東大女子には選択肢が増えることによる葛藤が生まれる(写真:リュウタ / PIXTA)

「男子だらけでゾッとした」

地方出身で東京大学に通う川上純子さん(仮名)は、入学後、初めて東大で授業を受けたときの印象をこう語る。

なぜ東大女子の7割は東大男子と結婚するのか?

「将来は一応働きたいなと思っています。法学部なので法曹を目指すことになると思います。子どもは、まだわかりません」

すでに将来を見据えている。しかし将来を語るとき、その表情には一抹の不安があることがうかがえる。

「もし子どもができたなら、やっぱり旦那さんにも育休を取ってもらいたい。子どものお世話とか、やってみないとつらさがわからないと思うので、そこらへんはフェアにいきたいなって思っています」

「フェアにいきたい」と言いながら、その大前提として、自分が主に育児を担うというニュアンスが感じられる。それを指摘する。

「あぁ〜」

川上さんがハッと表情を変えた。

川上:つまり、私は仕事第一じゃないけれど、旦那さんは仕事第一という前提で話しているということですね。

おおた:そうだよね。そしてその両立を、自分が背負わなければいけないという暗黙の前提があるかもしれないよね。

川上:あぁ〜、そう思ってました(笑)。

おおた:たとえば川上さんが将来若くして大企業の顧問弁護士になったりでもしたら、普通のサラリーマンの給料よりも多く稼ぐことだってありうる。それなら当然『私が仕事を続けたほうが経済的に合理的じゃん』ということになる。

いままでそんなことはまったく想定したことがなかったのだろう。川上さんは目をまんまるに見開いている。

川上:入学したときの女子オリエンテーションで、東大出身の女性の配偶者の多くは東大男子であるという話を聞きました。確かに『早稲田とか慶應とかの男子からしてみたら、東大女子は扱いにくいんだろうね』って話を、友達とよくするんです。

実際、東大女子の約7割は東大出身の男性と結婚しているというデータがある。

おおた:『自分より偏差値の高い女子は扱いにくい』と男の子たちが思っているんじゃないかという意識が、東大女子の中にあるということだよね。

川上:そういうことですね。で、結局、東大男子のほうが、同じ東大生として、私たちの気持ちを理解してくれるんじゃないかという話になります。でも、東大男子についても、人を選ばないとダメなのかなとも。常識がない人も多いよねって。

おおた:たとえば?

川上:東大の英語の授業で、ドラマを見ました。企業の役員がみんな男性だというシーンを見て、これはどうしてかという議論をすることになりました。すると都内の超有名男子校出身の学生が『それは女の人の能力がないからでしょ』と言い放ちました。びっくりしました。そういう人が官僚とかになっていくのかなぁなんて(笑)。

おおた:東大出身の男性は、おそらくそこそこのキャリアパスを手に入れる。しかも東大生共通の傾向として、競争意識が強いと聞く。だとすると、企業でも官庁でも出世競争にのみ込まれていく。熾烈な競争の渦中にいて、『あなた、子育てもして』と言われるとものすごい葛藤を感じるかもしれない。

そうすると、夫婦ともに譲れなくなる。同じ東大出身だから自分のことをわかってくれるという期待がもてる一方で、相手も東大出身だからこそ、競争社会から降りられないというのもあるよね。東大じゃない大学の男子がみんな家事や育児に理解があるかといったら全然そんなことはないとは思うけど。

川上:高校の同級生には早稲田や慶應に行っている人たちもいて、彼らを見ているとむしろ性格的に東大生よりもいいかもと思うことも多いので、全然いいんじゃないかなとは思います。

「学歴上昇婚」の傾向があるかぎり

おおた:でも実際は、女性は自分よりも偏差値の高い大学を出た男性と結婚する『学歴上昇婚』の傾向がある。この傾向があるかぎり、東大女子は東大男子と結婚するしかないじゃない。これはどうすればいいんだろう?

川上:うーん。

おおた:たとえば、偏差値による大学の序列がなくなればいいんじゃない?

川上:それはそうですね。

おおた:出身大学にとらわれずに結婚して、子どもができたときに、夫婦でどれくらい仕事をセーブすればいいかを話し合って、合理的な判断をすればいい。そこで仮に一方の子育ての負担が大きくなって、仕事をセーブしなければいけなくなったとしても、子育てが一段落した時点でまた仕事に復帰しやすいような社会であればいい。そういうことだよね。

川上:そうですね……。一方で、子どもが生まれたら、専業主婦になってもいいかなという思いもあるんです。

おおた:でも、せっかく東大まで来たのに……という気持ちもある?

