フットボール批評issue13

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「記事を信じていいのかどうか、不安で死にそうです!助けて!」(都内在住・男性の声)

エアインタビュー問題でサッカー雑誌界隈が揺れ動く中、まず最初に申しあげたいのは、一番大切なことは「正しさ」であるという大前提です。実際にインタビューをしていても、出てきた原稿がウソっぱちならそれはよくない。実際はインタビューではない材料を形式として一問一答型に編集したとしても、それが本人確認の手順を踏んだ「正しい」ものであるならば、必ずしも不可ではない。形式や手法以上に、本当に重視すべき「正しさ」という価値を、まずは念頭に置きましょう。「そして『フ』で始まるメディアはクソだな!」と一度声に出してつぶやきましょう。せーの、「フモフモコラムはクソ!」。

さて、アリとアリのちっちゃな戦国時代みたいなものをかき回すべく、画期的解決策を持ってエアブロガーもやってまいりました。エアインタビュー断固許すまじ派のみなさんも、囲み取材のコメント混入許容派の方も、ドログバは絶対に「ヒュー!」って言ってるはずだよ原理主義者も全方位平等の解決策として、個別独占インタビューの原則的全面禁止を提案します。

ハッキリ言って、勝手に個別独占インタビューするのをやめていただきたい。

世界中にメッシの言葉があふれたとき、メッシ厨がどうなるか、メディアはわかっているのでしょうか。やれスペインでインタビュー記事が出たぞ、やれ日本の雑誌にコラムが載ったぞ、やれアルゼンチンで独占コメントだ、世界を股に掛けて情報は氾濫し、それを追いかけることになっていく。メディア側はそうした厨の衝動を知って「独占」「単独」「ここだけの」などと煽るのでしょうが、それがいくつもの言語でのまとまらない話と、とっちらかった情報群を生み出していく。面倒ですし、厄介です。下手に本人の写真が添えてあったりすると、あたかも真実であるかのようにさえ見える。

インタビュー記事は決して真実ではありません。

少なくとも、現行のインタビュー記事において、真実として信用に足ると認められるものはほとんどありません。

まず、その原稿を書いている人間の手と意志が加わっている時点で大いに問題があります。発言の中の「聞き手が重視した部分」を切り取り、加工し、言葉を整えたなら、それはもう話者の本意とは変わってしまっている可能性があります。ときには、思い込みや誤解、別のタイミングでの発言が混入することもあるでしょう。あくまでもソレは「本人の話を聞いてきた、私なりの解釈」です。ましてや翻訳を経る提携雑誌の配信記事ともなれば、ローカライズ時の間違い・誤解も混ざってきます。書いた側が一方的に発信する原稿など、到底「真実」ではありません。

その真実の精度を高めるには、本人によるチェック作業が欠かせません。「確かに、音声としてはそのような言葉を発したかもしれないが、本当にそれが自分の本意であるのかどうか」を自問自答させないと、真実には近づかないのです。自分自身の発言を振り返ってみてください。「愛している」と言ったあとで、「そうでもないな」と気づいたことが何度もあるでしょう。「パスタが食べたい」と言ったあとで、「やっぱ違ったな。カレーだな」と思ったことが何度もあるでしょう。「そのとき言った」ことが必ずしも「真実」とは限らない。時間を置いてチェックをし、内容を承認し、その旨を証明する。そこまでの手順を経て、ようやくそれなりに信頼に足る「真実」に近づくことができるのです。

エアインタビューを批判する側も、反論する側も、「本人と同席したという証明としての写真」を掲載することはありますが、「本人が発言内容の正しさをチェックしたという証明」を記事に添えることは基本的にありません。「本記事はリオネル・メッシの代理人を務める●●氏の確認を経て、発言内容の正しさを証明されたものです」などの添え書きはありませんよね。もしかして、自分たちの思い込みや勝手な解釈を載せてしまっているのではないですか?テープ起こしで聴き間違いをしてませんか?そうじゃないと証明できますか?食糧品だって生産者の顔と第三者による安全検査の結果を載せていたりするのに、サッカー雑誌界隈はサボりすぎじゃないですか?

いくつかのサッカー雑誌をめくった範囲で「本人が記事内容をチェックした」という証明を記事に添えているものは1本も見つけられませんでした。

すべて「エアチェック記事」もしくは「ノーチェック記事」の疑惑を抱かざるを得ないモノです。

たまたま時間をもらって同じ場所に居て、写真を撮らせてもらっただけのバカが勝手な解釈の放言をまき散らしたワケではない、と誰が胸を張って言えるのでしょうか。「悪魔の証明」を求めているなんてことではなく、校閲チェック後の署名を一筆もらえばいいだけのこと。本当に真実を提供するつもりがあるなら、当然そこまでやるべきでしょう。

まさか、取材後に書いたものをそのまま載せているなんてことはないと思いますが、僕はすごく不安なのです。そのインタビュー記事の発言を信じていいのか、わからないのです。他人様に「取材時の音声データを出せ」とカジュアルに言い放つくらいの人なら、僕の不安に「安心して。本人からのOKメールを保管しているから」と5分で出してくれるのでしょうか。僕の抱く「エアチェック記事やろ?」という疑念をスッキリと晴らしてくれるのでしょうか。

