あのスティーブ・ジョブズのボスだった男が記す「次のジョブズの見つけ方」がずらり

写真拡大

スティーブ・ジョブズ(のような異能の才能)を雇いたいですか?

おそらく、その答えでこの本の価値が決まります。

既存のルールの破壊者。すばらしく創造的で、革新的な製品を生み出す一方で、無礼でわがままで厚顔無恥。天才で人格破綻者。ジョブズを扱った伝記やインタビューを読むと、至る所にこうした二面性が顔を出します。しかし、途方もない価値を生み出したことは事実でしょう。

でもって、再び質問です。ジョブズを社員に加えたいですか?

いやほら、「和をもって貴しとなす」日本社会ですから、すぐに「イエス」と言えないかもしれませんね。そこで視点を変えて「ジョブズのような人材が自分から応募してくるような企業とは、どんな会社だろう」と考えてみましょう。本書はその答えです。

著者はノーラン・ブッシュネル。パドルでボールを打ち合うピンポンゲーム「ポン」を作り出し、テレビゲーム産業を創出した伝説の企業、アタリの創設者です。若き日のジョブズはアタリにみせられ、「面接をしてくれるまで帰らない」と座り込み、40番目の社員になった・・・そんな逸話も残っているほどです。

本書「ぼくがジョブズに教えたこと──「才能」が集まる会社をつくる51条」には、そんな「次のジョブズ」を作り出すためのルール、ではなくて「ポン」(指針)が51個も紹介されています。ブッシュネル自身もアタリをはじめ、20社以上もの創業にかかわったベンチャー起業家の先駆け。ここで記されている事柄も、すべて本人の経験にもとづく、ユニークなものばかりです。

そもそも、この手の書籍は最初と最後に一番言いたいことがにじみ出ているもの。第1条からして、「職場を『広告』にせよ」です。「会社自体を広告ととらえ、適切に構築すれば、顧客としても従業員としても、クリエイティブな人々が集まるエコシステムを維持できる」と、ブッシュネルは指摘します。

なにより痛烈なのは「アタリ社がスティーブ・ジョブズを見つけたわけではない。我々は、彼が我々を見つけやすくしただけだ」という一説でしょう。そうなんです。当時のアタリはジョブズに是非とも働きたいと思わせるだけの魅力を持った、サイエンスとアートが融合する(おもしろいゲームには必須の要件です)、夢の玉手箱のような会社でした。みんなでジャグジーにつかりながらゲームの企画会議をするなど、その手の逸話には事欠きません。

一方で最終項は「仮眠をとらせよ」というもの。ブッシュネル氏は「スティーブ・ジョブズは職場にふとんをもち込んでいたし、彼が実際に作業台の下で寝ているところを何度も見かけた」と記しています。昼夜逆転するような生活が生産的か否かはさておき、昼食後に15分ほどの仮眠が頭をリフレッシュさせることに、気がついている人も多いでしょう。もっとも「終わりに」にあるアドバイスの方が、より重要かもしれません。読んだ人のお楽しみということで、ここでは触れずにおきましょう。

また、本書はジョブズとブッシュネルの知られざるエピソードも端々に散りばめられています。ジョブズ公式の伝記とされる「スティーブ・ジョブズ」にも、「ノーランはジョブズのメンターだったと言えます」という一説があるほど。ジョブズがアタリを離れた後も、立ち場を越えて、プライベートな時間を共有する仲だったようです。

実際、この二人にはさまざまな共通項があります。ジョブズはビジョナリーでマーケティングの天才でしたが、実際にアップルIIを作ったのは友人のスティーブ・ウォズニアックでした。マッキントッシュの最大の特徴である、グラフィカルユーザーインターフェースやマウスはゼロックスのパロアルト研究所で見たデモからの引用でした。会社の上場益で、若くして億万長者となりましたが、やがて経営陣と対立し、自分が創業した会社を、1985年に辞めざるを得なくなります。

一方でブッシュネルはラルフ・ベアが発明したテレビゲーム機(家庭用テレビに接続して遊ぶ機械という意味では、これが第一号です)、オデッセイの「テーブルテニス」を遊び、これにヒントを得て「ポン」を作ります。しかし、実際に開発したのは友人のアル・アルコーンで、ゲームとしての奥深さはすべて、アルコーンの発明でした。ワーナー・ブラザーズに会社を売却し、若くして億万長者となりましたが、やがて経営陣と対立し、1978年にアタリを退職した点でも同じです。

