山形がまずはJ1で生き残るための現実的な手法を採れば、どの監督でも守備的にならざるを得ない。攻撃的な個人技に長けていても、守備への切り換えでポジションに戻らなかったり、チーム戦術への理解が足りなければ、重用されることはなかった。他の選手、特に守備の選手への負担を考慮したためで、外国籍選手がなかなか出場機会を得られなかった理由もそうしたチーム構想が背景にあった。

小林監督自身、現役時代はフォワードであり、攻撃へのこだわりも常に持っていた。2度目の残留に成功した昨シーズンも、システムを4-3-3に変更したり、ポゼッションのトレーニングを地道に続けるなど攻撃的な試みは続けられていた。今シーズンは、「3年もどん引きさせるわけにはいかん」と打って出たが、その意欲が仇となった。

■厚い人望を集めた要因

小林監督自身、自分が指揮したチームを降格させたのは、長い監督経験でもこれが初めてとなる。

C大阪が降格した06年は、降格が決定するはるか前、桜の時期に解任されている。山形でJ1に昇格した1年目、チーム状態がジリ貧のままシーズン終盤を迎えたときには、「朝、窓のカーテンを開けるのが怖かった」と打ち明けていた。それだけに、降格が現実となった今、チームやクラブ、さらに山形県全体に与える影響については、本人がもっとも責任を痛感していることは想像に難くない。が、降格が決まったあとも、そうした動揺を表向きには見せていない。そうした懐の深さや肝が座ったところも、厚い人望を集めてきた要因となっていた。

小林監督の退任を惜しむ声は、多くのサポーターから聞かれている。しかし、「山形県民のお父さん」は消えるわけではない。この4年間のつながりは、そう簡単に途切れるほど脆いものではない。どこへ行こうと、いつまでも、じっと帰りを待つことにしようと思う。

■著者プロフィール
佐藤円
1968年生まれ、山形県鶴岡市出身。山形のタウン誌編集部時代の1995年にモンテディオ山形の前進であるNEC山形の取材を開始。現在はモンテディオ山形の取材を続けながら、「J's GOAL」「EL GOLAZO」等に執筆している。Jリーグ登録フリーランスライター。


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