「チェックした事実はあるけど誌面に載せてないだけだ!」と言う説明は、「同席した事実はあるけど写真を撮ってないだけだ!」と同じことで消費者には確認できない話です。僕の不安を晴らすには、「本人もしくは代理人がチェックし、承認したチェックバックの存在」を公にするしかありません。「書いた本人が大丈夫って言っている」なんて説明は、まったくもって信用なんてできませんからね。面倒くさいかもしれませんが、僕からの信頼を回復するためには「チェックを受けた事実を証明する物的証拠」が必要なのです。僕の疑いはどんどん膨らんでいます。不安で頭痛がします。不安を解消して助けるか、慰謝料をください!

記者が、自分の名前で、自分なりの分析を書くことは止めはしません。

しかし、独占インタビュー記事などと称して「メッシその他の発言」を一次ソースとしてバラ撒くのはやめていただきたい。インタビュー記事が人気があり、需要があるのは、それが一次ソースとして評価されているからでしょう。しかし、実際には十分な品質管理をされていない、アヤしい製造物が氾濫しているのです。エアチェック記事だらけなのです。その実態を根源から正さない限り、エアインタビューであろうがジャーナリズムであろうが、大差はありません。

ジャーナリズムは「本人や広報のチェック」を嫌う傾向があります。本人のチェックを経ると、自分の言いたいことが曲げられる可能性があるからでしょう。それは自分自身が独自に書く記事で追及すればいいじゃないですか。一次ソースとして世間に受け止められるインタビュー記事で、勝手に「私なりの解釈」を入れてもらっては困るのです。その発言をもとに、当該人物への理解を深めたり、足跡をまとめたりするのですから、可能な限り正しさを担保されたものでなくては困る。聞き手が「こうだな」と思った真実と、話し手が「こうです」と思う真実の間の溝を、最後まで埋める努力をしてもらわなくては。

フライデーのようなゴシップ誌でも記事が出る前に本人に送ってくるそうじゃないですか。それと同じ作業を日常的にしっかりとやっているのなら、その証明を記事に添えるのに5分もかからないでしょう。常にそうしていれば、少なくとも記事が出た直後に「こんなこと言ってない」「ウソばかり書く」なんて話にはならないのです。

批判的な内容を書くために、本人に見せたくないという気持ちもわかります。しかし、本人から止められるようなインタビュー記事なら、それは一次ソースの取材として成立していませんし、批判としても的を射ない言いがかりのようなものだったのでしょう。ツーショット写真を貼って、「私はダライラマと仲良しです」と言い張るような、一方的な主張を世に出すのは止めましょう。実際に迷惑をこうむるのは「こう発言した」とされる側です。

このように疑い深い僕が、信じるに足ると考えるソースは極めて少ないです。

まず、第一には公式会見などの正式な対応の場でのライブ動画です。そこでは本人はもちろん代理人もしくは広報担当者が同席し、しっかりと熟慮の上で一次ソースとしての発言を行ないます。もしも重大な言い間違いがあれば、代理人もしくは広報担当者が割って入って、即座に訂正をすることも可能です。これを、編集の余地がない現場あるいはライブ動画で確認すれば、一次ソースとして限りなく信頼に足るものとなります。できれば、複数の配信元を比較検証できるよう、単独ではなく共同の会見がよいでしょう。テレビ番組の出演動画なども、前後の文脈が編集で変わっている可能性はありますが、ごく短い範囲においての言った・言わないは確認できますので、それなりに信頼を置けます。

第二に本人が公式アカウントでつづったブログやSNS投稿。こちらも広報スタッフが代筆しているケースはままありますが、本人名で出ている以上は「信用しても仕方ない」一次ソースです。そこでの発言内容にウソや間違いがあれば、コチラは「ダマされた!」と怒っていいシチュエーションですし、広報担当者の投稿だったりすれば他人にブログを書かせたりSNSを更新させたことへの誹りは免れないでしょう。遠藤保仁さんは、ちゃんと自分のブログをスタッフの名前で更新しています。さすがヤットさん、誠実ですね。ただ、コチラは軽い気持ちの投稿も多いので、あまり真に受けるのは禁物です。

そして、第三に本人名義で刊行される書籍等の出版物です。これはもちろん構成者としてライター・作家の手が加わるわけですが、最終的に本人名となる段階で、必ず本人もしくは代理人の確認が加わります。「知らんウチに俺の自伝が出ていた」という素っ頓狂な事態はまずありえない。仮にあったとしても、いざ発売となれば本人からの告知の有無などで、本人が制作に関わっているかどうかは容易に把握できます。たとえ「本人がまったく原稿を読んでいなかった」としても、本人名で出て、その対価を受け取っているのならば、「信用しても仕方ない」一次ソースです。ウソや間違いがあった場合は、信用した側ではなく、確認をサボった本人が悪いのです。

