ホンダとザウバーが締結した2018年以降のパワーユニット供給に関する合意が白紙に戻される――。そんな報道が飛び交う直前だったオーストリアGP翌日の月曜日、ホンダのF1活動の陣頭指揮を執る山本雅史モータースポーツ(MS)部長はスイスのヒンビルにあるザウバーのファクトリーにいた。


F1ホンダを牽引する長谷川祐介総責任者(左)と山本雅史MS部長(右)

 ザウバーのオーナーである投資会社「ロングボウ・ファイナンス」のパスカル・ピッチ会長、そしてロングボウの実質的支配者であるテトラパック創業家のハンス・ラウジングらと会っていた。

 その場で提案されたのは、提携の解消ではなく、提携条件の見直しだったと山本MS部長は語る。

「オーストリアGPが終わった後の月曜日(7月10日)に、私がヒンビルに行ってザウバーと話をしてきましたが、実際のところ現時点では、解消するとかしないとかいう話にはなっていないんです」

 昨年10月以来、ホンダは当時のモニシャ・カルテンボーン代表との間で交渉を進め、パワーユニット供給とそれに関連するさまざまな条件を積み重ねてきた。そのなかにはザウバーが保有していないギアボックスの供給や、ホンダが推す日本人ドライバーの起用、ザウバーの施設を利用したF1以外の業務提携など、多岐にわたる項目が含まれていた。

 しかし、カルテンボーン代表が6月21日に突然解任され、元ルノーのフレデリック・バスールが後任に就くことが決まってから(正式発表は7月12日)、事態は急速に動き始めた。

「モニシャと私は去年から交渉を続けてきて、いろんな話を積み上げて、非常にいい方向に進んでいました。その積み上げてきたものに対して、ピッチ会長からの話は方向性が変わってきました。モニシャと積み重ねてきたものを変更する、しないという議論があって、『今日の話し合いはここまでにして、方向性はこういうことだね』というところで結論が出ないまま終わっています。ですから、現状はその方向性を話し合っている最中だというべきでしょう」(山本MS部長)

 バスールの地元フランスからの情報では、バスールはホンダとの提携解消を強硬に主張しているという。雇われチーム代表として目先の結果を急ぎたいバスールは、ホンダの性能に不安を示しているとも、強力なドライバーラインナップを求めているとも言われている。

「僕もそういう噂は聞きました。バスール本人と会って話したわけではないので実際のところはわかりませんが、モニシャと話してきたことの方向性が変わっているのは、彼が入ったせいなのかもしれませんね。ピッチ会長からは『正式に発表したので、今後はフレデリックと話してくれ』と言われています」(山本MS部長)

 ホンダとしては、これまでに積み上げてきた提携の前提条件が尊重されるのなら供給する。しかし尊重されないのなら、無理にお願いしてまで供給するつもりはないという。

「我々はザウバーとホンダがお互いにWin-Winの関係になるように話を積み重ねてきたわけで、その方向性が継続されるなら、ホンダとしてはやります。それは変わっていない。でも、月曜日に話したかぎりでは、その方向性が変わってきてしまったなというのは感じているし、もともとザウバーと提携したいと思った背景には、先々に日本人ドライバーを乗せたいとか、いくつかの要素を視野に入れてここまで話を積み上げてきたわけですから、その通りにやれないのなら意味がない。ホンダとしては方向性の変化は何もありません」(山本MS部長)

 ザウバーと山本MS部長の会談後の7月12日水曜日にも、ザウバーのエンジニア約10名が英国ミルトンキーンズのホンダの活動拠点を訪れて2018年型マシンの設計に関するやりとりを行なっており、ザウバーの本意がどこにあるのかは、まさにバスール本人にしかわからない。

 しかし、漏れ伝わってくる情報によれば、ザウバー側には譲歩の意思はなく、それに対してホンダ側も妥協するつもりはない。両社の提携解消は決定的で、早ければハンガリーGP前にも正式発表となる可能性が高いという。

 それが事実であれば残念なことだが、現状に対して両者の望む結論なのだとしたら、そうあるべきなのだろう。

 なお、ハンガリーGP後の8月1日〜2日に行なわれる公式テストでは、ホンダの若手育成プログラムの一員としてFIA F2選手権に参戦している松下信治(まつした・のぶはる)がザウバーのステアリングを握ることになっている。この契約はパワーユニット供給とは完全に独立した項目としてザウバーとの間に結ばれていたもので、両社の提携解消の有無にかかわらず履行されるという。

