1922年生まれの発明家スタンフォード・オブシンスキー氏は、トーマス・エジソンやアルベルト・アインシュタインのような著名な発明家ほど知名度はありませんが、「この世代のエジソンだ」と称されるほど優れた発明を数多く生み出してきた人物です。そんなスタンフォード氏の業績をSmithsonian.comが振り返っています。

Stanford Ovshinsky Might Be the Most Prolific Inventor You’ve Never Heard Of | Innovation | Smithsonian

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1922年、東ヨーロッパからアメリカ・オハイオ州アクロンに移住してきたユダヤ人の両親の間にスタンフォード氏は生まれました。高校卒業後、自動車タイヤの型を製作する工場で機械工として働き始めたスタンフォード氏は、1960年にミシガン州オーバーンヒルズで自身の会社であるElectronic Conversion Devices(ECD)を立ち上げ、ここから科学分野で発明家として広く注目されるようになります。スタンフォード氏はイジドール・イザーク・ラービ氏やネヴィル・モット氏のようなノーベル賞受賞歴のある学者と親交を深め、ビジネス界で多くの成功をおさめました。なお、スタンフォード氏は2012年に89歳で亡くなるのですが、それまでに400以上の特許を取得しています。

スタンフォード氏が発明家として優れた先見性を持っていたことがわかるエピソードが、「ブラウン管TV時代に壁に掛けて使用するフラットテレビを構想し、1966年に特許を取得していた」というもの。現在では珍しくもない薄型テレビを、巨大な箱形のブラウン管TVが主流の1966年に既に構想していたというわけです。同じように、1968年にスタンフォード氏が取得した特許が2000年以降になってスマートフォン向けのマイクロチップの製造に使用されたり、コンピューターのメモリ技術をさらに進化させるために使用されたりもしています。

ほかにも、化石燃料の枯渇が叫ばれるようになる以前の1979年に安価にソーラーパネルを量産するための特許を取得し、電気自動車が登場する前のガソリン自動車最盛期の1982年に電気自動車に使えるレベルのエネルギー効率が高い頑丈なニッケル水素電池の特許を取得しており、スタンフォード氏が先見の明がある人物であることは、過去の実績がしっかりと示しています。



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そんなスタンフォード氏の伝記である「The Man Who Saw Tomorrow: The Life and Inventions of Stanford R. Ovshinsky」が2018年4月に出版されました。書籍の著者であるリリアン・ホデソン氏とピーター・ギャレット氏が、Smithsonian.comに対してスタンフォード氏の知られざるエピソードの一部を語っています。

これまで数多くの科学者や発明家の伝記を書いてきたというリリアン氏ですが、自身初の著書が出版された際、まだイリノイ大学で大学教授として働いていたそうです。イリノイ大学の歴史学科で学部長を務めるピーター・フリッチェ氏が、そんなリリアン氏の著書を自身の父親であるヘルマット・フリッチェ氏に渡したことが、リリアン氏がスタンフォード氏の伝記を書くきっかけとなります。ヘルマット氏はスタンフォード氏のもとで長らく働いていたという人物で、リリアン氏に連絡を入れて「スタンフォード氏の伝記を書くように」とお願いしたそうです。リリアン氏は伝記を書くためにスタンフォード氏のもとを訪れることに決め、2005年秋にECDを訪ねたそうで、そこで伝記を書くための「想像力をかき立てられた」と語っています。リリアン氏がECDを訪ねた際に見たものの1つには、スタンフォード氏が開発した水素駆動のハイブリッド型プリウスがあります。

リリアン氏はスタンフォード氏と出会ったことで、多くの新しい知識を学ぶ必要性にぶつかったそうですが、「もっと学びたい」と感じ、多くの知識を取り込まなければいけない状況を苦に感じることはなかったとしています。



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スタンフォード氏はとても幅広い分野に興味関心を示しており、そのすべてで高い成果をあげてきました。彼のキャリアは機械工から始まっていますが、機械工としての仕事をこなしながら自身が使用するマシンを常に改良しており、その中で発明家としてのアイデアが広がっていくこととなった、とリリアン氏は指摘しています。スタンフォード氏にとっての最初の重要な発明は、巨大な旋盤でした。彼はこの発明品に自身の父親の名前である「Benjamin Lathe」と名付けたそうです。この巨大旋盤は機械が木のブロックを動かしている間に、木を切断したり彫ったりするために使用される自動旋盤で、この当時からスタンフォード氏は特にオートメーションに興味を抱いていたことが明らかになっています。

