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破綻から奇跡の復活を遂げた日本航空(JAL)。『JALの心づかい』(河出書房新社)の著者・上阪徹氏は「好調な業績を支えているのは、サービス力の高さ。特にグランドスタッフ(地上職員)の優秀さは、他社を大きく上回る」という。実は地上職員の訓練期間は2週間。そんなわずかな期間で、質の高いサービスを身につけられるのは、なぜなのか――。

■見逃されがちな「グランドスタッフ」のサービス向上

取材であちこちを飛び回るという仕事柄、飛行機を利用する機会は少なくないが、私は家族との旅行では必ずJALを利用している。理由は、まだ子どもが幼かった頃、よく行っていた海外旅行で、JALのチェックインカウンターのグランドスタッフにとてもお世話になったからだ。

私に限らず、小さな子ども連れの旅行はひと苦労である。考えなければいけないことがたくさんあり、不安といつも隣あわせ。そんなとき、いつも笑顔で的確な対応をしてくれたのが、JALのグランドスタッフだった。

キャビン・アテンダントのサービスは常に注目され、メディアの取材も多く、関連の書籍もたくさん出ている。「でも、グランドスタッフもとても素晴らしいサービスをしてくれているのになぁ」という気持ちをずっと持っていた。

そして、どうしてこんなに感じがいいのか。どうすればこんなサービスが育てられるのか。とても不思議に思っていたのである。

「人の印象は一瞬にして決まる」とよく言われるが、チェックインや搭乗ゲートなど、グランドスタッフに許されている時間は、ほんのわずか。しかも、最初に良くないイメージがついてしまうと、挽回のチャンスはほとんどない。場合によっては、わずか数十秒でサービスをしないといけないのだ。そこで「いいサービスをしてもらえた」「好印象だった」と思ってもらうのが、いかに至難の業か、想像はつく。

■さまざまなシチュエーションに臨機応変に対応

しかも、乗客は、旅行あり、ビジネスあり、所用あり、帰省あり、家族での移動あり……。求められるニーズは本当にさまざまな中で、それを瞬時に把握し、空港に関する知識、飛行機に関する知識、乗り継ぎ先の便や空港情報等についての知識を総動員し、満足を作っていかなければいけない。世界のどこから来たのか、どこに飛び立っていくのか、どんなふうに乗り継いでいくのか、乗客を目の前にするまでわからないのに、である。

さらに、乗客のリクエストにすべて応じられるわけではない。例えば、席の指定にしても、希望の席がすでに埋まってしまっている可能性がある。そうなれば、希望に応じられない。国内線の場合は、チェックイン機を使う人も多い。そうなると、カウンターでチェックインする人は何か要望がある人、というケースが少なくないはず。場合によっては、何か困ったことになっている、といったことも考えられる。

しかも、目の前でどんな話がやってくるか、聞くまで想像もできない。その場で迅速に、さらには正確に対応しないといけないのである。さらに、悪天候で飛行機が飛ばない、なんて場合にも対応しないといけない。

■いかに「お客さまに寄り添う」ことができるか

これは、究極のサービス、といえるのではないかと感じた。なんといっても、エアラインへのサービスの期待は、他の産業ではありえないほど高いのが、日本でもある。その徹底したプロフェッショナリズムやおもてなしの精神は、エアラインでサービスを提供する人たちの垣根を越え、サービス業に携わる多くのビジネスパーソンの参考になると強く感じた。

サービスというのは、実に面白いもので、受けている側が「心地がいい」「幸せな気分」と感じれば感じるほど、サービスを提供している側のたゆまぬ努力が隠されているものである。

取材をしてみると、「ここまでやっているのか」「こんなところまで見ているのか」「こういうことを考えているのか」という驚きの連続だった。なるほど、こんなふうにしてJALらしい「心づかい」は実践されていたのかと驚かされた。

JALでは、目指すべきグランドスタッフの仕事をこう定義している。

「お客さまに寄り添う」

スピーディーに、正確に、しかも笑顔で、乗客に寄り添う。同社の行動哲学「JALフィロソフィ」をベースにしながら、この難しい仕事に挑んでいるのが、グランドスタッフなのである。

■新入社員の訓練はわずか2週間

取材前、想像していたのは、さぞや教育に時間がかかっているだろうな、という思いだった。しかし、驚かされたのは、新入社員の訓練はわずか2週間ほどしかない、ということだ。

ともすれば、チェックインカウンターや搭乗ゲートでの対応は、すべてマニュアルでガチガチに固められているのではないか、というイメージを持つ人もいるかもしれないが、それも違う。

もちろん身だしなみや立ち居振る舞いに関しては厳しい指導が行われる。ちょっと前まで、のんびりと学生生活を送っていただけに、キリッとした、あの空港での立ち姿がすぐにできるはずがない。JALのグランドスタッフのためだけに作られた「JALスタイルブック」をベースに、担当教官の厳しい指導のもと、徹底的に鍛え上げられる。落ちているゴミの拾い方ひとつとっても見ても、ふさわしい動きと、そうでない動きがあるという。

