映画、そしてそれに伴い放送されたスペシャルドラマ『トリック』が好調な視聴率をとった。『トリック』の醍醐味は演技の上手い出演者やその緩さはもちろんだが、なんといっても斬新な‘トリック’にある。

 トリックとは辞書曰く【人を騙す目的で用いられる策略やごまかし、仕掛けなどのこと】。

 見抜くのが難しい分、その種がわかった時にすっきりする。トリックが大きければ大きいほど比例するようにスッキリする。それが『トリック』の醍醐味となり、視聴者を魅了するのだろう。

 先日、サッカーの規則改正を話し合う国際サッカー評議会が、PKでキッカーが行うフェイントについて、助走を完了してボールをける直前にフェイントを入れた場合は反スポーツマン行為として警告の対象とすることを公表した。これは6月1日からで、W杯南アフリカ大会でも適用される。

 この発表と同時に日本のメディアは‘コロコロPK’こと遠藤保仁のことを同時にとりあげた。おそらく日本代表のスターティングメンバーに名を連ね、かつPK時にキッカーになるであろう遠藤。その遠藤のPKは対象になるのかと。

 ただ、私は遠藤以上に彼のことを慮らずにはいられなかった。

 西村雄一。

 2010年南アフリカW杯の主審に名を連ねた日本の主審である。

 遠藤の ‘コロコロPK’がフェイントの対象になるかは不明だが、彼はあくまでもプレーヤーであり、自身で防ぐことができる。

 しかし、西村は違う。

 彼は選手が‘トリック’を使ったかを見破り、判定する存在だ。

 フットボールにおいてプレーを文章化するのは困難で、選手にマニュアルを配り「はい、この通りに動いてね」というわけにはいかない。だからこそ、多くのチームスタッフが戦術練習に試行錯誤する。

 そんなスポーツにもかかわらず審判は、文章をプレーに落としこんでいかなくてはいけない。それだけでも困難な作業なのだが、この‘トリックPKルール’はその文章の中でもアバウトな部類になる。そして、非常に重要なルールでもあるのだ。

 PKという千載一遇のチャンス。そこで、そのPKを‘トリック’だと判断したならばPKというチャンスをなくし、相手ボールにしなければいけない。両チームにとって、まさに天国から地獄、地獄から天国の判定となる。

 W杯という両国の人間が熱中する試合で、そんな判定をすればどうなるか。恐ろしいくらいに想像できる。日本国内ですら「西村空気読めよ」「騙されてるじゃん」という声が上がりそうだ。なかには「目立とうとすんなよ」という心無き声も上がるかもしれない。彼等はなにもファウルをとること、ルールを適用することに生きがいを感じているわけではないのにもかかわらず。

 彼らはインタビュー時、決まって口を揃える。

「普通に試合が終わってくれるのが一番」

 ルールは審判のためのものと誤解されがちだが、決してそうではない。

 FIFAの様々なルールの通達の裏には、"フットボールを綺麗で純粋なものに戻したい”そういった思いが働いているように感じる。つまり、ルールはフットボールのためにあるのだ。

 そして、審判はその先頭にたっているだけである。

 ‘トリック’を見破った時のスッキリ感。審判にはそんなものは存在しない。それだけは理解して欲しい。

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