平松庚三さん。

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−−平松さんが、「ライブドア」という名前を知ったきっかけは?

平松 ボクがAOL JAPANで代表を務めていたとき、そこで一緒に働いていたのが、前刀禎明さんでした。彼はAOLを出て日本で初めての無料ISPの会社を立ち上げました。前刀さんは「インターネットをまったくテクノロジーがわからない人にも使って欲しい」という思いから「ライブドア」という社名を考えついたと言っていました。
ライブドアという名前を聞いたのはそこが最初ですね。
だから、ライブドアという会社で社長をやったのは、初代が前刀さん、2番目が堀江さん、そしてボクは、3番目の社長だったわけです。

−−当時はまさかライブドアグループの一員になるとは思われなかった?

平松 そうですね。まだ社名がオン・ザ・エッヂだったときに、同社が主催するセミナー講師に呼ばれたのが、ボクと今のライブドアとの最初の出会いでした。そのときに堀江さんに会いました。当時私が社長だった弥生株式会社に興味を示していました。
弥生は営業利益率40%の成長を遂げていた優良企業でしたから。その弥生がエグジットする時に、手をあげた1社がライブドアだったわけですが、ボクはこのライブドアという会社にデューデリジェンス最中に2度びっくりさせられました。
1つは、ライブドア側の担当者が28歳の特に肩書きもない兄ちゃんだったということ。
数百億円規模のディールですから、他の会社は当然、役員クラスがやってきます。彼らはちょっと話が複雑になると、「本社に持ち帰って検討します」と言って1週間は待たされる。
ライブドアの担当者は、その場で決めて、わからないことがあったら、その場で電話して、回答する。スピード感がまったく違いました。

そして、もう1つ驚くべきことは、堀江さんが一度も顔を出さなかったことです。
当時の買収額は230億円でしたから、あのときの彼にとっては今までの中で最も高い買い物だったはずです。それをこの若者に完全に任せきっていることが驚きでした。

20代や30代の若者に権限や責任を委譲しているのにびっくりし、仕事の速さにびっくりしました。
こうした中で、ライブドアをパートナーに選んだ理由は2つありました。
1つは弥生株式会社が大きく成長していく過程で、社内のベンチャースピリットが失われつつあったことに危機感を覚えたからです。ライブドアのグループ入りをすることで、大企業病に陥った弥生の社員たちと、若くて勢いのあるライブドアの社員たちを並走させてそのスピードを体感させたいとの思いがありました。
もう1つは、ライブドアが弥生の価値を一番高く評価していたことです。実際のところ、ライブドアグループになって2年半で利益をさらに伸ばしたわけですから堀江さんの弥生に対する評価は正しかったわけです。

2004年、ライブドアの傘下に入り、思惑どおり、ライブドアのエンジニアから新しいテクノロジーを吸収して、弥生はますます利益を伸ばしていきました。

そもそも2001年に弥生の前身のインテュイットをMBOした時に組んだアドバンテッジパートナーズ(AP)というファンドは、イクジット時にはボクらが行きたいところに行って成長を継続させろというスタンスでした。APの代表のリッチ・フォルソムさんの母校と、ボクの娘が通っていた高校がたまたま同じだったり、彼が前刀さんとベインアンドカンパニー時代に一緒に働いていたりと共通点も多かった。
弥生はMBOで、APと組んで大きな成長をなしとげ、さらにライブドアグループに入ってその成長を加速させました。

−−「ライブドア」の3番目の社長になったときは、60歳になられたばかりでしたよね。

平松 60歳と2週間くらいでしたね。ボクはソニーのあと、ずっと外資系の社長をやっていました。でも60になってライブドアの社長になってからが、ボクの人生の中で最も成長できたと言えます。
本当にすばらしい仕事に出会ったと改めて思っています。日本のビジネス史の中でも、未曾有の混乱でした。そんな混乱を立て直すチャンスは、めったにもらえるものではありません。そしてライブドアの若い社員たちとともに、この困難にチャレンジできたことは、なにものにも代えがたい貴重な経験でした。

あの一件で大きく傷ついたのは社員たちです。そんな中、ライブドアの社員から新しい技術やM&Aのマネージメントテクノロジーを教えてもらいました。自分より20以上も若い社員たちに支えてもらって、教えてもらって、ボク自身も成長しながら、未曾有の混乱にチャレンジしました。
ライブドアは事件から2年後に単月黒字を出すまでになりました。すばらしい連中と一緒にすばらしい経験をしました。
あのとき一緒にがんばってくれた、そしてその後もチャレンジをし続けているライブドアの社員たちは今でもボクの誇りです。

続きはlivedoor 10周年記念スペシャルインタビュー「きっかけはlivedoor 2009」