日米和親条約と修好通商条約は、幕末の日本が国際社会に踏み出した重要な一歩です。これらの条約は、不平等と呼ばれることが多いですが、当時の国際基準で見ると、必ずしも極端に不利なものではなかったことがわかります。1854年、ペリーの再来航を受けて幕府は日米和親条約を結びました。これにより日本側は下田と箱館の開港・薪水の給与・そして領事の駐在を認めています。この条約には片務的最恵国待遇が盛り込まれていました。