日本人とプレーした後、「ワールドクラス」になった5人のサッカー選手たち

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これ以上ないほどグローバルになったサッカー界。

意外な場所で、意外な選手たちが一緒にプレーしているものだ。そうした繋がりを縁を探すのも、またサッカーの楽しみであると言える。

そこで今回は、過去に日本人とプレーした経験を持ち、その後ワールドクラスへと成長していった選手を5人探してみた。

ロビン・ファン・ペルシー(フェネルバフチェ)

一緒にプレーしていた日本人:小野 伸二
当時のチーム:フェイエノールト(2001-2004年)

アーセナルとマンチェスター・ユナイテッドで、2年連続の得点王に輝いたロビン・ファン・ペルシー。

世界屈指のFWを輩出してきたオランダ代表に最多得点記録を更新した点取り屋だが、デビュー当時にともにプレーしていた日本人が小野伸二だ。

小野が浦和レッズから加入した2001年、ファン・ペルシーもトップチームデビュー。フェイエノールトがUEFAカップを制したのちょうどこのシーズンであった。

ファン・ペルシーはフェイエノールトで小野と3シーズンを過ごし、2004年にアーセナルへと渡っている。

マヌエル・ノイアー(バイエルン)

一緒にプレーしていた日本人:内田 篤人
当時のチーム:シャルケ(2010-2011年)

「世界最高のGK」という評価を欲しいままにしているマヌエル・ノイアー。シャルケ時代の同僚は、もちろん内田篤人だ。

Bチーム時代を含めると2003年からシャルケに在籍していたノイアーに対し、内田は2010年ワールドカップ直後に加入。

当時のノイアーはドイツ代表の守護神であったがややパフォーマンスに波がある印象であり、翌シーズンにバイエルンに加入してから「世界最高」と呼ぶに相応しい活躍を見せるようになった。

ロベルト・レヴァンドフスキ(バイエルン)

一緒にプレーしていた日本人:香川 真司
当時のチーム:ドルトムント(2010-2012年)

ポーランドのレフ・ポズナニで得点を量産し、ドルトムントに引き抜かれたロベルト・レヴァンドフスキ。当時は無名に近いストライカーであったが、今や世界屈指のオールラウンドなFWだ。

そんなレヴァンドフスキと同期加入にあたるのが香川真司。2010年、加入から間もないながら揃って攻撃の核となり、チームを9シーズンぶり7度目となるブンデスリーガ制覇に導いた。

ゲッツェを加えた3人は『Squawka』が選定した「21世紀最強のアタッキングトリオTOP10」の6位に入っており、連携の良さも目を引いた。

なお、香川がマンチェスター・ユナイテッドからドルトムントに復帰するタイミングで、レヴァンドフスキはバイエルンに渡っている。

フランク・リベリ(バイエルン)

一緒にプレーしていた日本人:中田 浩二
当時のチーム(2005-2006年)

「あのフランク・リベリに同僚の日本人選手がいた」と言えば、多くの人が宇佐美貴史の名を挙げるだろう。もちろんそれに間違いはないのだが、初めてリベリとプレーした日本人選手は、意外にも中田浩二である。

2005年1月、中田はフィリップ・トルシエに招かれる形でマルセイユに加入。するとその翌シーズン、リベリがチームに加わり両者はともにプレーした。

しかし、リベリが代えの利かない中心選手であったのに対し、中田はほとんど出場機会が与えられず。中田は冬の移籍でバーゼルへと渡っており、二人が揃ってプレーしたのはわずかに半年ほどであった。

イヴァン・ラキティッチ(バルセロナ)

一緒にプレーしていた日本人:中田 浩二
当時のチーム:バーゼル(2005-2007年)

マルセイユでリベリとプレーした中田浩二だが、次なる移籍先であるバーゼルでも「スターの原石」とチームメイトになっていた。バルセロナMFイヴァン・ラキティッチである。

クロアチア人の両親の下、スイスで生まれたラキティッチ。2005年にバーゼルのユースからトップチームに昇格すると、翌2006-07シーズンには33試合の出場し11得点と決定的な成績を残した。

なお、このシーズンは中田も34試合に出場しており、両者は多くのゲームに揃って出場していたことになる。ラキティッチはスイスカップのタイトルを置き土産に、シャルケへとステップアップを果たした。