永井秀樹「ヴェルディ再建」への道(9)
〜ユース指揮官としての1年(後編)

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指導者1年目のシーズンについて語った永井秀樹

指導者となって1年目
永井が最も印象に残った出来事

 2017年、永井秀樹は東京ヴェルディユースの監督に就任した。その最初の1年が終了。チームを去る3年生を送り出したあと、永井にこの1年間について、改めて振り返ってもらった。

――シーズンを終えて、率直な感想を聞かせてください。

「(ジェフユナイテッド市原・千葉U-18と対戦した)プリンスリーグ関東の最終節(1-1)、勝つことはできなかったけれど、試合内容は納得できるものだった。続けてきたことの成果は出せた。勝敗の責任はすべて自分にある。選手は確実に成長した」

――この1年を振り返って、印象深い出来事はありますか。

「(プリンスリーグ関東の)ひとつ前の試合(vs流通経済大柏)で負けたあと、ミーティングで選手たちが涙を流しながら、今どんな思いでいるのか、話をしてくれた。その様子を見て、自分もつい、もらい泣きした。

 現役時代、Jリーグで優勝しても泣いたことはなかったし、横浜フリューゲルス在籍時にクラブ消滅が決まっている中で、最後に天皇杯で優勝したときも涙は出なかった。現役時代に泣いたのは、味スタの引退式でのスピーチのときだけだった。だから、自分でも不思議な気持ちになった。

 今までとはまったく違うサッカー、フォーメーション……、どれひとつとっても(選手たちは)新しいものを求められ続けてきた。練習試合でも大敗が続いて、『本当に大丈夫なのかな』という半信半疑の気持ちだったはず」

――最初は監督と選手、お互いに距離を感じていたのでしょうか。

「かもしれないね。(そうした状況の中)シーズン開始早々、トレーニングマッチで横浜FCユースに大敗したとき、初めて選手たちに強い口調で言った。

『俺は中途半端な気持ちで指導していない。本気でヴェルディを再建したい。ヴェルディの未来はおまえたちにかかっているのに、ヴェルディのユニフォームの重みや価値がわからない選手、仲間のために戦えない選手、中途半端な気持ちで”プロになりたい”と言っている選手は、明日から(練習に)来なくて結構』だと。『ひとりでも、ふたりでも、本気の覚悟のある選手とだけ、向き合う』と。

 でも翌日、選手全員が練習に来てくれた。ある意味、あの日が監督としてのスタートだった」

――監督と選手、お互いが覚悟を決めて向き合えるようになったんですね。

「『全員、やめてもらって結構』と言ったとき、(選手たちに)『やってらんないっすよ』と言われて、選手全員が来なくなって”チーム崩壊”ということだってあり得た(笑)。

 それまでは選手たちも、自分に対して様子をうかがっていた。『永井さん、難しいことばかり言うな』『理想は高いけど、本当にできるのかな』という疑心暗鬼な気持ちもあったかもしれない。

 でも、あの日をきっかけにして、自分の思いを確実に伝えることができた。そして選手たちも、結果が出ないことで周囲からいろいろと言われたと思うけど、それでもついてきてくれた。

 そんな彼らが(シーズン終盤に)涙を流して悔しがっている姿を見て、気持ちがたかぶったのかな。自分も、ついもらい泣きしてしまった」

――現役を引退して、初めて監督として過ごした1年について、振り返っていただけますか。

「選手たちが一日一日、少しでも成長してくれたらと思い、自分は何ができるかを考え続けた1年だった。それこそ24時間、寝ている間も夢の中でそのことばかり考え続けていたように思う。

『高校生だし、そこまで求めなくても』とか、『理想ばかり追いかけても難しい』という人たちもいた。『(選手の)好きにやらせたほうがいい。そのほうが結果も出るよ』とアドバイスしてくれた指導者もいた。

 でも、自分がやりたいこと、理想の追求、目指すサッカーは微塵も妥協したくない。サッカー道の追求、質の追求に関しては、現役時代と何も変わらない」

――生活面において、選手時代との変化はありましたか。

「現役時代の晩年も、海外サッカーを見るために多少睡眠時間を削っていたけど、今はそういう時間がさらに増えて、極端に(睡眠時間が)短くなった。

 世界のサッカーはものすごいスピードで進化し続けている。今、自分が『新しい挑戦』と思って取り組んでいることも、『もしかしたら、世界の潮流からすれば、時代遅れかもしれない』という思いもあるから、時間の許す限り、世界のサッカーを見て研究している。

