クラブW杯、鹿島アントラーズ対グアダラハラ(メキシコ)を観戦しながら想起したのは2年前のクラブW杯だ。

 オークランド(ニュージーランド)、マメロディ・サンダウンズ(南ア)、アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)、そして2-2の末、延長にもつれ込んだレアル・マドリー(スペイン)との決勝戦。
 
 計4試合を戦い、鹿島は計9ゴール奪ったが、そのうち後半に奪ったゴールは7点で、前半に奪った2ゴールも33分と44分とけっして速くなかった。
 
 悪く言えばスロースターター。よく言えば後半型。この傾向は川崎と最後まで優勝を争った昨季にも受け継がれていた。競ったら鹿島。1点ビハインドでもひっくり返しそうな、80年代から90年代にかけてのドイツ(西ドイツ)が備えていたゲルマン魂を想起させる、威圧感さえ漂わせながら。
 
 クラブ通算20冠という実績が示すとおり、鹿島は以前から勝負強さにかけて一日の長を備えていたが、競馬の脚質で言えば、先行逃げ切りか、好位差しで、追い込み型ではなかった。
 
 それが優勝を飾った2016年のJリーグチャンピオンシップあたりから追い込み型の色を強め、同年末のクラブW杯に向かっていったという感じだった。
 
 今季のJリーグでは終盤、垣間見ることができたが、極めつけだったのは、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝対水原戦の第2戦だった。1-3(通算スコア3-4)とされてからひっくり返した逆転劇だ。終盤になればなるほど発揮される二枚腰。徳俵に足が掛かってから巻き返す粘り、しぶとさーー。
 
 鹿島と言えば、真っ先に引き合いに出されるのがジーコだ。ジーコスピリットというシロものである。それは具体的にどういうものなのか。勝者のメンタリティと言われるが、個人的にはそのあたりがどうも腑に落ちない。

 ジーコと言えばブラジル代表の10番として、W杯で本命に挙げられながら82年、86年と2大会連続、道なかばで敗れている。82年スペイン大会は2次リーグの最終戦でイタリアに2-3で、86年メキシコ大会は準々決勝でフランスに1-1から延長PKで敗れている。

 後者では、故障でスタメンを外れていたが、ジーコが途中出場をはたすやPKをゲット。キッカーであるジーコがこれを決めれば、ブラジルは勝利を収めそうなムードだった。ところがジーコはこれを外してしまう(ちなみに舞台はメキシコのグアダラハラだった)。

 何を隠そう、82年と86年にブラジルが敗れた試合に僕は連続して立ち会っているのだが、当時のジーコ及びブラジル代表に、勝者のメンタリティが流れているようには見えなかった。イタリアや西ドイツに比べると、その点で大きく劣る勝負弱い集団に見えた。

 その中心にジーコはいた。いったいジーコスピリットとは具体的に何を指すのか。

 日本代表監督としてもジーコは失格だった。決戦と言われた2006年W杯初戦、対豪州戦。恐れ入ったのは、その何日か前にジーコは早々と、日本のスタメンを発表してしまったことだった。4-2-2-2か3-4-1-2か、そのときジーコジャパンには選択肢が2つあった。相手の豪州監督ヒディンクにとっては、どちらで迫ってくるか謎だった。その答えを、誰に頼まれたわけでもないのに公言してしまったジーコ。

 そして肝心の試合にも敗れた。しかも敗れ方はバタバタだった。1-0でリードしながら終盤、3ゴールをぶち込まれての逆転負け。追い込み型の鹿島とは、真反対のサッカーを演じた。

 グループリーグ最下位。ブラジル戦後の会見で敗因を問われたジーコが言及したのは、日本人のフィジカル面。そのレベルの低さを嘆いたが、腑に落ちないとはこのことだった。