ベストセラー『私のウチには、なんにもない。』シリーズ。著者のゆるりまいは汚部屋の住人から“捨て魔”に転身。やがて片付け下手の家族にも変化が訪れる。今月28日には『私のウチには、なんにもない。3』が発売される。

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財布が消失した。

最後に財布を見たのは、4月末に刊行される給食系男子の『レッツ!粉もの部』の色校を編集部に送るべく、バイク便を呼んだとき。その2時間後には打ち合わせで西新宿に移動。待ち合わせ場所の喫茶店についたときはもう、なかった。

事務所のどこかに置き忘れたんだろうとタカをくくっていた。
でも、見つからない。
部屋が散らかっているせいだろうと、せっせと片付けに励んだけど、一向に出てこない。20袋近くものゴミを捨てたのに、物はまだたくさんある。財布はない。
なんでだよ!

部屋のあちこちから片付け本が次々と出てくる。

『モノが少ないと快適に働ける』
『マンガでわかる!片付け+収納術』
『片付けの解剖図鑑』
『トヨタの片付け』
『部屋を活かせば人生が変わる』

おい!

片付けは苦手だけど、片付け本は大好きなのである。
自分はたいてい、最初の「捨てる」でつまづく。
でも、著者の方々が紆余曲折を経ながら、片付け道を極めていく姿は最高にホット。
もはや、エンターテインメントの一ジャンルと呼んでもいいだろう。
なんてドヤ顔で楽しんできた過去の自分を蹴り飛ばしたい。バカバカ。
だから、財布がなくなるんだよ!

片付けられる人と片付けられない人って結局、何が違うのか。
片付けられない人が片付けられるようになんてなるの……?

《私は、たくさんの物であふれ返っていた家で育ちました。ひいひいおばあちゃんの物から現代までの、たくさんの荷物がありました。物が多いので、当然片付かない。片付かないから、掃除が億劫。私が友達を家に呼んだことは、ほとんどありませんでした》(ゆるりまい『わたしのウチには、なんにもない。』)

人気のブログを書籍化した『わたしのウチにはなんにもない』シリーズ。著者は自他ともに認める“捨て魔”で、ものがないガラーンとした部屋に住んでいる。リビングに置いてあるのは机や椅子ぐらいだし、食器戸棚もガラガラ。こんな家ならすぐに財布も見つかるだろう(そもそも、なくさない)。

汚屋敷生活がトラウマとなり、「捨てたい病」を発症したという著者。東日本大震災を経験したことも、捨てたい病を加速させたと語る。現在は夫と実母、祖母という大人4人と猫3匹暮らし。著者以外は全員、片付けが苦手だ。

不要品を捨てるよう促された祖母は意固地になり、母親は「あんたはそう何でも捨てろ捨てろっていうけどそうはいかないものだってあるの!!」と著者に怒りをぶつける。捨てる、捨てないでいつも喧嘩ばかりだったという。

家族が変わってきたのは、新居に引っ越してしばらく経ってからのこと。著者はこう分析する。

《“なんにもない”暮らしに対しての拒否反応がなくなってきたのだ。それはなぜかというと……「少ないモノで暮すことへの不安がなくなったから」ではないかと思う》(ゆるりまい『わたしのウチには、なんにもない。2』)

バスタオルがなくても、フェイスタオルがあれば事足りる。1枚で心もとなければ、2枚でふけばいい。“あって当たり前”の日常も手放してしまえば、それはそれで“なんとかなる”に変わる。

《今では、家族もなんにもない状態が当たり前になって、自然と「使ったらしまう」が身についてきました。(中略)物が少ないとしまう場所が明確で、片付け=面倒くさいというイメージが払拭されたことが成功の鍵だったのだと思います》(ゆるりまい『なんにもない部屋の暮らしかた』)
それだ!

「片付けられる人」はものがない空間の快適さを知っている。
「片付けられない人」は「ものがないと快適らしい」という知識はあるけど、実感してない。
したくでもできない。だって、ものがあふれているから。ちょっとやそっと片付けたぐらいじゃ、びくともしない。その違いがとてつもなくデカい。そこさえ乗り越えてしまえば、こっちのものだ(たぶん)。

『なんにもない部屋の暮らしかた』ではリビング、キッチン、クローゼット、洗面所、仕事部屋と部屋ごとの「なんにもない」の実現方法が紹介されている。汚部屋時代と、ガラーンな現在とのファッションの変遷も興味深い(結婚式で「新婦の第一印象は?」と聞かれた著者の夫は「マタギ」と答えたらしい)。

今月28日には『わたしのウチには、なんにもない。3』が発売される。
(島影真奈美)