手前が「アタマの大盛り」、奥が「大盛り」の丼(撮影:渡辺利博)

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 誰もが知るあの有名外食チェーンも、最初は街の片隅に生まれた小さな店から始まった。「1号店」──そこは創業者の汗と涙、熱い思いが詰まった聖地である。『吉野家』の原点を辿ってみた。

 吉野家の牛丼は、もともと魚市場で働く人々のスタミナ食として、創業者・松田栄吉氏が「牛めし」をヒントに考案したものである。

 1899年、まだ築地に移転する前の日本橋・魚市場で、忙しくて食事をするための時間もとれないような市場で働く職人たちに、美味しいものをお腹いっぱい食べてもらおうと、「はやい、うまい」吉野家の牛丼が誕生した。

 当時はまだまだ高価だった牛肉を使った牛丼は、うな重と同じくらいの高級食であったものの、重労働に耐えるためスタミナをつけたかった職人たちにたちまち評判となった。1号店に今も残っている、壁に据え付けられた箸立ては、満席の店内で席につかず忙しい合間を縫って立ったまま食べる人もいた頃の名残である。

 東京大空襲によって一度店舗を焼失してしまうが、その時も屋台で販売を続けた。現在の1号店がある築地市場で店舗を再開したのは1958年のことである。それから現在まで市場の人々の腹を満たし続けてきた同店だが、築地市場の豊洲移転に伴い、再び移転の節目を迎えようとしている。

「ここがなくなってしまうと我々の発祥の地がなくなってしまいます。そのため、ここで創業したという形を残そうと思い、昨年8月、築地・波除稲荷神社に『吉野家築地一号店記念石碑』を奉納しました」(吉野家企画本部広報)

 本来ならば昨年11月に市場が移転されるはずだったのだが、周知の通り豊洲移転が延期されることになり、今も営業を続けている。

「移転についてはまだ何も決まっていません。色々な話を耳にしますが、ご利用いただくお客様のことを一番に考え、検討していく予定です」(同前)

 市場の人々と共に歩み続けてきた吉野家の牛丼は、再び市場と共に新たな一歩を踏み出そうとしている。

※週刊ポスト2017年11月3日号