結局、誰かの手を経て雑誌などに載るものは、一次ソースとしてはアヤしいのです。その媒体を信じるかどうか、その書き手を信じるかどうか、作り手と消費者の薄い信頼関係にすがっているに過ぎない。僕は本人以外の誰も信用していません。本人のことを知るにあたって、本人以外の人間を信用するなど、そもそもオカシイでしょう。その意味で、最低限の品質保証として「本人チェック済」ということを証明すべきなのです。選手の自伝発売における「私の自伝です」というサイン会は、そういう証明に当たるものです。それが面倒だったりデキないのなら、囲み取材や周辺取材から話をまとめてほしい。複数のルートで発信される囲み取材の情報であれば「バカの放言」が混じっていても察知できる可能性が高いですし、周辺取材ならハナから話半分で聞きますから。

結局インタビュー記事でないと売れる記事にならないから、「真実を正しく書く能力」よりも「交渉能力」を磨いて、ただただ本人と親しくなることだけに特化した書き手が跋扈するのでしょう。そして「独占インタビュー」などと煽ってモノを売るのでしょう。その内容を確認したり、正しさを担保するコストを正しく支払わないままに。「実際に会って話を聞いた俺がウソじゃないと言ってるんだから、ウソじゃない」というアヤしい主張を、結局どの媒体も常にやっているのです。本人チェック証明は、記事に添えてないわけですからね。

余談ですが、最近読んだサッカー関連雑誌では、表紙に「リアルインタビュー」と見出しをつけて、イタリアの有名選手のインタビュー記事の存在を告知していました。「リアルインタビュー…?」と用語の意味がわからなかったのですが、どうやらそれは「本人に電話で取材をしてまとめた記事」という意味のようでした。電話口の長話の内容をまとめた記事について、その有名選手が内容をチェックしたことを証明する証拠は、もちろん記事には添えてありませんでしたが。

それはまぁいいです。しかし、驚いたのは「リアルインタビュー」の下に3項目つづけて書かれたウチの2つめのインタビュー記事、こちらはアルゼンチンの有名サッカー選手のインタビュー記事なのですが、実際のページを見るとシレッと「ロングインタビュー」という見出しに変わっており、よくよく読むと提携している海外の雑誌の翻訳記事だと言うじゃありませんか。じゃ、「既出の海外記事の翻訳」じゃないですか。何で表紙で「俺のとこでやりました」みたいなアッピールをしているんですか。ちゃんと「●●誌の何月号より転載」と表紙に書かないと。すでに読んでいる人が間違って買っちゃったらどうするんですか。詐欺的行為じゃないですか。こうした翻訳転載記事をインタビューとして掲載することを「読者を欺く行為」であると感じていないことは大きな問題です。だから、それをエアインタビューと言うんです。

一次ソースの発信は慎重に限定されるべきです。

それが本人のためでもあり、消費者のためでもある。商品告知やスポンサー接待で、特別に出張る場面はあるとしても、いろんな国の雑誌やウェブサイトでバラバラと独占インタビューなどさせるべきではない。むしろ僕ら消費者も、「うわぁ…大した媒体でもないのにメッシの貴重な1時間を奪っている」と憤るべきなのかもしれません。私見では、「告知等の特別な事情なく、ただただサッカーの話を聞く」という理由でメッシの1時間を奪うに値する媒体は、日本国内にひとつもありません。エアだろうが、リアルだろうが、やめていただきたい。それがメッシと世界のサッカーのためです。メッシの言葉は『マルカ』にでも任せておけばいいのです。

メッシのほうが「俺のインタビューを載せてくれ」と願い、消費者が「なるほど、その主旨ならばメッシが1時間練習したり、1時間社会貢献活動をするよりも有意義だ」と納得するような事情がない限りは個別独占インタビューは禁止でいいです。どれも大して違う話になんかならないのですから、当地の公式会見か地元の最大紙の記事でも訳して載せておきましょう。海外情報を伝えることの意義や需要はわかりますが、メッシに独占的に出張ってもらわないと売れない程度の雑誌なら、そもそもの商品価値が大してないということです。ていうか、メッシじゃなくて、もっとヒマな選手からでも記事のネタくらいは拾えるでしょう。日本のサッカー界はメッシの段階には達していないのですから。

人間に与えられた時間は有限です。

スターも凡人も一日24時間しかないのです。

個別になんかやってられません。

エアだろうが、エアでなかろうが、メッシと同じ位置に到達していない取材者がメッシの1時間を独占的に奪うことに、僕は反対します。個別独占インタビューという、消費者が別ルートで記事の正しさを確認できない密室取材での一次ソースの取得に反対します。そして、そうしたアヤしい取材形式で作られた記事に、「本人チェック済」の証明を添えない業界慣行に反対します。

聞きたいことがあるならば、みんなが聞いている公の場で。

そうすれば、そこに「エア」などという疑念は生じません。

↓聞きたいことはメッシが公式会見をするときに、心を込めてその場で聞きましょう!


公式会見に出席できるかどうかという国内セレクション!

その場で質問できるかどうかという世界記者界での戦い!

両方に勝てない程度の聞き手には、メッシに質問する資格などない!



メッシの聞き手になれる日本人を挙げるなら村上春樹さんとかですかね!