[Felix Ausin Ordonez / Reuters]

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第7節を終え、各チームの明暗が分かれ始めている。

その分かれた明と暗の要因のひとつに、“世代交代”があげられるが、それは『チームレフェリー』も同様かもしれない。
 
2007年の上川徹の引退を境に、2010年には岡田正義もJリーグから去った。彼らW杯レフェリー以外にも、2009年に穴沢努と山西博文、2011年には柏原丈二など、“顔”のあるレフェリーが現役を退き、J1のピッチに若手レフェリーが増えた。
 
もちろん、引退した彼らが飛びぬけて優秀だったとは言わない。ただ、彼らには経験があった。DVD『レフェリング』内でも語っているように、上川や岡田は、自らの判定ミスに対し、試合中にタイミングをみて選手に謝罪できる余裕や引き出しがあった。
 
柏原も、判定に対して異議を唱える選手に「私の位置からはこう見えた」とコミュニケーションをとり、その選手は「レフェリーと話せてすっきりしました」と語っている。そのエピソードを柏原に聞くと「昔はそういった対応ができなかった。徐々に、僕も“レフェリー”になったのではないでしょうか」と明かす。「長年で互いをわかり、関係を築けていく」のだと西村雄一はいう。
 
つまり、UEFAのミシェル・プラティニ会長がいうように、審判員も選手たちと同様に成長する時間が必要なのだ。

にもかかわらず、若手審判員の誤審を、犯罪者のような論調で批判しては、選手も若手審判員と関係を作ろうとしなくなってしまう。報道がオルタナティブある発展的な批判ではなく、齟齬をきたすプロパガンダのような役割になっている。
 
確かに、Jリーグで相次いでいる誤審は食い止めなければいけない。ただ、それはJリーグだけではなく、フース・ヒディンクが「近年、いたるところで誤審を目にするようになった」と嘆いているように、世界中で起きている。それに対し、世界では、大きな視点での議論が起きており、テクノロジー導入や審判員の人数などの対応策に及んでいる。
 
Jリーグ担当審判員の問題として、世代交代があげられるだろう。そういった問題点は「ドンマイで片付けず、指摘すべき」(イビチャ・オシム)である。ただ、「ミスは挽回することもできる」。コッリーナだって、最初からパーフェクトだったわけではない。『チームレフェリー』の、次節からのレフェリングに期待したい。
 
◇著者プロフィール:石井紘人 Hayato Ishii
FootBall Referee Journal(fbrj.jp)を運営し、ほぼ毎日更新している。次号発売のサッカー批評に、『日本のレフェリーは世界基準か』を寄稿。中学サッカー小僧で連載を行っており、次号では『ルールを知ろう』を執筆予定。著作にDVD『レフェリング』。ツイッター:@FBRJ_JP で様々な情報をつぶやいている。