バケモノの子』は宮崎駿への復讐だ!


ジブリを追われた男、細田守
宮崎駿監督が前作『千と千尋の神隠し』で引退を宣言していたため、当時は東映アニメーションに在籍していた細田守さんが出向して『ハウルの動く城』の監督に抜擢。2001年12月、東宝から正式に「細田守監督作品」として発表されました。
ところが、わずか3ヶ月後に企画は突然ストップ。細田監督をはじめスタッフも解散され、すでに部分的に完成していたコンテや脚本もご破算になり、宮崎駿監督のもとでゼロから仕切り直し。
「宮崎駿の後継者」の一人に数えられる細田守監督ですが、他の候補者と一線を隠しているのは「ジブリという影」を背負っていること。「千と千尋」に大忙しのジブリから人を回してもらえず、一人ひとり説き伏せて集めたスタッフ。その仲間たちをドカーンと吹き飛ばされた心の闇は、直後に制作された劇場版ワンピース『オマツリ男爵と秘密の島』をドス黒く染め上げていました。
『バケモノの子』はその虚ろな胸の闇を埋めた映画……といえば本編のドラマとシンクロしてて美しいんですが、現実は非情である。さらなる闇が育まれているのではないか。


「宮崎駿の後継者」というか「ジブリみたいなアニメを作りたい!」と思っていた監督は山ほどいました。あえて名前は出しませんが、「ジブリみたいなアニメ」って劣化版ジブリにしかならないんですよね。宮崎駿ってこの世に一人しかいないから。
そんな砕け散っていった志願者をしり目に、細田監督は宮崎駿=ジブリアニメの「市場」を取りに行き、実際に成功しつつあるオンリーワン。あんたの心はいらない、「市場」だけの関係でいい……と割り切ったドライな人なんです。
クリエイターの実力は「作ったもの」がすべて。さらに言えば興行収入が先にあり、評価もその後についてくる。ジブリアニメの「売上」をごっそりと継承しながら、「精神」を全否定する。『バケモノの子』は、そんな作品の形をした「宮崎駿への復讐」じゃないでしょうか。

なんでも説明する山崎貴監督に続け!


9歳にして母親を失い、天涯孤独の身になった少年の蓮(九太)。不快な親戚の元を飛び出して渋谷の街を彷徨ううちにバケモノの熊徹と出会い、異世界の渋天街に行ってバケモノの弟子となる。種族を超えた「親子」の交流が描かれる……。
というのは画面を見れば分かることで、熊徹の親友・多々良や坊主の百秋坊にいちいち言葉にして語らせるなくてもいいよ。細田監督は観客の理解力を信じてないの?
解説が過剰すぎて、しまいには「副音声映画」とまで批判されたこともありました。が、「興行収入が右肩下がりの宮崎駿監督アニメ」という補助線を当てれば、そういう道を選ぶのが合理的なのは明らか。
宮崎アニメのピークは『千と千尋の神隠し』(304億円)、以降は『ハウルの動く城』(196億円)、『崖の上のポニョ』(155億円)と下がるばかり。売上減は、ハウルは何を考えてるんだ、水没した老人ホームって死後の世界なの……と、宮崎監督がお客の理解を置いてけぼりにした程度に比例しています。そのカリスマ性をもってしても「分からないの壁」は超えられなかった。
最近の日本では、売れる映画=なんでもかんでも説明してくれるもの。映画ドラえもんの中でも、歴代最高収入は『STAND BY ME ドラえもん』なんですよ。はい、ここが泣くところ! 商業的には宮崎さんより、山崎貴監督のあとに続くのが賢いわけです。
まぁ前作『おおかみこどもの雨と雪』までコンビを組んでた脚本家の奥寺佐渡子さんとのコンビが解消されて、細田監督ひとりで書いているため、「シナリオ作りに慣れてないだけ」の可能性もちょっぴりありますが。

