東海道新幹線の車内で缶ビールから注がれたとは思えないクリーミーな泡が楽しめる(撮影:尾形文繁)

旅に酒はつきものである。ウマい酒を飲めれば、旅はひときわ楽しいものになる。

そう言うと「のんべえ」の発想であって、酒なんてなくても楽しくなければ本当の旅ではないとしかられるかもしれないが、それでも旅先で飲む酒はなかなかにウマい。夜、宿泊先の近くでフラリと入った店で飲むのもいいし、移動の列車の中で飲む酒もまた、格別なものだと思う。

もちろん、通勤通学の人たちで混雑しているような列車の中で飲むのは遠慮する。当然のマナーのひとつだ。

ただ、ガラガラに空いている列車の中だったり、旅行気分が盛り上がる特急や新幹線だったりすれば、多少は周囲に気を使いつつも酒を飲みたくなるものだ。

車内で買えるのは「缶ビール

それは出張帰りの新幹線の中であっても変わらない。ただ、そこで少しのわびしさを感じることもある。新幹線の中で飲むビールというのは、残念ながら缶ビールなのだ。

もちろん最近では缶ビールだって充分にウマいし、満足している。けれど、せっかく非日常の旅の途上なのだから、もう少しウマいビール、つまりはビアホールの樽から注いだような、クリーミーな泡が特徴の“いわゆる”生ビールが飲めたらいいのになあと感じることしきりなのだ。

帰りの新幹線の中で缶ビールを空けている出張族の皆さんも、きっと似たようなことを考えたことがあるに違いない。

そういう悩みを密かに抱えていたら、「東海道新幹線で『生ビールのあの泡』が楽しめるようになるらしいですよ」という話を聞いた。そうして引き寄せられるようにJR東海の大井車両基地で行われた、東海道新幹線での「神泡セット」販売開始に関する取材会に足を運んだのである。

新幹線の中での“生ビール”販売。門外漢からすれば簡単そうだが、これがなかなか難しかったようだ。それこそ食堂車のような施設があれば、ビールサーバーを積み込むこともできようが、東海道新幹線ではそれはかなわない。

野球場の売り子のごとくでっかいタンクをパーサーに背負わせるというのも非現実的だ。では、一体どうして新幹線での「生ビールの泡」が実現したのか。

「サントリーが新たに開発した、電動式神泡サーバーを使い、缶ビールでもクリーミーな泡を作り出してご提供いたします」

こう説明してくれたのは、サントリービール株式会社プレミアム戦略部・水谷俊彦部長。どういうことかというと、缶ビールに取り付けて注ぐときにボタンを押すと、超音波でわずかな振動を起こしてクリーミーな泡を作ることができるものだとか。

ウマい泡の作り方

これまでも似たようなサーバーはあったのだが、震えるサーバーを通してビールをグラスに注ぐ構造だったため、使うたびに洗浄が必要だった。そのために衛生面から車内での販売には使えなかったという。

「今回開発したサーバーは、ビールそのものはサーバーに触れずに洗浄なしで繰り返し使えます。ですので、このタイミングでぜひ東海道新幹線をご利用の皆さまに“生ビールさながら”の高品質な神泡を楽しんでいただければと」(水谷部長)


超音波の振動がクリーミーな泡を作る(撮影:尾形文繁)

実際に車内販売での提供の様子をデモしてもらった。パーサーが缶ビールにサーバーをセットして、まずは普通にグラス(車内ではプラカップだが、気持ちの問題で“グラス”と言わせていただきたい)に注ぐ。

ずいぶん慎重に注いでいるな、と思って聞いてみると「ここで泡が立つと泡とビールの比率が悪くなっちゃうので」とのこと。グラスを傾けてゆっくり注ぐというお決まりの“泡立たない注ぎ方”で丁寧にビールを注ぎ、7割方注ぎ終わったところでサーバーのボタンを押す。いよいよ神泡の出番だ。

そうは言っても目に見えない超音波で振動を起こしているのだから、見た目には何も変わらない。もちろんパーサーの手にも振動が伝わることはないという。超音波で神泡を作り、ゆっくりとグラスに注げば完成である。確かに、見た目には単に缶ビールを注いだのとはまったく違う、クリーミーでいかにもウマそうな生ビールであった。

しかし、1杯入れるのに1、2分ほどかけてじっくりと注ぐ神泡。ただでさえ忙しそうなパーサーにとってはかなり大変な仕事なのではなかろうか。

「いえ、パーサーは神泡専門として1人増やして乗務することになります。サントリーから当社に出向してもらっているので、ビールの注ぎ方もバッチリです。あ、もちろん当社のパーサーとしての訓練も受けてもらっていますよ」

東海道新幹線での車内販売を担当するジェイアール東海パッセンジャーズの浅賀教博営業推進部長はこう答える。つまり、現状のパーサーの人数に加えて神泡のために専門のトレーニングを受けたパーサーが1人増えるというわけだ。これなら、忙しそうだから声をかけるのをやめとこう……などという遠慮は無用である。


神泡専門のスタッフが提供する(撮影:尾形文繁)

で、実際にデモを見せてくれたパーサーに聞いてみると、「結構練習しましたね。やっぱり泡とビールのバランスが難しくて。お客さまに失敗したものをお出しするわけにはいかないですから」。これなら安心して神泡を注文できそうだ。

実際に車内ではビールに加えて神泡に合わせて特別に作られた「おつまみ」がセットになって500円。野球場の生ビールと比べれば破格の安さである。

車内販売は期間も区間も限定

ただ、現時点ではあくまでも神泡のキャンペーンの一環としての販売。そのため、専門パーサーが乗務して神泡セットを注文できるのは4月2日まで。1日5往復の「のぞみ」、それも東京―名古屋間に限られる。

「お客さまの評判が良ければ、今後の展開も考えることになると思います」とJRの担当者は言うから、もしかしたら神泡は新幹線で当たり前の光景になってくれるかもしれない。

そして、神泡のデモを見て感じたのは、ビールには“見た目の効能”も大きいということ。黄金色と白い泡のバランスが見事な、いかにもウマそうなビールを目にすれば、ついつい頼みたくなってしまう人もいるだろう。

それこそ同行者と“生でカンパイ”ができたら、疲れた出張帰りの新幹線も悪くない。それにもしかしたら、たまたま乗り合わせただけの隣席の他人とも、思わずカンパイなんてこともあるかもしれない。パーサーが神泡を注ぐ様子も、今まで見たことがないものだからいい“さかな”になる。

「もちろん、ビールに限らずお酒は節度を持ってお楽しみいただいて、周囲のお客さまのご迷惑にならないように」(浅賀さん)――東海道新幹線の車窓と生ビール(の泡)は新たな名物になるかもしれない。各地で廃止が相次ぐ特急や新幹線の車内販売だが、今回のチャレンジは逆境のなか、巻き返しのヒントのひとつになりそうだ。