日沖 博道 / パスファインダーズ株式会社

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あるサービス企業は、日本で大成功した飲食業向けサービスをアジアに展開しようと考え、その第一弾としてアジアのもう一つの先進国・シンガポールで開始すべく、強力な提携先を見つけた。現地の飲食業に売り込む力が非常に強い営業系の会社である。

しかしその新サービスは結局、シンガポールの消費者ならびに飲食店からは全く支持されず、見事にコケた。前提となる消費者の予約・支払いに関する習慣が全く違ったためである。事前に現地でちょっと調べればすぐに気づくはずのことだった…。

あるファンド会社は、大手素材企業から子会社を買収した。親会社から素材の供給を受けて部材に加工する事業である。財務上、材料コストが利益を圧迫していることは明らかだったが、買収後の元・親会社との交渉で直材費を値下げさせることで、一挙に利益改善ができると踏んだのだ。

しかし実際には親会社からの供給価格は割高ではなかったことが、買収後に他社からも見積を取った際に判明した…。

あるコングロマリット企業は、海外事業でのサプライチェーンを大きく見直すために倉庫を切り替える計画を立て、そのために関連する情報システムも開発してきた。全社レベルの重要なプロジェクトである。

しかし情報システムをほぼ作り終えたある週、移転先の倉庫内部を精査して収容能力を改めて計算してみると、当初構想に全く届かないほど小さいことが判明した。お陰で計画全体を見直すことになってしまった…。

冗談だと思われるかも知れないが、全部実話である(差し支えないよう、内容はぼかしてある)。しかもこれらは小生が知る「氷山の一角」に過ぎない。

どうしてこんな「思惑外れ」が起きるのだろう。端的に言って、戦略や構想を描いただけで、きちんとした検証をしなかったからである。ひと手間を惜しんだか、そもそも検証が必要だということ自体を思いつかなかったのである。

不思議なことに、日本の事業会社の多くが「戦略策定」や「構想策定」は熱心にやるのに、その過程で仮説の検証をしないでいきなり実施に入ることが少なくないようだ。

そもそも「検証」とはどんなことをするのか、イメージが沸かない人が多数派だというのが小生の実感である。

コンサルティングの場面で「きちんと検証しましょう」と言うと、まるで戦略や実行計画の出来具合に自信がないと誤解されかねない。クライアントの経営トップが「すぐに実行したい」と気がはやった際に、歯止めを掛ける人が周囲にいないことも多いのではないか。

小生自身、その渦に巻き込まれたこともある。迷走していた新事業のFSを途中から支援して立ち直らせたまではよかった。次のステップとしては企画会社を作って、事業構想に含まれる前提としての諸仮説を検証することを推奨したのだが、関係者(数社)がすっかりその気になって、合弁による事業会社をいきなり設立したのだ(しかも事業参画まで要請され、抵抗した小生も結局は責任を感じて参画したのだが…)。

多分、「事業は勢いだ!」といった心意気だったのかも知れない。

この「検証を軽視する傾向」は事業会社ばかりではない。

小生が勤めた大手コンサル会社では、クライアント企業に提案する構想策定の進め方の中で(情報システムのテストを除くと)「検証」ステップを埋め込む人間は少数派だった。

昨今、「スピードが最重要」などとアジャイルなやり方がもてはやされたせいもあるかも知れない。しかしアジャイル経営だからといって検証を軽視していいということでは決してない。むしろ次の段階に進むために必要な検証をクイックに行うことで、全体として速く進めばいいのだ。

検証されない仮説は、どれほど見事に見えても生煮えの仮説のままである。

新規事業でも既存事業の改革でも、新しいことを実際に始めようとすれば、想定外の事態が次々と起きるものなのである。だからこそ戦略や構想の策定をしたら必ず、できる範囲でいいので、検証をすべきなのだ。それで仮説の精度は着実に上がる。

頭で考えているだけでは気づかないことも、「実現性」などと幾つかの切り口を設定して検証してみると、ボロや抜けが見えてくることがよくある。それで仮説は修正され進化するのである。

魅力的な事業仮説が生まれたら、内部で検討するだけでなく、できる限り早めに市場関係者や需要家などにぶつけて検証する。業務改革構想の前提となる諸条件は、まずは机上で、次には可能な限り実地で確かめてみる。それらが「検証」と呼ばれる作業だ。

信頼すべき専門家に条件を示して案を評価してもらうことで十分な場合もある。実際の店舗や倉庫を借り切って実地シミュレーションを必要とする場合もある。ある地域限定で試販することもある。必要な「検証」はテーマによって、そして段階によって異なる。

もう一方で重要なことは、仮説はどれほど検証されようと、本格的に実行されるまではどこまで行っても仮説のままだ、ということである。

完璧な仮説検証などというものはない。したがってどこかで「見切る」必要がある。それは事業なりプロジェクトなりの最終責任者がすべき判断なのである。