子育ての経験が浅いのに「親子」をテーマにするスゴさ


サマーウォーズ』『おおかみこども』に続き、細田アニメのテーマは三タテで家族・親子の絆。こうした「家族愛」は国境を超えた普遍的な感情で、ハリウッド映画でも軸の一つにされやすい。
細田監督はそうメジャー志向を語っておられたこともありますが、「家族に感情移入できない宮崎アニメのカウンター」もあるんじゃないか。
はじめて親子関係に向き合おうとした宮崎アニメが『崖の上のポニョ』。主人公の宗介が母親を名前で呼んでいて、母親も子供を載せてる車でドリフト運転など危険な行い。なんてダメな親だ!と物議を醸したものの、宮崎監督は作曲の久石譲さんに「ダメな親である」とメモを渡していたとか。あえて感情移入できないようするガチっぷり!
そもそも宗介のモデルは、息子の吾郎氏。なのに『ゲド戦記』で親の反対を押し切って監督を引き受けた吾郎氏に対して「きっと吾郎が5歳のとき、自分が仕事にかまけていたのがいけなかったんだ。吾郎のような子を作らないためにこの作品を書こう」と挑発。よけい感情移入できない!
なまじ現実の親子関係が長いためにそちらに引っ張られた宮崎監督に対して、細田監督が結婚したのはわずか10年前。『サマーウォーズ』の頃は新婚ホヤホヤですよ。まだ「大家族」を描けるほど理解が深まってるとは思えないときに、それをテーマにしたわけです。
かなりの強心臓とも言えるけど、「家族という現実」が重みも引力もなかった頃だから、ビジネスライクに扱えたのでしょう。そして『おおかみこども』のときも、まだ子供を育て上げた経験なかったですよね……。
それでも、『バケモノの子』の前半、「子供が親の背中を見て育ち、親も子供に育てられる」パートは迫真の面白さがある。それは「子育て」の皮を被った細田さんの実体験、東映アニメーションでの「勝手に先輩のワザを盗む」実感に裏打ちされているから。子育て歴が浅い有利さと「社会人あるある」を巧みに混ぜ合わせる手つき、ビジネスマンとして優秀!

「お客にカネを払ってもらう」シーンを最優先


うんうんと頷ける前半の子育て(親育て)と比べて、人間界に戻って出会いあり恋愛あり大学検定あり父との再会ありバトルあり……詰め込みすぎでとっ散らかってる!と評判もさんざんの後半パート。
が、アニメは「商品」なのです。ドラマの破綻とか些細なことで、お客様に満足をお持ち帰りして頂くのが最優先。1年後に改めて再見すると、「ジブリ市場を奪いに行った男」の「お客のおもてなし」にかける悲壮なほどの使命感がグイグイ迫ってきます。
序盤で蓮と熊徹が口げんかでやり合っているときに、唐突に出てくる「胸の中の剣」というセリフ。うわー、クライマックスの伏線をここから用意していて必死だ!  あとあとの展開を考えず、アニメ作りの衝動に突き動かされて「連載マンガ」のように絵コンテを切る宮崎駿監督とは正反対の作りです。
前半はバケモノだらけでおっさんだらけ。バランスを取るためにヒロインも出さなきゃ。出会いの場は、蓮が小学校低学年で人間界を離れていたから、知識を得られる図書館に設定するのが理にかなっている。あ、大学に進学させると学費がかかるな……父親と暮らせば解決だ! あの父親、ドラマが薄すぎるために「財布代わり」の役割しかない。
蓮と同じくバケモノに育てられた人間の子・一郎彦が心の中に闇を宿していた下りも、熊徹より人格者の猪王山に育てられてるので全く理解できませんが、「もう一人の自分との対決」は映画のカタルシスには欠かせないからアリ。なんで蓮より幼いときバケモノの世界に行った一朗太が「鯨」という漢字を読めたの? お客さんが見たい「渋谷でクジラの怪物を大暴れさせる」シーンのため!
キャラクターの内面よりも、「お客がカネを払いたいシーン」が優先される。それは「ハウル」で荒れ地の魔女が階段を登るシーンや、『風立ちぬ』で崩れる屋根瓦まで一枚ずつ手描きした関東大震災シーンなど、お客さんの快感よりも「オレが描きたい」に重きを置いた宮崎アニメとは真逆のスタンスです。
すでに「宮崎駿の後継者」は卒業して「ジブリ市場」の国盗りを着々と進め、山崎貴さんに次ぐ「もうかる映画監督」の覇道を歩みつつある細田監督。が、胸の中には一郎彦のように闇が育っているのかもしれませんね。
(多根清史)

参考/細田守「バケモノの子」コミック版の読みどころ