 そのうえで、日本式、日本人のよさを生かした(誰かの)コピーとは違うオリジナルのサッカーで、世界で勝てる理論や方法を四六時中考えている」

ユース監督を引き受けるきっかけとなった
風間八宏監督に言われた「言葉」

――実際に経験してみて、監督にとって必要なものは何だと思いますか。

「何年か前、尊敬する指導者のひとりでもある風間八宏さん(名古屋グランパス監督)が、あるテレビ番組で『監督にとって一番大切なことは何ですか?』と聞かれて、『体力』と答えていた。そのときは、『風間さん、何ふざけているのかな』と思ったけど、今は『体力がないと指導者はできない』ということがよくわかる。

 あとはやっぱり、一番大切なのはブレることのない本物の情熱かと、改めて思う。新庄さん(新庄道臣氏/小学校時代の恩師。九州では育成年代の名将として知られる)、吉武さん(吉武博文氏/明野中時代の恩師。元U-17日本代表監督。現在は今治FC監督)、小嶺さん(小嶺忠敏氏/国見高時代の恩師。現在は長崎総科大附高の総監督)、大澤さん(大澤英雄氏/大学時代の恩師。現在は国士舘大理事長)と、それぞれスタイルは違えども、自分の恩師は皆、嘘偽りのない本物の情熱を持っていた」

――引退を決めた当初、指導者というのはあくまでも選択肢のひとつで、積極的にやろうとは思っていなかったと記憶していますが。

「今でもそれは思うし、心の奥底では自問自答している。『ヴェルディを再建したい』という目標と同時に、『日本のサッカーをもっとよくしたい』という夢もある。微力かもしれないけど、『どうすれば日本のサッカーをよくできるのか』ということを考えると、指導者という道が本当にいいのか、指導者とは違ったアプローチのほうがいいのか、という思いは今もある。でも、引き受けた以上、『この程度でいい』とはならないし、当然日本一の指導者を目指して全力を尽くす」

――そもそもユースの監督を引き受けたのはなぜですか。何かしら、きっかけというか、理由があったのでしょうか。

「現役最後のシーズン中、川崎フロンターレとのトレーニングマッチがあって、たまたま(当時フロンターレ監督の)風間さんと話をする機会ができた。そのとき、(自分の中では)ほぼシーズン限りでの現役引退を決めていて、風間さんはそれを察したのかもしれない。

 引退後の話になって、『永井は、もし指導者になるなら、最初のスタートはコーチより監督のほうがいい。たとえそれが小、中、高校生だったとしても、監督から始めたほうがいい』とアドバイスをいただいた。そして、『同じ指導者でも、監督とコーチではやるべきことはぜんぜん違う。監督としてチームをしっかりマネジメントする、ということを最初に学んだほうがいい。永井はおそらく、コーチより、監督という立場のほうが向いているように思う』と。

 あのときの風間さんの言葉は、自分の背中を力強く押してくれた」

――さて、来シーズンに向けての抱負を聞かせてください。

「やることは何も変わらない。よりよいサッカーをすることの追求。寸分の狂いもなく、それを突き詰め続けること。1年間指導して、より見えてきたこともある。強がりを言うわけではないけれど、周りの評価は気にもしていない。

 現役時代を振り返っても、25年のプロ生活は批判と称賛の繰り返しだった。プロは、表向きはきらびやかな世界に見えるだろうけど、裏は批判と妬(ねた)みだらけ(笑)。悪ければ、『ここまで言われる必要あるか』というところまで批判される。そういう世界で25年も過ごしてきたから、今さら批判されようと、まったくブレることはない」

 最後に、2017年シーズンをともに戦ってきた選手たちについて、改めて聞いてみた。すると、永井はこう答えた。

「一生忘れることのできない”最高の財産”」

 そして、永井はこう続けた。

「(自分を)信じて、ついてきてくれた選手がいたからこそ、監督という仕事を全うできた。自分が教えた以上に、選手たちから多くのことを学んだ」

 巣立っていった”1期生”たちの思いを胸に、永井はまもなく新たなシーズンを迎える。

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