『スペードの3』朝井リョウ/講談社

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映画化もされたデビュー作『桐島、部活やめるってよ』のヒットで現役大学生作家として注目を浴び、『何者』で戦後では男性最年少(23歳)の直木賞受賞も果たした、朝井リョウ。
最新作『スペードの3』は、これまでのように作者と同世代の若者ではなく、ある程度年齢を重ねた社会人が主人公となる、3つの章で構成された連作長篇だ。
本人が現在会社員ということもあり、会社小説なのだろうと思いきや、どうも様子が違う。
公演終了後の劇場前から物語の始まる、「劇場型小説」なのだ。

そこでは〈ある有名な大劇団の夢組〉に所属していた女優・香北(こうほく)つかさの私設ファンクラブ、「ファミリア」の面々が出待ちをしていた。彼女たちを統率するのが、幹部組織「家」のメンバーにして、第1章の主人公となる美知代の役割である。

美知代には、小学生の時から学級委員として、リーダーとなり人を動かす素質があった。授業中も真面目だし、ピアノも弾ける。乱暴な男子に立ち向かう勇気もある。
仲間はずれの子を、グループに入れてあげる心の広さも持っている。
だから、ファミリアでトップに君臨するのも当然、なはずだったのだけど……。
やがて、彼女の過去を知る人間が現れて、こう言い放つ。

〈美知代ちゃんは、この世界で、また学級委員になったつもりでいるの?〉

ファミリアでの美知代は理想の自分を演じているに過ぎず、普段の生活では誰も動かすことができない。
憧れだった有名化粧メーカーの就職試験に落ちて、それでもあきらめきれずに関連会社に入社し、本社営業部の指示に従って商品を発送している。
〈どれだけ待ってても、革命なんて起きない〉のに、現実に適応して従順な女性を演じながら、無為な毎日を送っていた。

これと似たような状況は、『桐島、部活やめるってよ』でも見られる。
バレーボール部のキャプテン・桐島の退部をきっかけに浮かび上がる、周囲の高校生たちの実像を描いた群像劇。中でも、ルックスや運動神経に応じて教室内で序列の出来上がる「スクールカースト」の要素に注目が集まり、語られることも多かった。
でも、作者はそれを肯定しているわけでも、都合のいい逆転劇を描いたわけでもない。
イケてない学生が趣味に没頭して案外幸せそうだったり、イケてる学生の方が自分の中身のなさに悩んでいたり。人には裏表があるという、当たり前のようでいて当事者は気づきにくい事実が、救いとなっていた。
その延長線上にあるのが、『スペードの3』の世界だ。

ここでも、登場人物に裏表はあるし、時々のぞく本音は生々しい。
たとえば、「演技をする自分」の裏にある、「ありのままの自分」の欲深さ。
学級委員だった頃から美知代は、自己顕示欲の塊でもあった。
親切な行動や発言も、すべては周囲に注目されたいがため。仲間はずれにされている子を内心では、〈やっぱりブスだな〉と思っていたりもする。

抑えきれない欲望が、心の中で暴れだす人間もいる。
〈自分のため、自分のため、自分のため。ついに裏返った心が、思い切り呼吸をして、どんどん大きくなっていく。ぐう、と、お腹が鳴った。早くしないと、しょうが焼きが冷めてしまう〉

もちろん、人にブスと言ったり、本音を口にしても嫌われるのはわかっている。
だから自分を表に出さず、社会からはみ出さないためのキャラクターを設定して演じる。
ただ、大スターでもない限り、優等生キャラとか一つの役で世の中を渡り歩くことは難しい。
筋書き通りに、事が運ぶとも限らない。
そもそも、そんな自分を誰が必要としているのか?
そう思いつつも、演技をしながら日々をやり過ごす。

学校はもちろん社会人になっても続く、このうんざりするような無限ループの中でもがく女性たちの姿が、3つの章を通じて描かれる。
何かを常に演じている主人公の視点を通して話が進むので、どこまでが本当でどこまでが嘘なのか、油断できない。思わぬところで、びっくりするような事実が明らかになることもしばしば。
何気ない出来事が伏線となり、どんでん返しの起きるドラマチックな構成は、ストーリーテラーとしての作者の真骨頂だ。

一方で人間の自意識を掘り下げて、虚飾をはぎ取り、劣等感をむき出しにする腕も健在。主人公たちをとことん追い詰めていく。
でもそれは、本の帯にあるような「ダークな朝井リョウ」の悪意によるものでは、決してない。
何者でも特別でもない自分を認めることで、救いが生まれる。
そんな作品を書こうという、作家の野心によるものに違いない。そう確信出来る結末が待ち受けている、仕掛けに満ちた小説なのだ。
(藤井 勉)