しかし、接客についてはそうではない。もちろん基本的なルールがあり、それは指導されるが、マニュアルはない。そのときどきにおいて、ふさわしい対応を心がける、というのが、JALの考え方なのだ。

訓練後は職場に戻り、上司や先輩に学びながらのOJTを通じて、自分なりのサービスを作り上げていく。そして、そのベースになるのが、破綻後のJAL再生の礎になった行動哲学「JALフィロソフィ」である。ここから、調査ランキングで1位に選ばれるような接客サービスが生まれていったのだ。

■おもてなしの接客10原則とは

書籍では多くのグランドスタッフや教官、教育体系の作成者などに取材で話を聞いた。そこから、「身だしなみ」「表情」「立ち居ふるまい」「事前準備」「意識」「コミュニケーション」「行動」「難しい自体への対応」「習慣・トレーニング」「サプライズ」の10項目にわたって、グランドスタッフに学ぶことができる、おもてなしの接客10原則「66のスキル」をご紹介している。印象的だったものをいくつか紹介してみよう。

「統一美」を意識する

空港の雰囲気が好き、という人も多いと思うが、その空気案を作っているもののひとつに、間違いなく空港スタッフの姿がある。キリッとした雰囲気は、彼女ら彼らによるところが大きい。実際、パッと見てすぐにグランドスタッフとわかる。どうしてそんな印象が作り上げられているのかというと、「統一美」が意識されているから。統一されている美しさ、そろっている美しさ。髪型、化粧、制服の着こなし方などが、きれいに統一されているからこそ、あの独特の雰囲気は作り出されている。そして、そうした統一美を一人ひとりが意識している。

お洒落と身だしなみは違う

新入社員の訓練で徹底的に教えられるのが、これ。「お洒落は自分のためにするもの。見出しなみは、お客さまのためにするもの」。ここを勘違いしてはいけない、と。「お洒落がしたければ、仕事を離れたところで、いくらでもすればいい。しかし、お客さまの前に出る仕事では、あくまで身だしなみを意識しないといけない」。

一方通行の挨拶から始めない

グランドスタッフが心がけているのが、相手も話しやすくなるような、相手から引き出せるようなコミュニケーションをすること。こうすることでニーズも聞き出せる。そのためにも、相手から言葉が返ってこないような発信はできるだけしない。例えば、「いらっしゃいませ」から始めない。これでは相手は返せない。では「おはようございます」ならどうか。引き出すようなコミュニケーションを目指している。最もハードルが高いのは第一声。挨拶の言葉は極めて重要。

小さな「つ」は使わない

新入社員の訓練では、学生時代の言葉から、社会人の言葉へと直していくのに、これを使っているという。そうすると、こういう言葉を使わなくなる。

「あっちから持ってまいります」
これが
「あちらからお持ちいたします」
に変わる。「あっち」「こっち」が「あちら」「こちら」に変えられる。

他にも「ウェブサイトをお客さま目線で見る」「ニーズの本質を捉える」「搭乗目的によって会話の雰囲気を変える」「感謝の言葉、肯定の言葉から入る」「情の位置で対応する」「日常での過ごし方が出る」など、興味深い原則がたくさんあった。

ただし、これらは、社内でマニュアル化されているわけではない。たくさんのグランドスタッフへの取材から、私がスキルに落とし込んだものだ。そして、スキルは今も進化し続けている。それはマニュアルがないからこそ、できることなのかもしれない。

■世界中のスタッフが集まるサービスのコンテスト

こうしたグランドスタッフの「心づかい」あふれた接客サービスが、世界中から集まった約60人のグランドスタッフによって競われる場が、2012年から年1回、行われている。「空港サービスのプロフェッショナルコンテスト」だ。

グランドスタッフは世界で約5300人働いているが、コンテストに出場できるのは、地区や空港から選び抜かれた精鋭のみ。彼女ら彼らは、各空港で「特訓」を積んでくる。それだけに、コンテストは熱い。涙、涙の場面も数々。取材にはテレビや新聞、雑誌メディアなども集まり、ニュースや情報番組にも取り上げられるなど、社内のみならず、社外でも大きな話題になる。

第6回は2018年1月に開催されたが、大雪の影響で初日の予選のみが行われ、予選通過した12名の中から優勝者などが選ばれる本選が延期になった。接客やアナウンスなど、まさにハイレベルの争い。書籍では、2016年、2015年のコンテスト優勝者にも取材し、声をご紹介しているが、地元のテレビ局や専門誌からの取材も数多く受けたという。

一度、本選に出場すれば、サービスアドバイザーの肩書きがつく。各空港でサービスや品質を向上させる役割だ。そしてアルメリアの花を模した形のバッジを着けることができるようになる。アルメリアの花言葉は、「おもてなし」である。

JALには世界で約100名、このアルメリアのバッジをつけたグランドスタッフがいる。

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上阪徹(うえさか・とおる)
ブックライター。1966年兵庫県生まれ。早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに雑誌や書籍、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人超。著書に『書いて生きていく プロ文章論』(ミシマ社)、『JALの心づかい』(河出書房新社)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)他多数。

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(ブックライター 上阪 徹 写真=iStock.com)