 松下にとってはFIA F2選手権でランキング3位以内に入ってスーパーライセンス取得要件を満たすと同時に、このテストで速さとフィードバック能力をきちんと示し、チームに提携解消を後悔させるくらいの走りを見せることが重要だろう。

 気になるのは、ザウバーとの提携が解消された場合にホンダがどうするのか、ということだ。マクラーレンとの提携解消も噂されているだけに、供給先がなくなってF1撤退を余儀なくされるのではないかという懸念も、依然として根強く囁かれている。

 しかし、山本MS部長はホンダのF1撤退はないと断言する。

「撤退はないですね。僕は八郷(隆弘)社長ともボードメンバー(取締役会)とも常に話していますが、ホンダとして基本的に撤退という文字はありません。私たちとマクラーレンの間には契約がありますから、マクラーレンとの話は継続を前提としていますし、マクラーレンも一時的に別のパワーユニットを使うといったこともできませんし、私たちともそんな話はしていません」

 さまざまな報道がなされる一方で、マクラーレンの首脳陣もここ数週間は「我々はホンダと関係を継続する」と明言し、ホンダに対する苦言を呈したり、他メーカーとの接触を匂わせたりすることはなくなってきた。イギリスGP決勝後にはマクラーレンとホンダの首脳陣による定期運営会議『ステアリングコミッティー』が開かれ、今後の計画について話し合われてもいる。

 日本人F1ドライバー輩出を目指して若手育成をしているホンダのHFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)に関しても、今後も変わらず活動を継続していく。

「F1であったりMotoGPであったりといった二輪四輪の頂点レースに日本人を走らせたい、という気持ちは今も強くあります。ヨーロッパでの育成プログラムにも変更はありません。若手ドライバーたちには、依然としてスーパーライセンスを取るということに対してがんばってもらいたいと思っています」(山本MS部長)

 加えて、ホンダとしてはザウバーとの提携解消の可能性を受けて、第2のカスタマー供給先の開拓も検討しているようだ。

 山本MS部長はこれを否定していない。

「ホンダとしてはF1をやめるなんていうことは考えていませんし、(社内から)なんとかしろって言われるのはわかっていますから、次の手、次の手と打っていきますよ。(来年と考えると)時期的にちょっと厳しいですけど、僕らにできることがあれば当然やっていきます」

 ウイリアムズは2020年までメルセデスAMGとのパワーユニット供給契約を結んでいるとはいえ、技術責任者であり経営陣にも加わったパディ・ロウがマクラーレン在籍時代にホンダとの契約内容を知っているだけに、財政的なバックアップも含めてホンダとの提携に興味を持っている。イタリアの酒造メーカー「マルティーニ・エ・ロッシ」のスポンサー料は実は高額ではないと言われ、主にランス・ストロール(カナダ)の持ち込み資金が頼りで、長期的視点で見れば財政基盤が強固とは言えないからだ。

 しかし、ホンダの供給先として急浮上しているのは、トロロッソだ。

 レッドブルは以前から、F1への投資をワークスチームであるレッドブル・レーシングに集中させて効率化を図りたい意向を持っており、トロロッソからは段階的に手を引きたがっていた。2015年後半には実際にホンダとの間でパワーユニット供給に関する話し合いを持ち、テクニカルディレクターのジェームズ・キーなど両社のエンジニアが集まって設計図を引くところまでいっていた経緯もある。

 その際にはマクラーレンのロン・デニス前CEOの反対に遭い実現しなかったが、ザウバーへの供給に向けてミルトンキーンズの前線基地のリソース拡大など準備を進めてきた今のホンダにとっては、ザウバーとの提携消滅となれば、トロロッソへの供給も十分に対応できる。レッドブルからの出資が縮小すれば、ホンダが望むドライバーを起用することも可能となる。

 すでに第2の供給先との話し合いはスタートしているようで、ザウバーとの提携解消が決まれば、話はトントン拍子に進む可能性も高い。いずれにしても2018年型マシンの設計を考えれば、時間的余裕はそれほど残されてはおらず、合意と発表は近いうちに行なわれることになりそうだという。

 F1界では何が起こっても不思議ではない。さまざまなプレーヤーたちの思惑が複雑に絡み合ったその瞬間の政治力学によって、事態は思わぬ急展開を迎えたりもする。そのなかで押し流されてきたのが今までのホンダだったが、これからは自らの意志で泳ぎ切ってみせる。今のホンダからはそんな強い決意が見え隠れしてきている。

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