イースタン航空980便は1985年1月1月に消息を絶ち、翌日南米・ボリビアのイリマニ山の氷河に残骸が散らばっているのが発見されました。乗員・乗客合わせて29人が死亡するという事故で、現場に到着した救援隊は一部の遺体やフライトデータレコーダー・コックピットボイスレコーダーが回収できなかったため、氷河融解によって見つかるのではないか?と指摘されていたところ、2016年6月4日、31年ぶりにフライトデータレコーダーとコックピットボイスレコーダーと見られる破片が発見されました。

31 years later, we found the flight recorders - Operation Thonapa

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フライトデータレコーダーを発見したのはDan Futrellさん。現在は教育委員会で仕事をしているFutrellさんは「冒険をする」という人生のマニフェストを掲げており、イースタン航空980便の失われたレコーダー探索はその冒険の1つとして行われたようです。

探索の初日にFutrellさんは破片が多く散らばるMina Mesa Khalaという場所の近くで2つの金属片を発見。金属片は両方とも、片面はフライトレコーダーに共通してみられるオレンジ色のカラーで塗られており、もう片面はある時期のボーイング社製の機体で見られる緑色のカラーとなっていっていました。



発見された金属片には変形がありましたが、事故にあったボーイング727機は当時、時速500マイル(約800km)でイリマニ山の標高1万9600フィート(約5970m)付近に衝突し、4000フィート(約1200m)ほど落下したと考えられているので、大きな衝撃による変形は当然のものと見られます。

金属片を発見した時にFutrellさんらは「フライトレコーダーの破片ではないか?」と思ったそうですが、金属片は一部しか発見されていなかったため、この時点ではまだ確信が持てなかったとのこと。そして翌日も調査を続行したところ、今度は最初に見つかった2つの金属片と合致する、オレンジと緑で塗られた3つの金属片を発見。新たに発見された金属片も損傷が激しく、非常に強い衝撃が加わったものと見られました。



3日目にはさらに探索の範囲が広げられたところ、Futrellさんらは午後に機体の翼の内部フレームの一部が地面に埋まっているのを発見し、数時間をかけて掘り出しました。



そして4日目、再び探索を行うと、新たな金属片を発見。



金属片は3日間で見つかった他の5つの金属片と同じくオレンジとオレンジに塗られていましたが、他の5つとは異なりケーブルがついており、表面にはコックピット・ボイスレコーダーを示す「CKPT VO RCDR」の文字が書かれていました。Futrellさんらはついに31年間失われたままだったコックピットボイスレコーダーを発見したわけです。



なお、Futrellさんは乗客の持ち物だったと見られる磁気テープも発見しており、今後、専門家に依頼してデータを取り出せるか調べてみる予定だと語っています。



これが探索で見つかった計6つの金属片と磁気テープ。ぱっと見た感じ金属片は5つに見えますが、右上の2つは重なった状態で置いてあるようです。CKPT VO RCDRと書かれた金属片以外の5つの破片については、「フライトデータレコーダーの一部だ」とFutrellさんらは見ているとのことです。