックジャパンは、つまりAKB48似なのである。メンバーは、松田聖子や小泉今日子になってはいけないのだ。グループの一員としてソロ活動に勤しまなければならない。それでいて、グループの中には競争意識がしっかり働いている。

いまやザックジャパンのおよそ半分は海外組。ソロ活動を海外で行っている。プロ野球のように「行ったきり……」でないところがミソ。1、2か月に一度は帰国し、ザックジャパンに参加する。ザックジャパンの一員として、欧州でソロ活動に及んでいるように見えるのだ。