川上:あります!

おおた:頑張って難しい大学に入るのは自分の選択肢を増やすためだってことはよく言われるんだけど、実際本当に頑張って選択肢を増やしてしまうと、頑張ったことによって増えた選択肢から選択しないともったいないっていう気持ちになることあるよね。それって実は選択肢を狭めているんだよね。頑張って得られた選択肢を選んだ人生のほうが上等な人生だと思ってしまうからなんじゃないかな?

川上:そうかも……。

おおた:猛勉強して司法試験に受からないと弁護士にはなれない。一方、確かに東大に行かなくたって専業主婦にはなれる。でも弁護士として生きる人生と、専業主婦として生きる人生のどちらが上等かなんて、比べようがない。本人がどれだけ自分の人生に誇りをもてているかが大事。

川上:確かに……。

高学歴女子の葛藤が垣間見られる。拙著『ルポ東大女子』執筆のために行ったインタビューの一幕である。

社会の偏差値過敏症が治れば少子化が緩和する!?

カーレースに例えれば、「東大」とは「競争社会」をスタートする時点での「ポールポジション」である。ポールポジションを得るために、学校教育が「競争社会」の「予選」になり下がり、「学歴社会」「偏差値主義」が跋扈した。しかし「競争」が緩和すれば、ポールポジションにこだわる必要は薄れる。そうすれば、おのずと「東大」に対する過度な意味づけも和らぐはずだ。

しかも人生というレースは短時間で勝ち負けを争うものではない。むしろ耐久レースに近い。瞬発力より持久力がものをいう。レースが長時間になればなるほど、途中でピットインも必要になるし、トラブルも起こる。ポールポジションが有利なのは最初の何周かだけ。そのために「予選」でムキになる必要はない。ポールポジションを取れなかったらもうおしまいと考えるのは、大げさだ。

確かに東大は、資金的にも人材的にも国内で最も恵まれた大学かもしれない。その恵まれた環境を求めて東大に行きたいと思う高校生が多いことは理解できる。しかし、偏差値がいちばん高いから東大に行くというのはいかがなものか。そのような考え方は「みんながいいと言うものを自分もほしい」という考え方でしかない。その姿勢のままではつねに世間の評価に振り回される人生を送ることになりかねない。

逆に「国際的な大学ランキングで東大の順位が落ちているからもう東大に行っても意味がない」という批判も意味がない。あの手のランキングは、組織としての大学の機能を評価するものであって、その大学に通う価値を評価しているのではない。どんな大学に行っても、そこで精いっぱい学べば、得られるものにさしたる差があるとは思えない。

ましてや「東大生同士でないと話が通じない」というのはまるで幻想だ。東大受験対策を専門にするある塾の関係者は「東大の合格ラインにはたくさんの受験生がひしめいています。毎年の東大合格者の中でも、下位半分は不合格でもおかしくなかった人たち」と証言する。もう一度試験を行ったら半分は入れ替わるというのだ。

偏差値で人の能力を推し量ることはナンセンス

惜しくも不合格になった人たちは、東京であれば早稲田、慶應あたりに通うことになる。彼らと東大生の間に学力的に明確な差があるはずもない。ましてや大学受験で試される学力が総合的な知性や人間力のごく一部でしかないことはいうまでもない。偏差値の高さで人の能力を推し量ることは、ベンチプレスの値でアスリートの能力を推し量るくらいにナンセンスなことだ。


偏差値が5や10違ったからといって話が通じないというのなら、問題なのは相手の偏差値ではなくて、本人のコミュニケーション能力だろう。実際には話が通じないのではなくて、話が通じないと思い込んでいるケースが圧倒的に多いのだと思われる。

しかし多くの人にそう思い込ませるほどに、偏差値が過度な意味をもつのがこの社会なのである。

社会全体を覆う偏差値の差に対する過敏症が解消されれば、東大女子の結婚相手の選択肢も増えるだろう。東大女子自身が自分より偏差値が低い男性との結婚に抵抗を感じなくなるという意味と、男性が自分より偏差値の高い女性との結婚に抵抗を感じなくなるという意味の両面で。

同様に世の中全体として、学歴上昇婚/下降婚という概念が薄れれば、男女ともに未婚率は下がるだろうし、世帯収入格差は縮まるだろうし、それによって少子化も改善の方向に向かうかもしれない。

その点、現在議論されている大学入試改革には、もともと大学入試を変えることで高校以下の教育を偏差値主義から解放しようという目的がある。それが、少子化対策にもなるかもしれないのだ。