ジョブズにもブッシュネルにも、社会的名声を独り占めしたという批判があります(そうした声に応えるためか、本書には数カ所「アルコーンが『ポン』を発明した」という記述があります)。似たような境遇の二人だけに、気が合うところが多かったのではないでしょうか。ゲームもコンピュータも、結局は人が作り出すもの。二つの業界をつなぐ意外な絆としても読み解けるでしょう。

そして最後に、本書を読むとある日本のゲーム企業のイメージが漂ってきます。むしろ同じ業界だけに、こちらの方が濃密かもしれません。それがナムコ(現:バンダイナムコゲームス)です。それも「パックマン」や「ゼビウス」を作り出した、80年代の黄金時代のイメージです。

もともとナムコは、遊園地の屋上に設置された木馬の開発などからスタートし、1970年代にエレメカの開発で一斉を風靡しました。一方で1974年に日本法人として設立されたアタリジャパンを買収します。アメリカ製ゲームのメンテナンスを通して技術を蓄積したナムコは、やがて自社ゲームを開発。「ジービー」や「ギャラクシアン」といったゲームへとつながりました。両社の関係は1990年まで続きます。

当時のナムコとアタリの関係は、さまざまなゲームクリエイターが触れています。「パックマン」の生みの親として有名な岩谷徹氏(東京工芸大学教授)は、「アタリに追いつけ、追い越せが合い言葉だった」と言います。また「ゼビウス」の遠藤雅伸氏は、アタリのエグゼクティブに指摘されて、ゲームデザイナーという役職があることに気づいたとか。他にもさまざまな形で、ナムコはアタリの価値観を吸収していったのではないでしょうか。

本書で言えば第3条「クリエイティブな求人広告を打て」は、まさにそれでしょう。アタリは退屈な求人広告が並ぶなかで、いち早く「ゲームを楽しんでお金を設けよう」というキャッチフレーズを掲げました。一方でナムコといえば「遊びをクリエイトするナムコ」が有名でしょうか。他にも「机から引きはがせ」「経理部は経理部、我々は我々」など(これは80年代のゲーム業界に共通したマインドだと思いますが)、古き良きゲーム会社を彷彿とさせる項目が並びます。

つまり本書は「ブッシュネルがジョブズに教えたこと」であると同時に、「ナムコ(そして日本のゲーム業界)がアタリから学んだこと」としても読み解けそうです。そして、当時のゲーム業界にはキラ星のような「スティーブ・ジョブズたち」がいて、誰もが夢中になる楽しいゲームを作っていた・・・なんて言えるのかもしれません。同じような人材は「プロジェクトX」にも、数多く登場していましたっけ。

実際、本書の裏テーマは「スティーブ・ジョブズは特別な存在ではない」です。それよりも必要なのは、メンバー1人ひとりが、それぞれの役割においてクリエイティブであること。そして「才能」が集まりやすく、真価を発揮しやすい環境があること。ひらたくいえば「クリエイティブな才能は、クリエイティブな環境に集まる」ということです。逆にクリエイティブな才能を腐らせるのも、ほんと簡単。鳴り物入りで転職してきた人物が、大した成果を上げることなく埋もれてしまう、なんてのはその好例でしょう。

本書の冒頭でジョブズはこう言います。「みんな、発想を僕に頼ってばかりなんですよ。それじゃ強い会社になれないっていうのに」。その後、二人は「未来の鍵を握るのはイノベーションであり、そのイノベーションはトップのひとりではなく、アップルの社員全体から生まれなければならない」という点で一致します。その時、ブッシュネルは気がつきます。彼は次の「スティーブ・ジョブズ」を見つけなければならないのだと・・・。

というわけで、改めて振り出しに戻ります。ジョブズのような才能を発掘して、雇いたいでしょうか。そのために自分たちが変わる用意があるでしょうか。ぜひ本書を読んで「イエス」といって欲しい。願わくば「こんなの、全部実現してます」という企業が、一社でもあって欲しいところです。
(小野憲史)