中国メディアの「澎湃」はこのほど「東アジア発見:中国はChinaにあらず、日本はJapan」にあらずと題する文章を発表した。文章は、例えば明代(1368−1644年)に、中国人が「私は中国人だ」と言うことはありえず、「大明国人」と称したはずと指摘。清朝以前には「中国」は国名ではなく、多くの場合、中原地帯を指すだけだったと説明した。同様に、朝鮮/韓国人も「私は高麗人です」などと称したはずと指摘。(イメージ写真提供:123RF)

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 中国メディアの「澎湃」はこのほど「東アジア発見:中国はChinaにあらず、日本はJapan」にあらずと題する文章を発表した。

 文章は、例えば明代(1368-1644年)に、中国人が「私は中国人だ」と言うことはありえず、「大明国人」と称したはずと指摘。清朝以前には「中国」は国名ではなく、多くの場合、中原地帯を指すだけだったと説明した。

 同様に、朝鮮/韓国人も「私は高麗人です」などと称したはずと指摘。

 「朝鮮」については、明朝皇帝が「朝鮮」という国号を選んで使用を認めたと解説。「韓国」ついては、古代朝鮮半島の南部にあった部族名で、日清戦争の結果として朝鮮が中国との冊封関係から離脱したので一時的に「大韓帝国」と名乗ったことが、現在に続いていると解説した。

 日本については「倭」、「和」などの名を使っていたが、7世紀ごろに「日本」を採用。朝鮮とは違い「自らの命名」だが「中国の東にある国」の考えが込められており、背景には大陸との交流があったと主張した。

 中国については、「秦」の音が西方に伝わり「China」などになったと紹介。日本人が一時期使っていた「支那」も同系統で、当初は中国を侮蔑する語ではなかったと紹介した。

 文章は、「中国」とは歴史的に変化発展してきた概念であり、時により民族すら異なっていると指摘。よく使われる「中国の悠久の歴史」との言い方も、「その主体」は常に異なっていたと論じた。

 さらに中国、日本、韓国といった東アジア諸国には近代以前、現在と同様な国家概念はなかったと指摘。あたかも最初から「均質な国民」が存在したように仮定するのは「西洋の論理」と主張した。

 西洋の国家概念は民族主義や植民地獲得競争にたどり着くとして、国家主義の限界は「21世紀になり、ますます突出してきた」と主張。現在を生きる中国人は、「Chinaを超越し、それ以降の経験を集積して、『中国』ということばを普遍的に理解できるものにしていくこと」を課題としていると論じた。

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◆解説◆
 中国では清朝末期から、多くの「憂国の士」が「中国」という概念を懸命に“創造”した。日清戦争の敗北もあり、「皇帝の私物である清国」では国が亡びるとの危機感からだった。

 日本は、近代国家の形成に有利なさまざまな条件に恵まれ、「国家概念」は比較的早く定着した。

 中国では「国家概念」の定着が「不全」である状態が続いた。チベット、ウイグル、モンゴルなど、自らを「清朝に庇護されているが、中国とは別」と考える民族を「中国の一員」としたことで、矛盾はさらに大きくなった。

 現在の共産党政権が「愛国心」などを強調している背景には、「国家概念」を強調しつづけないと国が瓦解しかねない事情もある。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)