リリアン氏と共に伝記を書いたピーター氏は、「スタンフォード氏は人生の後半に、4つか5つほどの異なる問題について新しいアイデアを同時に思いつくための方法を説明しようとしていました。また、彼は驚異的なマルチタスク能力を持っていました。彼は頭の中で複数の問題がそれぞれつながりを持つようになり、そこから他の人が見つけられなかったようなつながりを見出し、新しい何かを思いついていました」と話し、スタンフォード氏の並外れたマルチタスク能力により多くの発明が生み出されたことを明かしています。

スタンフォード氏の発明家としての功績を示すひとつが、同氏の名前がつけられた「オブシンスキー効果」の存在です。これは電圧電流を増加させることで、薄いガラスフィルムのような非結晶質物質を作り出すというもの。例えば、現代では主流となった薄型TVですが、これはオブシンスキー効果を用いて作られるアモルファス半導体がなければこれほどコンパクトに作ることができないそうです。なお、オブシンスキー効果が発見されるまでは、結晶性物質だけがオブシンスキー効果を用いて作られるアモルファス半導体と同じ役割を担えると考えられていました。

スタンフォード氏がこのオブシンスキー効果を発見し、特許を取得したのは1968年のこと。オブシンスキー効果を発見した際、スタンフォード氏はNew York Timesのインタビューの中で、「壁に絵のようにかけることができるTVを作ることができるようになります」と語っており、既に薄型TVの誕生を予見していました。

Phys. Rev. Lett. 21, 1450 (1968) - Reversible Electrical Switching Phenomena in Disordered Structures



また、1966年にはスタンフォード氏が相変化メモリについての特許を取得しています。相変化メモリは、電気パルスまたはレーザーパルスのいずれかをカルコゲナイドガラスに流し、結晶相からアモルファス相に変化させるというもの。また、一定時間結晶化温度を保つことで結晶相に戻すことが可能であるという「双安定特性」を持っているため、スイッチが情報を保存することが可能となり、不揮発性メモリとして利用できるという特徴があります。

記事作成時点で主流となっているシリコンフラッシュメモリと比較しても、相変化メモリは約100倍も高速にデータの読み書きが可能で、それでいて消費電力も少なく、さらにプロダクトとしての寿命も長くなるものと考えられています。また、シリコンフラッシュメモリはサイズが小さくなっていくと最終的にメモリ容量が頭打ちになることは確実ですが、カルコゲナイドガラスにはそういった制限はなく、低消費電力であるためサイズが小さくなるほど効率的に機能するようになると考えられています。

スタンフォード氏が50年以上前に発見した相変化メモリは、今日のコンピューターがスムーズに動作し、将来的により高度なコンピューターアーキテクチャを作成できるようにするためには必須のものであり、今後、コンピューター技術のさらなる発展により貢献していくことになる技術と考えられています。



スタンフォード大学の先駆的化学者であるジョン・ロス氏は、「スタンフォードは天才だが、科学者でない」と言いました。この理由について、ピーター氏は2つ思い当たる節をあげています。

ひとつ目の理由は「あまりに天才すぎたため」だそうで、「原子と分子を見れば、彼らが何をしたいのかわかる」とスタンフォード氏が語ったことを引用しており、常人には測れない天才性を持ち合わせていたとのこと。スタンフォード氏は本のページをペラペラめくりながら概要だけをさらっているように見えても、何年もあとになってから自分の知りたい情報が書かれた正確なページを見つけ出すことができたそうで、天才性を支える驚異的な記憶力も持ち合わせていたそうです。

もうひとつはスタンフォード氏が物理学者が受けるような正式な教育を受けていなかったという点です。通常、物理学者たちは計算式を使って数学的に物事を解き明かそうとしますが、スタンフォード氏は物事の解決を視覚化に頼っており、周りから見れば感覚的に問題を解決しているようにしか見えなかったそうです。スタンフォード氏は確かに知性を使って物事を判断していたそうですが、さまざまな要素を視覚的なイメージに変え、組み合わせの中から発明を行っていたため、直観的に発明を行っているように見えたとのこと。



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発明家として多くの特許を取得したものの、その型破りな手法から一部の科学者たちから疎まれていたスタンフォード氏。その一方で、ノーベル賞の受賞者の中にはイジドール・イザーク・ラービのようにスタンフォード氏と会って話をしたいという人や、彼を天才と呼ぶ人も多くいました。「この世代のエジソンだ」と称されることもあるスタンフォード氏ですが、「スタンフォード氏のキャリアは産業時代から情報化時代への移行期をカバーしている」とピーター氏は語っており、将来スタンフォード氏のような人物が登場するとすれば、同じような時代の過渡期になるのではと予想しています。